2012年1月23日月曜日

内固定抜去術(左橈骨遠位端骨折術後)

いつもお世話になっている洛西シミズ病院脳外科は病気以来ことしで15年目を向える。病気が発症したのは1997(平成9)年9月12日午後4時半ごろのときである!
知人宅の工場で気分が悪くなり52歳のとき脳内出血で倒れた。その後のことは全く覚えていないのだが、聞くところによると意識不明で救急車は右京区西京病院に搬送したが手に負えず、西京区シミズ病院に転送になった。
一ヶ月後、朦朧とする意識の混濁もとれたが、言葉が話せず口から涎がでる始末、一命は取り止めたが右上半身、後遺症により主治医は一生、寝た切りか車イスが必要とまで云われた。
シミズ病院・洛西シミズ病院に6ヶ月、また一人で三重県の榊原温泉病院に4ヶ月半、京都市のリハビリテーションセンターに3ヶ月、都合一年間の闘病生活をした。
しかし、リハビリの甲斐も無く右手は全く用を足さなくなっていたのである。
そして平成23年5月23日、京都市山科区の勧修寺で思わぬ出来事に遭遇、転倒し良い方の左手を骨折した。ダルマさんの様な格好で痛みを堪え、地下鉄小野駅、昼間だというのに疎らな人の影・・・地下鉄とバスを乗り継ぎ、国道沓掛口バス停で下車、雨は本降りの様相、土砂降る雨は地面を川のように流れ濡れ鼠になり歩いたが忘れない!
いつしか時節が変わり、左橈骨遠位端骨折も完治していたが、チタンの金具を挿入したままでも良いが、12月整形外科定期診察を受け、いつでもチタンの金具(内固定材料抜去術)をとっても良いとの事であった。
23日、入院24日内固定材料抜去手術となっている。体調管理は万全といきたいが、13日から風邪の兆候で軽い咳と鼻水が出る、でも頭痛は無い!14日、洛西シミズ内科の先生にあった。
いろいろブログの取材もあるが自重した。
既に、心電図の検査や採血、胸部のレントゲンなど入院手続きを済ませた。手術といえば、いろいろ問題も出てくる。先生がくれた説明書によると、病名は左橈骨遠位端骨折術後、全身麻酔で内固定材料を抜去するという。5cm位のチタンの金具が入っていてまた、手術で同じ部位を切り裂き、30分程度で終了といった。先生は骨折のときより痛みはないという。麻酔は全身でわからない・・・覚悟はできている!
手術及び後の合併症は「感染症」「神経、欠陥損傷」「再骨折」「内固定材料の折損、遺残」「深部静脈血栓症、肺塞栓症」などがあるそうなったら命とりだ!また麻酔の合併症は薬物アレルギーやショックが含まれている。入院手術はその合併症が現れたときが問題と言えよう。もう一度入院し、内固定材料を抜去する手術にストレスを感じていたが今は諦めの境地である!
なお、本ブログ愛読者の方々には大変ご迷惑をお掛けするが入院予定は月末までとしたい。

