2012年2月27日月曜日

曳山博物館と長浜別院 大通寺その4

つづく・・・新旧の調和が整った古い商家の美術館、ガラス芸術の世界にこころ酔いしれれながら、黒壁ガラス館の隣にあるクロカベスタジオにも立ち寄った。
工房ではガラス製品の実演をしていた。美しく透き通る本物のガラス文化、ガラス細工作りが体験できるという。
博物館通り入口博物館にてパネル大手門通りは黒壁ガラス館をはじめ、郷土料理の店などが軒を連ねている。昼食タイムだが長浜名物の焼鯖そうめんやのっぺいうどん等のお持て成しは火曜日が一斉休業する店が多く残念であった。
昼食休憩後、博物館通りで「曳山(山車だし)」を見学することができた。
大手門通りの歌舞伎の飾り400年もの間、脈々と受け継がれている「長浜曳山まつり」は、今春4/13~16まで行われる。特に重要無形民族文化財・曳山まつりの最大の見どころは「子ども歌舞伎」であり、湖国長浜の春祭りは要必見である。なお八幡宮祭礼で、秀吉が長浜城主のころ、待望の男子誕生の祝いに町人へ若干の砂金を贈ったことから始まったという。大通寺の山門は33年掛かって落成した
ながはま御坊表参道の石畳さらに進むと南北に伸びる石畳の「ながはま御坊」表参道、大通寺の総ケヤキ造りの巨大な山門が見えた。この山門は1808(文化5)年起工し33年後、落成した。大通寺は、“長浜の御坊さん”と湖北の人々に親しまれている。 大通寺の本堂
本堂は、真宗大谷派の別院として、伏見城の遺構を移築した。境内は大広間があり、奥は含山軒・狩野山楽や蘭亭は円山応挙らの襖絵がある。
含山軒庭園(名勝)は枯山水の庭園で伊吹山が借景になっている。また蘭亭庭もある。広大な約7000坪の境内は安土桃山時代の建築様式を伝えていた。 寒い雪の日が続いたためか遅れていた過去の馬酔木展
また大通寺境内では馬酔木展(~4/18)が行われていたが、寒さのためかスズランに似た小さい可愛い花は、まだ蕾も固く花は咲かず残念だった。
馬酔木の花も盆梅と一緒で150年~250年の老木があった。豊国神社の稲荷社豊国神社
最後は豊国神社に行った。
帰りの車窓で市街と伊吹山含山軒庭園(名勝)は伊吹山が借景になっている
長浜の桃山文化を垣間見て、初めて城持ち大名に出世した秀吉、城下に楽市楽座を取り入れた商業都市、現在の長浜の街の基礎を築いたと云っても過言ではない!(完)

2012年2月25日土曜日

黒壁美術館その3

つづく・・・北国街道は古くからにとは物資が行き交う宿場町として栄えてきた。いまでも江戸時代の城下町を彩るレトロな雰囲気が漂う商家などが軒を連ねている。長浜城から東に延びる大手門通りとの交差点は「黒壁スクエア」が広がる。
美術館入口にはアールヌーボーの作品と長浜市の画家の襖絵が展示していた黒壁十号館・黒壁美術館黒壁?とは不思議だな~と常々思ったが、明治末期銀行が建築され、その外壁が黒漆喰の様相から「黒壁銀行」の愛称で親しまれていた。その建物を再利用して「黒壁一號館・黒壁ガラス館」として1989(平成元)年に造られた。色のついたグラス
人が落ちる?「砂時計」長浜には現在「黒壁スクエア」という街広場があり、この一號館を取り囲むように、約30店が軒を連ね、二號館のガラス工房では初心者でも製作に参加することができる。1900年、仏のエミール・ガレの作品で「鍔文花器」
また、十號館の黒壁美術館では古代から現代までの世界のガラス作品を約100点常設展示し、ガラスアートの粋を鑑賞できる。1885年頃、仏のエミール・ガレの作品「取手付きエナメル花器」 本館中庭は水琴窟
この美術館の建物は、江戸時代末期に醤油問屋の豪商・河路屋の邸宅であった。蔵を含め大小15室の奥行きの深い展示場がある。
美術作品を座敷や土蔵で観賞していると和洋の対比・新旧の調和が面白く、古い商家の佇まいで出会うガラス芸術の世界にすっかり酔いしれて心地よい空間を感じた。フキノトウの雄と雌という
土蔵では野村陽子・植物細密画展(ボタニカルアート)特別展美術館ではガラスアートと奥の“土蔵”では野村陽子・植物細密画(ボタニカルアート)特別展を開催している。野村さんは八ヶ岳山麓の清里高原にアトリエを構え活動、里山の四季を彩る野山の草花をありのままに模写している。クリの実とクズ、細密に描かれている
土蔵を美術館として活かしている古式ゆかしいお座敷でみる美術品は、季節感をテーマにした作品や現代ガラス作家を織り交ぜた展示をしている。つづく・・・

