2014年2月28日金曜日

都をどりPR 京都高島屋

25日、祇園甲部の置屋「イ」(にんべん)さんの「豆たろう」さんと置屋「福嶋」さんの「紫乃」さんの滅多にない御両名の店だしで充分満ち足りでいたが、京都高島屋1Fで、祇園甲部の二名の舞妓さんが「都をどり」をPRするために来ていた。
こちらは市十美さん。
パンフレットを配る置屋、小田本さんの「紗千穂」さん。舞踊公演「都をどり」は祇園甲部の芸妓さん舞妓さんの伝統の名にふさわしい磨き抜かれた伎芸を披露するために1872(明治5)年から始まった。
当時の副知事は一力亭に話を持ちかけ、博覧会の余興で「都をどり」になった。
様々な衣装も展示されていた。当時、明治維新による東京遷都は、京の街の人々にとって危機感を抱かせたという。副知事は、その一つとして娯楽をおもいつき、祇園万亭(現 一力亭)に話を持ちかけ、春季の博覧会の余興として祇園の芸舞妓さんのお茶接待と舞を公開することになったという。
舞妓さんの名前を書いた団扇も飾られていた。
過去のパネル写真。故・井上八千代師(三世)は、集団での『舞』を考え、背景を変えることで場面を変転させながら進めるという編成は、 極めて近代的かつ独創的な演出であったという。こうして出来た『都』を名とする『都をどり』が、祇園新橋小堀の「松の屋」で行われた。これが都をどりの始まりという。
花花見小路の小田本さんの舞妓「市十美」さん手に都をどりのパンフがあった。
古今の懐かしい風景が団扇に秘められていた!
翌明治6年には花見小路西側に新設された歌舞練場で第2回都をどりが開催され、以後、毎年春に行うようになって142回を迎えている。
過去の大戦後は8年間余中断したが、142回を迎えている。
花街健保組合にあった写真。京都の代表的な春の訪れを華やかに告げる風物詩、明治5年に始まった“都をどり”、「ヨーイヤサァー」の掛け声が一月後に迫り舞妓さんらはPRをされておられた。(2/25撮影)
<都をどり>
日程:4月1日(火)~4月30日(水)
場所:祇園甲部歌舞練場(東山区花見小路)
電話: 075-541-3391
時間:12:30、14:00、15:30、16:50(4回公演)
料金:4,500円(茶券付特等観覧券)    
    4,000円(壱等観覧券)    
        2,000円(弐等観覧券)
交通:市バス「祇園」バス停徒歩3分

2014年2月27日木曜日

店だし 祇園甲部2

祇園界隈は芸舞妓さんにとって華やかな「おとなの社交場?」であり現在、花見小路にはお茶屋さんが軒を連ねている。一方で置屋(おきや)さんは芸舞妓さんの所属するプロダクションの様なものである。
左、紫乃さんで、後ろ向きが豆たろうさん。
お茶屋、大恒さんに挨拶に行った紫乃さん。置屋「福嶋」さんから「店だし」舞妓さんがデビユーする佳き日を迎えことになったが、昨日と同様にお二方が挨拶回りの途中でバッタリと出くわした。きょうは置屋・福嶋さんの「紫乃(しの)」さんをご紹介しよう。
満面笑みを浮かべて男衆さんと共に姿を魅せ、各お茶屋さんやお店を一緒に回った。 紫乃さんは舞妓さんの雰囲気あった!!主役の紫乃さんは満面笑みを浮かべて男衆さんと共に姿を魅せ、各お茶屋さんやお店を一緒に回った。
一力茶屋で・・・。
真っ赤な襦袢と紅は下唇が印象的だった。紫乃さんは初々しく、好き嫌いはともかく「舞妓さん」としてはとてもよい感じがするとつよく思えた。
お茶屋、富美代さんはいま塗り替え中だった。 花見小路の割烹店にも挨拶。男衆さんが『店だしのご挨拶にまいりました』とお茶屋の中に入ってからいう、「福嶋」の紫乃さんが「おたのもうします」と挨拶、中から「おめでとうさんどす、おきばりやす」の声が聞えてきた。
修行一年目のとき上唇は口紅ぬらず、襟は可愛い赤い襟とする仕来たりがあるという。ぽっくり「おこぼ(赤い鼻緒)」は、歩くと鈴が付けられている。
襟足はお正月は三本にするが普段は二本、きょうは三本で特別な日である。
新橋通、房の屋さんの前で・・・。
豆たろうさんの「イ」さんに挨拶のあとで・・・。舞妓さんと芸妓さんの違いは、着物や帯も色鮮やかで、長く垂れた「だらりの帯」と「おこぼ」と呼ばれる高下駄が目印、地毛を結い花簪で華やかに飾る。
笑顔の素敵な紫乃さん、辰巳大明神で。
旅館白梅の梅と共に記念撮影。新門通の「イ」さんへも挨拶、白梅と辰巳大明神で記念撮影した。
白川巽橋で・・・。
舞妓さんになるには、八坂女紅場学園に通って舞を会得しお師匠さんに認められて、はじめて舞妓になる事の許される。 今日は華やかな店だし、 置屋「イ」(にんべん)さんの「豆たろう」さんと置屋「福嶋」さんの「紫乃」さんの滅多にない御両名のお披露目であった。