2012年1月14日土曜日

祇園 初寄り

1月13日は初寄り
京舞・家元井上流に集まり技芸上達を励んで新年のあいさつ
1月13日、祇園甲部の花街で京舞・井上流五世家元の井上八千代さん宅に、お昼時をかねて女将さんや芸妓さん、舞妓さんが稽古始めのあいさつに伺った。芸姑さんを先頭に髪飾りも
この一年の始まりを迎えるにあったて井上邸に集まり、新年のあいさつと益々技芸の上達を励んで、ともにお雑煮で祝う。これを“初寄り”と呼んでいる。
今年もよろしくと挨拶を交わす厳冬の最中、この日は11:30過ぎ、芸舞妓たちは和装姿も華やかに身を包み、髪飾りも艶やかに師匠宅へ新年のあいさつに訪れた。女将の帯、衣装?は統一されている
女将さんと舞妓さん師走13日の“事始め”で一年の締め括りをして、正月準備を始めた芸舞妓たちは、新年の“始業式”を終えて一と月後、再び師匠宅へ顔を揃え一層の精進を誓い、お屠蘇と雑煮で新年を祝い、師匠から励ましの言葉を受け、新たな気持ちで一年が始まった。40年も撮影している写真家がおった
京舞井上流五世家元の井上八千代さんは、父を人間国宝の観世流能楽師九世片山九郎右衛門の長女として生まれた。祖母で人間国宝だった京舞井上流四世井上八千代(平成16年3月19日98歳没)に師事し、平成12年に京舞井上流五世家元を襲名した。
井上流は、寛政年間(1789~1801)に近衛家の舞指南役を勤めた井上サト(初世井上八千代)が宮廷文化を基盤に創始したという。以来二世紀の歴史を持ち、祇園甲部の正式唯一の流派で、京都固有の特色を持つ井上流を特に『京舞』と呼び、京都の年中行事となっている「都をどり」を支えているのも京舞井上流だという。舞妓特有のだらりの帯
日本舞踊の「舞」の起源は「水平の動き」で、一人の人の心を伝えることから始まったという。一方、「踊り」は「垂直の動き」で、集団で始まったという。基本姿勢は、腰を落とすとともに、すり足、体の芯を残したまま回る動きだと師匠の家元がいう!
だが今は、舞も踊りも重なり合う部分が多く、舞の中にも踊りに近い部分があるという。
ぽっこりも鈴の音軽やかに!祇園甲部の花街“初寄り”は、1月7日の紋付に正装姿、稲穂のかんざしをさした芸妓さん、舞妓さんの始業式とは変わり、新春を感じさせるカラフルな着物衣装姿が見られる思いがした。 新門前通大和大路東入る井上邸前は約100名くらいの写真愛好家の人たちが待機し舞妓さんたちや芸妓さんが来るのを待っていた。日本文化の粋ともいえる「京都花街」舞妓さんと芸妓さんの伝統行事であった。

2012年1月11日水曜日

十日ゑびす大祭

京都恵美須神社は西宮、大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと言われ「えべっさん」と呼ばれ親しまれている。十日ゑびす大祭はこの期間(8日~12日)だけ授与される“吉兆の福笹”
宝恵かご社参その起源は約800年前、1202(建仁2)年土御門天皇が禅の祖といわれ、栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として建てられた。狭い境内では福笹をいただきに行く
境内で三本締をする“ゑびす”と言えば多くの方々は「商売繁盛の笹」をイメージするが、信仰の象徴とも言える笹は、元来京都ゑびす神社独自の「御札」の形態が広まったという。お神酒をいただく
福笹を持って巫女が舞うまた縁起物の笹は、「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌、商売繁盛の象徴となったという。
東映太秦映画村からの二人は和やかになった正月の挨拶が飛び交う年明け早々の1月10日、一年の家運隆盛と商売繁盛を願って、健康で幸せに暮らせるように祈って神社に参詣した。神社は400年前から福笹を取り付けている
いよいよ宝恵かごは出発になった十日ゑびす大祭はこの期間(8日~12日)だけ授与される“吉兆の福笹”がある。福にあやかろうとする参拝者は縁起物の吉兆の福笹を求めて賑わった。
この笹は約400年前に遡り、京都恵美須神社で始まり全国に広まったという。ゑびす様が、手にする釣竿にピントを得て笹を象徴としたのが始まりという。
また9,10日は宝恵かご社参も10時から行われた。 どんどん叩く音、ゑびすさんは耳が遠い
実はゑびすさんは耳が遠いといわれていて、奇妙なおまいりをする場所がある。裏に周って、木の板を大きく叩き・・・「守ってください」と祈願して行く人々も多くいた。
また拝殿の天井に、社宝の「招福龍」という縦3m66cm横5m17cmの墨絵がある。神殿の前に、隆魔招福の龍は、参詣者の拍手に「こだま龍」とも呼ばれて恵比寿神社の名物になっている。10日ゑびす人が多い・・・
府警のシンボルマスコット「ポリスまろん」四条大橋を渡り繩手通りを南下、露天商も両端に並び賑やかな雰囲気に包まれた小さな京都恵美須神社だが、この日ばかりは多くの人々が商売の神様に参拝されている。