2012年2月24日金曜日

長浜城と北国街道その2

つづく・・・寒い冬を乗り越え、一輪また一輪と咲くけな気な姿、不老・高山の樹齢400年を筆頭に350年・250年など盆梅はその手入れする人たちに懸かっているとおもった。
天守閣に上り東方の伊吹山を望む長浜城石段に残雪まだ10時を少し廻ったところである、本来ならメーンの長浜盆梅展をじっくりと観察・観賞するところだが、一先ず慶雲館の盆梅展に暇を付け先を急ぎ、徒歩10分余りで長浜城に着いた。長浜は古く今浜と呼ばれ、天正元年、織田信長は浅井氏の旧領湖北12万石を羽柴秀吉に与えたのが始まりと伝わる。湖畔に初めて居城を建て、今浜から長浜に改めた。古く今浜と呼ばれていたが秀吉の出世城、長浜に改めた
煙突の右に竹生島が見える長浜城には、3層の天守が建てられ、中は資料館となっている。2・3層まではエレベーターで上がり、天守閣には階段で昇らなければならない。
天守閣に上がって東西南北、城下をぐるっと眺め一周した。東は雪をかぶった伊吹山、だが少し残念なのは高層マンションが立ちはだかっている!
西の方向は大湖の琵琶湖が眺め、その向こうに小さく竹生島が見えた。竹生島めぐりの観光船で琵琶湖に浮かんだ城の姿を見ることができるという。また城下には太閤の井戸もある、さらに琵琶湖は日本の夕陽の百選にもなっているという。1983(昭和58)年、長浜城は再興され、現在歴史博物館として歴史的な資料を数多く展示している。春、桜満開のころ、城下の桜を散策しょうとおもった。北国街道は中山道と北陸路を結ぶ宿場町として栄えてきた
長浜駅前通り長浜駅前通りと北国街道が交わるところに旧開知学校がある。この建物は1871(明治4)年9月、長浜に県下で最初に「滋賀県第一小学校」が建設され、その三年後、木造3階、八角塔屋付の擬洋風建築の校舎が建てられた。城下町の面影をのこす長浜の街、手前は太鼓櫓のある浄琳寺、向こうに見える瓦屋根は黒壁ガラス館
木造3階、八角塔屋付の擬洋風校舎・旧開知学校当時、建築費用は地元住民による寄付金で、長浜の人々が教育に関して熱心であったことがわかる。城下町の面影をのこす長浜の街・北国街道は中山道と北陸路を結ぶ主要道で、古くから人や物資が行き交う宿場町として栄えてきた。秀吉は城下に楽市楽座を取り入れ長浜の町を商業の基礎を築いた。左・黒壁ガラス館(黒壁1號館)と長浜大手門通り
安藤家の住居は、紅殻格子・虫籠窓などが施された長浜を代表する和風建築江戸末期に建てられた紅殻格子の家並みや白い土蔵を持つ商家など、伝統的な文化様式を残す町家が多く軒を連ね、昔ながらの面影が色濃く残っている。秀吉の出世城にあやかって金の草履
札の辻にて「金の草履」を履けば出世街道の旅人になる北国街道は江戸時代に高札が立ち、現在でも「札の辻」と呼ばれ、古くから長浜の中心だったこの辻1900(明治33)年、壁が黒塗りの銀行が建てられたことから、長浜名物・鯖そうめん「黒壁銀行」の愛称で親しまれ、今でも黒壁という名が残っている。
近年は町家を改築、民宿や赤レンガの洋館が建設され街並みに新たなアクセントが生まれた。
長浜の街並みは古い佇まいと素朴ながらも心地よく安らぎを求めて、多くの観光客らで賑わっている。
つづく・・・

