つづく・・・西国街道「ひな人形めぐり」は西向日駅から北へすぐのところにも「浩庵・玉井家」が展示をしていた。


昭和40年、日本が高度成長期のおり、祖父母から初節句に贈られた段飾り、時代の平成2年はバブル崩壊直前で雛人形は、男雛・女雛一対の省スペースだったと話しておられ今回が初展示である。


玉井家から車の往来の激しい西国街道五辻交差点に戻り、楊谷観音さんの石塔が建つのを見て北へ進むと、市民手作りコーナー「ほっこりサロン」があった。


こちはら「手作りでお雛さま」を作る楽しさなどが伺え、動物たちの雛人形があった。


続いて西に向日神社の参道、四百年の昔から宿屋を営まれていた富永屋・有料(100円)にお邪魔した。
会場の富永屋の建物の中は土間で宿屋の後、うどん屋の名残りと言っていた。奥座敷の中は古い様式が残されていて火鉢があり‘ひな人形’ 飾りがあった。


雛人形は1930(昭和5)年、製作の「古今雛」段飾りと1931 (昭和6) 年製作の「御殿雛」段飾りと須田家所蔵の1939(昭和14)年雛人形段飾りが飾られている。


富永屋に展示している雛人形は、昭和初期に和歌山の造り酒屋の長女が誕生したもので、右は初節句に京都の実家の祖父母から贈られた古今雛。左は翌年節句に合わせて女児の両親があらためて京都に依頼して誂えた御殿雛で、道具には浮き線蝶紋入りが入っている。


黒漆塗りの雛道具やそれらを収めた長持には、浮き線蝶の家紋が入っている立派なもので、当時、京都から和歌山へは船で運ばれたという。雛掛け軸もあった。
昭和5年製作の「古今雛」の雛人形も超豪華であったが、翌年誂えた御殿雛や黒漆塗りの雛道具、浮き線蝶紋入、屋根は本物の檜皮葺で道具は家紋入り、牛車も精巧に出来ているという。


本物の羽二重を使い左近の桜と右近の橘をつくっている。最近は1対で20万もするという、京都は天皇(天子南面)といい、東は左手、反対の西は右手、男雛は左、女雛は右に位置となって、お雛様も左向きに飾っている。


北側の土間には古風なカマドがあり
昭和6年の御殿雛が収納された桐の長持ち箪笥は雛道具と同じ家紋が入っていた。富永屋は江戸中期の構造を残す店棟で、屋根裏から発見された棟札から1735(享保20)年、上棟されたと伝えられている。お雛さまを一つまた一つと取り出して桃の節句に飾ることから始まり、名も知らない一般の方にも観させてもらうことに喜びを感じ、今日まで保存された御尽力は大変であったろうとおもう。


和の喫茶「縁かいな」で食事をいただき、いつの世も無事子どもの成長を願う親心を祈って、「西国街道ひな人形めぐり」心温かいおもてなしで見学者を迎えてくれた。(完)
<西国街道「ひな人形めぐり」>
会場:富永屋
住所:京都府向日市寺戸町東ノ段1
期間:2/26~3/2
なお3/2には冨永屋謹製の甘酒もある
料金:100円 ※建物維持ため「保存修復協力金」
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