2012年1月10日火曜日

祝 成人の日2012

1月9日、成人の日 新成人の皆さんおめでとうございます。
左京区岡崎のみやこめっせでは、成人の日を記念した式典が開かれた。男性は色とりどり衣装をする
花魁姿の彼女真新しいスーツや華やかな晴れ着姿に身を包んだ新成人が、寒さ緩むなか続々と11時ごろから詰め掛けた。皆Vサイン
満面な笑顔報道によると日本全国で平成三年(1991)生まれの新成人は約122万人で少子化を反映して前年より約1万4千人が減少したという。童顔の残る彼女たち
ショールが無く、写真撮影をお願いした従来成人の日は1月15日であったが平成十二年(2000)から1月の第2月曜日となった。趣旨は「おとなになつたことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」という国民の祝祭日である。ポーズをとり答える
大きく羽ばたくように京都府内の新成人数は25,308人で、男性は13,151人、女性は12,157人で9年連続の減少となった。京都市の式典は左京区岡崎のみやこめっせで約8,127人が出席、2回に分けて行われた。
成人の日の晴の舞台は一生に一度しかなく、男性も女性もヘヤーカラーの髪型が派手目、羽織・袴姿や色とりどりの振袖を身に包み華やいだ光景が見られた。9日、晴の天候の中、二十歳の春を迎え晴やかに2012の成人式を祝い、社会人としての自覚と責任感を胸に刻み、人生の門出を出発した。携帯でみんな晴れやかな気分式場のみやこめっせ前では、新成人らは晴れやかな笑顔で記念撮影を写し、同窓会的な雰囲気もあり、「久しぶり」などと手を振りながら駆け寄る歓声があちらこちらで聞かれ、懐かしい友との再会を喜びあう姿が見られた。セミプロが新成人のポーズを取っていた
目線があった
会場の式典は12:00と13:00に行われる。昨年の3:11は国内観測史上最大のマグニチュード9.0の東日本大地震が発生、恐ろしい大津波によって尊い犠牲者や未だ行方不明者も出ている。未だ架設住宅の復興であるが綺麗に着飾った「成人の日」はガレキと共に故郷の灯を消してはならない・・・ 彼からバラの花束をいただき彼女は二重の喜びだった
日本髪を結っていた年々歳々少子化がすすみ、年間3万人もの自殺者が増加している。不況の波が押し寄せ、将来、就職・年金に不安を抱く人も多いが、希望を失わないこと、元気を失わないことが大事である。何はともあれ、若者が時代を先駆者をしてもらいたいものである。平安神宮へお参り希望を抱いて
筆者は倒れるまでの37年間実働した京友禅の職業、中振・振袖を染色していたことは今は懐かしい。新成人の若者に笑顔を「パワーと活力」をいただくことが出来ると信じて帰路に着いた。

2012年1月8日日曜日

祇園花街で始業式2012

小寒に入り一層寒さも厳しい7日、各ご家庭は七草粥で無病息災を祝った。祇園界隈の花街では、芸舞妓が一年の精進誓う新春恒例の「始業式」が昨日行われた。ご贔屓のお茶屋に出入りする芸舞妓たち
正月7日は芸妓さんや舞妓さんが今年一年の技芸向上を誓うため、仕事始めに当たる『始業式』である。片手を上げてあいさつを交わす
芸舞妓たちは晴々とした顔である黒紋付き振り袖姿に稲穂のかんざしを挿した正装姿の約130人の舞妓さんや芸妓さんが「祇園甲部歌舞練場」に集合して誓いを新たに交わした。
落ち着きのある芸姑さん午後1時すぎ、花見小路の歌舞練場前は土曜日とあって身動き出来ないほどの混雑だった。式典後はお互いに新年のあいさつを交わしご神酒が振舞われた。四条を渡ってご贔屓のお茶屋に行く
歌舞練場から出た舞妓たち芸舞妓やおかみさんも代わる代わるに「おめでとうさんどす。ことしもよろしゅうおたのもうします」と新年のあいさつを交した。お姉はんを先頭に舞妓がつづく
舞妓さんの足元は乱れてた!各ご贔屓のお茶屋や置屋などにもあいさつに行くが、暖簾は信用と格式を表し家紋が用いられている。それを取り巻く様に艶やかな芸舞妓の姿を写真に納めようと大勢の写真愛好家らが集まりシャターを切り熱気に包まれた。
絵になる白川巽橋黒紋付き姿の芸妓や舞妓が「おめでとうさんどす」と技芸の師匠らと新年のあいさつを交わすたびに、髪に飾った稲穂が揺れ、艶やかな空気が漂う姿は晴れやかで凛とした風格でもある。
始業式は、祇園甲部以外に祇園東や先斗町、宮川町の4つの花街でも行われ、花街一帯は華やかな新春ムードに包まれていた。なお、北野上七軒は1月9日に行われる。