2009年5月24日日曜日

小倉山 常寂光寺

茅葺きの仁王門がある
常寂光寺の黒い山門
新緑眩い常寂光寺(じょうじゃっこうじ)は、嵯峨野にある小さなお寺。
京都屈指の紅葉の名所でもあり小倉山の中腹にある常寂光寺は、『百人一首』で知られる藤原定家の山荘、時雨亭があったところと伝えられている。
黒い異様な山門をくぐると、正面に茅葺きの仁王門がある。右には緩やかな道もある
本堂に上る階段、手摺りはない!拝観料のときに、私を見て係員が正面階段は急斜面なので緩やかな斜面もあると仰言ってくださった。でも、私はその階段を本堂へ向かってゆっくりと注意して一歩一歩昇り進んだ。手すりなどない!
急な階段を上がり、途中振り向くと、新緑紅葉のトンネルが眩しく、茅葺きの仁王門とマッチして綺麗だった。開運妙見宮は能勢の妙見さん
本堂のご本尊は十界大曼茶羅本堂は豊臣秀吉の居城であり伏見桃山城の遺構で、ご本尊は十界大曼茶羅。
慶長元年(1596)日蓮宗大本山本圀寺16世の日禎(にっしん)上人が隠棲した庵を寺に改めた。
開山は究竟(くきょう)院日禎上人で、わずか十八歳、六条の日蓮宗大本山・本圀寺の法灯を継ぐ秀才だったが、秀吉の東山大仏の開眼千僧供養への出仕(しゅつし)を拒否したため、この地に隠居して常寂光寺を開祖した。多宝塔の周辺に小さな仏様があちこちにあった!
多宝仏塔は江戸時代初期で美しさは日本一だ!小倉山中は奥深く物静かな場所で、常寂光土の地にあり「常寂光寺」という名が付けられたという。中腹には本堂、妙見堂、多宝塔が並んでいる。重要文化財の多宝塔(高さ12m)は元和6年(1620)の建立で、並尊閣(へいそんかく)といい、前面に霊元天皇の勅額が掲げられている。
その美しさは、滋賀、石山寺の多宝塔と日本一を競うといわれる。時雨亭跡の碑
歌仙祀もあり藤原定家の木像を奉る祠もある仁王門はもと本圀寺客殿の南門を移転、妙見堂は能勢妙見を分祀している。
また日禎上人を祀る開山堂や隠棲の地を提供した角倉了以の墓所もある。さらに藤原定家の時雨亭跡の碑もあった。
上人は歌人でもあり、平安時代の歌人藤原定家に憧れと尊敬を持ち、山荘があったとされるこの場所を隠居の地と定め、お寺を建立した。
時雨亭跡近くには、歌仙祀もあり藤原定家の木像を奉る祠もある。
山の斜面を上り下りしながら、見る景色は風雅を楽しむことができる。小倉山、常寂光寺から見る眺望は新緑と野鳥の囀りで常寂光土に遊ぶような風情があった。
<交通案内>
■京福電車 嵐山駅下車 徒歩約25分 市川房江さんの「女の碑」
■市バス・京都バス 
    嵯峨小学校前下車 徒歩約15分 
■阪急電車 嵐山駅下車 徒歩約35分
■開館時間 9:00 - 17:00
■休 日・ 無休
■拝観料
 大人400円団体(30人以上)300円
 小人200円 200円  障害者無料
車椅子による見学 不可
お問合せ:075-861-0435

