2013年7月27日土曜日

祇園祭 還幸祭

つづく・・・1000人もの大行列が華麗な花笠巡行を観覧したのち、暑中に一服の涼を求めて、八坂神社で巡行奉納が行われた。午後5時からは祇園祭・還幸祭が四条御旅所で行われた。
久世お稚児さんは胸に木彫りの駒形(馬の首)をかけて行列に供奉。三基の神輿は四条御旅所に一週間滞在したあと、神社に神輿を戻す神事・還幸祭(おかえり)が行われた。 神幸祭(おいで)17日から神社の三基の神輿は四条御旅所に一週間滞在したあと、神社に神輿を戻す神事・還幸祭(おかえり)が24日行われた。
三条神泉苑に向かう行列の人たち。與丁と呼ばれる法被姿の担ぎ手は、「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と記した護符を身に付ける。
魔除けの「蘇民将来之子孫也」。お神輿の縄を締める。與丁は「おひねり」と言うらしく、素戔鳴尊を手厚くもてなした蘇民将来という人に書いた疫病退散のお守りである。
スサノヲノミコトが乗る中御座の神輿。御旅所の歩道は神輿を観る人で大混雑!神社の祭神 スサノヲノミコト(素戔嗚尊)・クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)・ヤハシラノミコガミ(八柱御子神)の各々三基の神輿が氏子区域をまわった。
與丁と呼ばれる法被姿の担ぎ手たちは寺町通を下がった。屋根が六角形の中御座が先頭で、久世お稚児さんは胸に木彫りの駒形(馬の首)をかけて行列に供奉され、四条寺町から高辻通西へ烏丸通四条~大宮から神泉苑に向けて出発した。
ホイット・ホイットと勇壮に練った後、高く差し上げた。一方、東御座の神輿は、櫛稲田姫命(スサノオの奥さん)で四角形の屋根をしていて、四条通を西へ向った。
クシイナダヒメノミコトが乗る東御座は四条通を西へ向かった。最後に控えた西御座、八柱御子神(子ども)の神輿で八角形の屋根で寺町通へと三基の神輿は別のルートで神泉苑を目指した。
祇園祭と神泉苑との関わりは869(貞観11)年、疫病が流行したとき、時の国の数にちなんで、神泉苑に六十六本の矛(ほこ)を立て、神輿を送り祇園の神に災難の除去を祈ったと伝えられている。
神泉苑との関わりは869(貞観11)年、疫病が流行したときから始まった。しんがりは西御座、6:00ごろ寺町京極に入り錦市場に向かった。三基の神輿は高々と差し上げられて「ホイット・ホイット」の掛け声とともに勇壮に練り歩き、それぞれ所定のコースを廻り神泉苑を経て氏子区域内を巡行した。夜遅くに神社に戻り「御神霊」を神輿から本殿に還す「御霊還し」が深夜営まれた。(完)(7/24写真撮影)