2012年2月23日木曜日

第61回 長浜盆梅展

21日、朝9時半頃ブログ友2人とJR北陸線長浜駅に到着し、駅南出口から3分のところにある「慶雲館」に行き長浜盆梅展を観賞した。
この長浜盆梅展の催しは第61回を迎えて1月20日~3月11日まで開催している。明治時代、迎賓館として建造された慶雲館の入口
北陸線JR長浜駅南出口長浜市慶雲館は明治時代の建設で、まちの迎賓館として建造され市の新たな観光施設として1952(昭和27)年から盆梅展は始まった。高さ5mを超える巨大な大灯篭
約六千平米の広大な敷地内に残雪広大な敷地内には、高さ5mを超える巨大な大灯篭があり、慶雲館の名称は、時の内閣総理大臣・伊藤博文が命名、明治天皇行幸に合わせ、長浜の豪商・浅見又蔵氏が建たという。純和風の日本家屋の座敷で迎賓館として使用されたというが、そこへ一歩足を踏み入れると明治の歴史文化と気品が漂う別空間があった。八重咲き紅梅の老木「不老」は、樹齢400年、最も歳を重ねる姿に不老長寿を感じさせた
275cm「さざれ岩」は樹齢350年、力強く生きている日本一の歴史と規模の長浜盆梅展は300余鉢の盆梅があり、見ごろを迎えた盆梅、約90鉢を展示していた。盆梅のことは何一つ勉強して来なかったが、高さ3mに迫る巨木、樹齢350年の長い霜雪を経て今もなお力強く生きていることから「さざれ岩」と命名されたという。「連理(れんり)」は元宝塚の上原さんが(筑前琵琶奏者)が命名したという
清幽(せいゆう)八重咲き紅梅の老木、樹齢400年の「不老」は、最も歳を重ねる姿に不老長寿を感じさせ目を引いたが、どちらも横綱格である。一つの枝から紅白の花が咲くという盆梅「輪違い」
飛翔、入ったところにあった第1回から展示している盆梅は、樹齢250年の昇龍梅、その姿は龍が天に昇る勢いを連想させた。「連理」は元宝塚歌劇団トップ娘役の上原さんが(筑前琵琶奏者)が命名したという。また一つの枝から紅白の花が咲くという盆梅「輪違い(思いのまま)」もあった。隼を先頭に5鉢並んでいる
会場の慶雲館には2階にも盆梅展があったことしは雪も多く寒さが厳しかったためか、梅の開花も遅れているように思う?盆梅展の魅力は、わが子を育てるのと同様、温かい愛情とともに厳しい管理が求められている。花が咲き終わった瞬間から来季の開花に向けて手入れがはじまるという。大きなしだれ盆梅
窓の外、雪つりが長浜湖北を思わせる慶雲館の「長浜盆梅展」は、長浜の“早春の風物詩”にもなっており、会場には多くの観光客で賑わっていた。庭園は日本庭園の先覚者と呼ばれた七代目小川治兵衛の作庭である。第1回から展示、樹齢250年の昇龍梅、その姿は龍が天に昇る勢いを連想させた
久々、長浜市を訪問、滋賀の湖北で積雪が多くこの季節遠隔地と思っていたが、この日は18日降った雪が少し残っているが穏やかな日和であった。JRの乗換えの必要もなく、初めて長浜盆梅展を観賞したことはブログ友に感謝である。つづく・・・
<第61回・長浜盆梅展>
開催場所:長浜市慶雲館(滋賀県長浜市港町)
開催期間:2012/1/20(金)~3/11(日)
開催時間:9:00~17:00
観覧料金:大人500円、小中学生150円 
     ※障害者手帳所持の方は無料
交   通:JR長浜駅より徒歩3分