2009年5月21日木曜日

史跡 和歌山城

南通りから見上げた和歌山城
入城門から見上げた天守閣
スーパー駅長“たま”ちゃんを見てJR和歌山駅にもどり、乗り合いバスでお城を見学した。知らない土地柄で頼るのは他人任せだが、親切丁寧に教わり恐縮した。
和歌山城大手門公園前のバス停に着いた。
江戸時代、和歌山城は別名「虎伏山竹垣城」と呼ばれていた! 天守閣より眺めた和歌山市内
入城門天正13年(1585)豊臣秀吉が紀州を統一し、弟羽柴秀長の領地になり、虎伏山の地をえらび自ら縄張りし藤堂高虎等を普請奉行として本丸および二の丸を築城させた。翌14年から秀長の城代、桑山重晴が在城し、はじめて若山または和歌山の城になった。慶長5年(1600)浅野幸長が37万石、その後、長晟と二代在城した。
元和5年(1619)徳川家康の第十子頼宣が55万5千石を領して入城。
以来14代253年間幕府の親藩紀州徳川の居城として大いに栄えた。樹齢は約450年の樟樹
表門・大手門まず大手門は浅野・徳川時代には表門として機能、当初は一之橋御門とよばれていたが、寛政8年(1796)大手御門と改称され、高麗門形式に復元された。さらに、一の橋の樟樹(天然記念物)がある。
城内最大の樹木で推定樹齢は約450年。和歌山大空襲で損害を受けたが、樹勢が回復し今日に至っている。自然は素晴しい!和歌山城は「虎伏城・伏虎城」などとも呼ばれている
本丸御殿跡奥へ進むと伏虎像があった。これは、お城の建つ山が、海上から見ると猛虎が伏している姿に似ていて現在でも、和歌山城は、「虎伏城」・「伏虎城」などとも呼ばれている。この像は二代目。初代は郷土出身の女流作家有吉佐和子著『紀ノ川』にも登場する”銅像”であった。昭和17年(1942)戦時下のため供出された。
二の丸御殿跡には幼稚園児の姿も見られた。
いよいよ、天守閣めざす!!善意の杖が置かれてある。石垣に根が絡まる、「銀明水」という井戸、本丸御殿跡、築城400年余を偲んで登った。乾櫓(北西)
大天守閣の入口和歌山城天守閣がみえる…大天守、小天守、乾櫓、二の門櫓、楠門を多聞によって連結させた連立式天守閣である。各層の屋根には、千鳥破風を交互に配し、上層階には物見のための高欄をめぐらし、大天守の隅には石落としを設けるなど、江戸初期頃の様式を残している。
とくに特徴は、ひし形の敷地に左右され、乾櫓(北西)と大天守(南東)が張り出し、城下の北東と南西からの姿に雄大さを増すように工夫されている。
現在の天守閣は、昭和20年7月に戦災で焼失した天守閣(国宝)を、昭和33年10月に鉄筋コンクリート造で復元したものである。古城の風格を表す高石垣
国の重要文化財、岡田門「搦(からめ)手門」(裏門)ともいう岡口門は搦(からめ)手門(裏門)として建造した。切妻造りで、右に御蔵、左に二重櫓がある。また北に接する土塀も当時のもので特に狭間(銃眼)は一枚石のくり抜きになっている珍しいものである。高石垣は寛永2年(1625年)築造されたもので、高さ23.4m(13間)あり城中石垣のうち最高であり古城の風格を表していた。
史跡・岡山の時鐘堂史跡岡山の時鐘堂は江戸時代中頃、正徳2年(1712)時の藩主、第5代徳川吉宗により紀州藩が設置した。梵鐘は、元和元年(1615)のいわゆる大坂夏の陣で豊臣方が使用した青銅製の大筒(大砲)を徳川方が捕獲し、紀州藩が保管していたが、それを後に粉河の鋳物工人に命じて梵鐘に鋳なおさせたものと伝えられる。
約6m四方2階建ての鐘楼で、2階の大梁に梵鐘がつり下げられている。この鐘は藩士の登城時や時の刻を城下に知らせ二人の番人によって管理、刻限毎につき鳴らされたと伝えられる。また、時鐘堂のよこには「禁殺生」の碑もある。天守閣から見ると「ひし形の敷地が分る、後方は紀ノ川
城下町和歌山市内和歌山城は弘化3年(1846)には落雷により天守閣多門などが焼失、嘉永3年(1850)再建され国宝建造物として指定を受けていたが昭和20年(1945)戦火のため、またもその姿を消した。同34年和歌山公園として始めて公開された。
本城は、浅野時代の大手門であり徳川元和7年改修の時以来搦手門となった岡口門は、和歌山城唯一の遺構として昭和32年6月重要文化財として指定されている。平成18年3月に復元された斜めに架かる「御橋廊下」を見ることができなかったのは残念である!
その他の写真