2013年7月26日金曜日

祇園祭 花傘巡行奉納in八坂神社

つづき・・・花傘巡行は1000人もの大行列は河原町御池から市役所前を迂回して寺町通を南下、四条通お旅所、それから八坂神社に還る。朝まで降っていた雨もあがりジリジリとした気候は蒸し暑さが特徴である。
子ども神輿は本殿前で高々と上げた。
楼門から1000人の行列が続々と入った。疫病が流行した夏、時の国の数にちなんで、神泉苑に六十六本の矛(ほこ)を立て、神輿を送り祇園の神に災難の除去を祈ったと伝えられている。これが町衆の祭として、鉾に車と飾りを施して京の都を練り歩く祇園祭になったという。
若い方が獅子役だった! 暑かったでしょうご苦労さん。
金獅子と銀獅子の奉納。花傘巡行の行列は12時前ごろ八坂神社に着いた。楼門(正門)に到着、子ども神輿が先陣を切った。
久世獅子舞はアクロバットだった!!祇園囃子太鼓が午後1時から、獅子舞(振付・茂山千之丞氏)、久世六斎念仏のアクロバットのような獅子舞や獅子と土蜘蛛のなどは観客から拍手が沸いた。
小町踊は太鼓を鳴らして踊った。
祇園東の芸舞妓さんたち。そしてお目当ての芸舞妓さんが登場、小町踊りは、京の街々に美しく化粧した少女らが太鼓を持ってテヶテンと打ち囃したという。
衣装も古代であった。
毎年、隔週で行っていて出し物違った!!祇園東お茶屋組合の芸舞妓さんによる小町踊りの舞踊だった。
続いて先斗町の芸舞妓さんたちが、歌舞伎踊「清元、津山の月」を舞った。
「出雲の阿国」は巫女さんだった。
京の鴨川河原で演じた踊りは、都の町衆によって支持された。出雲大社の「出雲の阿国」は巫女さんで京の鴨川河原で演じた踊りは、都の町衆によって支持されたという。
舞殿には8名が上がり奉納披露が行われた。祇園万灯会からは4人の少女による鷺踊り、この踊りは寛政年間、津和野藩に伝習していたが八坂神社が復興、いまから59年前(1954年)にお迎提灯として復活された。
また祇園祭音頭として1959(昭和34)年、花傘巡行より「万灯をどり」も参加、少女らは2週間足らずで覚えた踊りだったが見事に成し、花傘奉納舞踊もフィナーレを飾った。
祇園太鼓・獅子舞・六斎・小町踊・清元、津山の月・鷺踊と万灯をどりなどが舞殿にて奉納された。
鷺踊りは寛政年間、津和野藩に伝習していた。
三年ぶりで花傘巡行や奉納舞踊も観たが目当ての花街の芸姑衆による舞踊、来年は隔年で観られない・・・。
少女らは2週間足らずで覚えた踊りだった。
獅子舞や久世六斉の「獅子と土蜘蛛」は格別であり多彩な行列と芸能奉納の後祭であった。 このあと「還幸祭」はつづきとする・・・

2013年7月25日木曜日

花傘巡行 祇園祭

7月24日、八坂神社では祇園祭の山鉾巡行後の花傘巡行が行われた。「動く美術館」と言われる祇園祭は、壮麗を極めた山鉾巡行からちょうど一週間後、花傘巡行が行われた。
八坂神社では祇園祭の花傘巡行が行われた。
四条大橋で神輿の学童たち。祇園祭は、17日の先祭(山鉾巡行) 山鉾20基巡行と、24日の後祭(山巡行)9基に分かれていたが、諸事情により1966(昭和41)年に統一された。
山鉾の古い形態を再現するため「花傘巡行」を行うようになったという。
花傘巡行。山鉾の古い形態を再現するため「花傘巡行」を行うようになったという。
久世六斎保存会。
京都織物卸の美人さんたち?早朝から降っていた雨も上がり、
午前10時、祇園石段下の交差点は通行止めになり、元気いっぱいの子供神輿列や神饌花車、祇園太鼓を打ち鳴らして、
祗園東の芸舞妓さんたち。
先斗町の芸舞妓さんたち。獅子舞、馬長稚児、児武者や織商鉾の花傘娘や祇園東と先斗町の芸舞妓さんを乗せた花傘車や鷺踊など総勢1000名もの大行列は八坂神社石段下を出発し、四条通りを西に向けてスタートした。 
四条河原町を北上する祗園萬燈。
にっこりを微笑みを浮かべていた。この花傘巡行の大行列は、八坂神社から祇園石段下を通り、南座前や四条大橋を通過して四条河原町通を右折→市役所前から寺町を南下して四条寺町の御旅所を経由して八坂神社に戻る。
アーケードの下をゆっくりと進んだ。
寺町通の老舗、三島亭で一息ついた!沿道には大勢の人々が集まり、華やかな花傘行列を楽しみ、写真におさめていた。祇園石段下で行列を観覧後、四条大橋へと向い行列を待った。
笑顔で進む、花傘娘たちの方々。
先斗町のキレイ処・・・。さらに四条河原町上がる付近では祇園東と先斗町のキレイ処・芸舞妓さん、三条寺町通りの子ども神輿にやっと追いつけた!
祗園太鼓もうやうやしく・・・。
ワン公も花傘巡行を見ていた!!花傘巡行の大行列の方たちは老舗・三島亭で乾いた咽を冷茶で潤し、寺町のアーケードの中をゆったり通って行った。
馬上で武者が通った!
三人の浴衣姿も勢揃いし、祗園太鼓が通過する。四条お旅所はもう近い、お旅所では巡行を改める儀式があり、各行列から1名が名乗り出てた。さあ、八坂神社に急ごう!
獅子は頭をガブリ!!
神饌行列は西門が近い・・・。八坂神社の舞殿では午後1時から祇園祭・花傘巡行奉納があるがつづきとする。