2009年5月20日水曜日

スーパー駅長「たま」

たま電の内部
スーパー駅長たまちゃん
19日、会いたい、見たい「たま」ちゃんに~JR新快速で和歌山へ向った!!「猫」の駅長でテレビ番組など、知られるようになったことから会ってみたいと思っていたがやっと実現した!JR京都駅から和歌山駅→和歌山電鐵乗り換え、終着駅・貴志まで2時間51分で着いた。
和歌山電鐵「招き猫」のたま電車終点、貴志駅には駅長たまちゃんが向って右に居る
ローカル線和歌山電鐵は、乗客数・収益の改善のために「招き猫」の駅長“たまちゃん”が居るという!ホームは和歌山駅の9番線、駅裏であった。
幸先良く、「スーパー駅長たま電車」が来ていた! この電車の車体には様々なポーズのたまのイラストが描かれるなど車内外は“たまづくし”の電車になっていた。車体には様々なポーズのたまちゃんのイラスト車内にもたくさんのイラスト
和歌山電鐵では2007年1月5日より貴志駅スーパー駅長の三毛猫「たま」がつとめている!同時に母「ミーコ(助役)」と同居の「ちび(助役)」とともに貴志駅売店をすみかとする3匹のネコが、お客様が楽しく電車に乗っていただけるよう、手招きして待っている。寄り添って寝る、駅長たまちゃんとちび
たま駅長室
たまは和歌山県紀の川市の和歌山電鐵貴志川線貴志駅にて駅長を勤めている雌の三毛猫であり、同社より正式な辞令を交付されたことで話題を呼んだ。同時に同居する猫「ちび」とたまの母親「ミーコ」も助役に就任した。主な業務は「客招き」、報酬は年俸としてキャットフード1年分。任期はなく、終身雇用である。たま電車
ちびは目覚めたが…たまが「猫の駅長」として話題を呼んだことで各地の駅も動物などを駅長、あるいは名誉駅長として任命し注目を集めるようになった。
2008年4月には駅長室竣工に併せて、たまをイラスト化したマスコット「スーパー駅長たま」を公表した。また、たま達3匹の生い立ちは同駅の売店「小山商店」の飼い猫である。近所の人たちや駅利用客にかわいがられ「駅のアイドル」である。たまちゃんはちびの毛繕いをする
社長からたまちゃんに駅長の辞令当時、運営していた南海電鉄が赤字のため路線廃止。岡山県の両備グループが経営、「和歌山電鐵」が設立。小嶋社長の発案、「たまちゃんと目があった瞬間、ピカッとたまちゃんの駅長姿が頭にひらめいた」と・・・「招き猫」になって欲しいとの願いを込めて、以前から駅の利用者に親しまれていた、たま達を駅長などに任命することになった。これは和歌山電鐵移管後に合理化のために貴志駅を無人駅化したことも背景にあり、猫に駅長を嘱託した例は日本の民営鉄道では初である。ミーコは離れた場所でぐっすり眠る…
三毛猫の模様と帽子、ちびの寝顔駅長・助役への任命に際しては3匹それぞれに正式な委嘱状が交付されている。たまには特製の駅長帽と金色の名札も支給されている。
社内では唯一帽子に金色の線が入っている。また作るのが難しく、完成までに半年余り掛かったという。夏用もある。
カメラマンは、たまやミーコが動くたびにシャッターチャンスを狙っていたが、生憎この日は目を開けそうに無い!多客時では駅長室内で、閑散時は改札台や売店前のテーブルに上って乗降客を出迎えるのが日課であるそうだが、19日は観客もそう多くは無い…貴志駅で滞在(10:00~11:55)したわずか二時間では、たま駅長、ミーコ助役・ちび助役達は昏睡状態でとても残念だった!
たまはおとなしく、駅長就任から堂々の風格が出ているが、眠りすぎて”眠り猫”にならなけりゃ良いと思った! 休日夜間はここで生活する帰りのたま電車内
たま駅長たちの勤務日および勤務時間は月曜日から土曜日の夏季(6~9月)は9時頃から17時頃まで、冬季(10~5月)は10時頃から16時30分頃までである。
2009年3月22日にはいちご・おもちゃ電車もある!
<面会時の注意>
•当駅には駐車場など車を止める場所はない。
•写真撮影は自由だが、撮影の際はストロボを点灯させないこと。
•犬などに近づかれるとパニックを起こすので、決して連れて行ってはならない。
•健康管理に影響を及ぼすため、食べ物を差し入れてはならない。
•雨の日や冬季間の気温の低い日は体調を崩すおそれがあるため、駅長室からの面会になる。
•暖かい日や晴天日に会うことが望ましい。

2009年5月17日日曜日

「ちいさな仲間たち」

ちいさな仲間たちの写真展がギャラリー&喫茶 繭(無料)で5月14日から19日まで催される。この「ちいさな仲間たち写真展(昆虫)」は、特に蝶を主に写して今年で5回目になる。
高谷氏は障害者で「ロフストランドクラッチ」という歩行器を随時着用して撮影している。写真歴は25年、いろいろ撮影して来たのだが、風景写真は重量のかかる三脚や望遠レンズの持ち運びなどもあり苦手であると本人は明るく話した!また、健康リハビリのため自宅・山科区から撮影場所ガーデンミュージアム比叡に行っている。
私は昨年もこの写真展を観て感動した!
ことしは更に驚いた!
原文のまま、
昨年は撮影に行く回数が少なかった私達ですが、思いもかけず、珍しい蝶に出会うことが出来ました。「クジャクチョウ」暑い夏でしたが、当日は風の強い涼しい日でした。開いてくれた翅(はね)の模様を見たとき驚き!近くに大好きなアサギマダラがいなかったら、決して見つけることは出来なかったと思います。と、仰っている!
クジャクチョウとは=鳥のクジャクの羽にあるような眼状紋が有るのでクジャク蝶と言うらしい。表は派手なのに裏は真っ黒。学名は芸者と言うのもうなずける。本州では山地に棲息する。となっている。
あと、2日間だけだ!
日 時:5月14日(木)~19日(火)午前10:00→午後6:00
              (最終日午後5:00終了)
ところ:ギャラリー&喫茶 繭(まゆ)
場 所:下京区仏光寺通烏丸東入一筋目路地上ル
TEL:(075)351-2011
※地下鉄四条仏光寺西北角6番出口、または綾小路東北角3番出口。