2014年2月26日水曜日

店出し 祇園甲部1

北野天満宮で恒例の梅花祭が行わるので8:30頃行ったが待つ間、25日13:00頃から祇園甲部で「店だし」があるとの情報を耳にした!それも置屋、福嶋さんと「イ(にんべん)」さんから二人の「舞妓さんデビユー」であった。
今日の主役、「豆たろう」さん。
置屋、福嶋さんと「イ(にんべん)」さんから二人の「舞妓さんデビユー」であった。 境内の三光門前広場の梅花祭、会場ではほのかに香りが漂うなか上七軒(かみしちけん)の芸舞妓さんらが色艶やかな着物姿で茶をたてたが11:30ごろ、タクシーを使って「イ」さんに到着した。
だらりの帯の後ろ姿。
女将さんと記念撮影。祇園新橋通りの置屋「イ」さんで「店出し(舞妓としてお目見えすること)」というお披露目があった。
女将さんから紋付の裾を直してもらっていた。
真新しい「「豆たろう」の表札だった。店だしとは、花街で舞妓さんデビューのことで、幼い少女が目出度く正式に舞妓さんになった儀式をいう。店だしは華やかで、色紋付に身を固めた緊張の面持ちの新舞妓さんと羽織姿の男衆さん、それを取り巻くカメラマンたちと観光客の一団で嫌が上にも混雑になった。
白川巽橋を渡って・・・。
新橋通りでお茶屋さんに急ぐ・・・。今日の主役、「豆たろう」さんは置屋の前で少し緊張気味に「イ」の女将さんから紋付の裾を直してもらって記念写真を撮った。
花見小路、一力茶屋へあいさつ。
みの屋の前で、豆たろうさん。店出しは男衆さんとお茶屋さんなどに挨拶廻りをするが、男衆さんは「豆たろう」さんの背中に回りカチッカチッと「火打ち石」をすって無事を祈った。
いよいよ店だし・・・男衆さんは東に向ってお茶屋さんの房の屋に入り「豆たろうさんで~す・・・」と触れ回りながら入った、それに続き、豆たろうさんも「おかあさん・・おたのもうします」とただひたすら頭をさげた。
慣れてきたのか笑顔が素敵だった!白川巽橋を渡って一力茶屋へ花見小路は左右どちらもお茶屋さんやご贔屓さんなどがある。 暫くすると、置屋・福嶋さんの「紫乃」さんとバッタリ出くわした!
背の高い方が「豆たろうさん」で福嶋さんの「紫乃」さんはふっくらとした感じだった。
男衆さんは「豆たろう」さんの背中に回りカチッカチッと「火打ち石」をすって無事を祈った。 背の高い方が「豆たろうさん」で福嶋さんの「紫乃」さんはふっくらとした感じだった。(パート2でご紹介) 新舞妓さんの「豆たろうさん」は「芸妓」になる前の修練期間(5~6年)で、一通りの舞や三味線、お囃子などを勉強し芸妓さんになるための修業をするという。
学校で「芸妓」さんになる前の修練期間を行う。
3/25、二人の一生の思い出は消えない・・・。 置屋で住み込みで半年~1年程度修業し舞や作法、花街言葉などを習得、そして晴れて「店出し」をするときは、本人を物心両面で支えるお姉さんと決め、姉芸妓さんたちと三々九度の盃を交わす「お盃」の儀式が行われるという。
ぽっくりの足も軽やかに新橋通の近くに戻ってきた。
店出しの日は、襟足のおしろいは通常2本だが特別な時は3本足に塗り、1年未満の舞妓は、下唇にしか口紅をつけることができなく、お化粧も美しく「おぼこいな~(可愛らしい)」と感じた。つづき店だし2をお送りする。

2014年2月25日火曜日

北野天満宮 梅花祭

25日、上京区の北野天満宮で恒例の梅花祭が行われた。関西の梅の名所で知られる天神さんは毎月25日を縁日として遺徳をしのび、祥月命日に当たる2月25日は「梅花祭」と称して神事の祭事が厳粛に執行されている。
神の使いの赤目の丑と楼門。
8:30過ぎ、10:00から始まる「梅花祭」に行った、おゃーカラスが・・・。春を告げるかのように咲き始めた梅の花は、約2万坪の敷地の境内に50種約1,500本があり3分咲きであった。
三光門前で急ぐ、芸妓さん。
上七軒の芸舞妓さんは全員天神さんの氏子という!境内三光門前広場の梅花祭「野点茶席」会場では、ほのかに香りが漂うなか、五花街の一つ、上七軒(かみしちけん)の芸妓さんや舞妓さんらが色艶やかな着物姿で茶をたて、多くの参拝者が華やかな雰囲気を楽しんだ。
かんざしも梅の花の舞妓さん。
上七軒の芸舞妓さんらが1952(昭和27)年から 野点(のだて)をするようになったという。 祭神・道真公の命日に遺徳をしのぶ祭りで平安時代から続くとされ、900年以上の歴史があるとう。
もとは供え物をする神事のみだったが、戦後、豊臣秀吉による北野大茶会にちなみ、茶道裏千家でお茶の稽古に励む上七軒の芸舞妓さんらが1952(昭和27)年から 野点(のだて)をするようになったという。
秀吉により北野大茶会が催されたのが始め。北野天満宮と上七軒の歴史は室町時代、北野社殿が一部焼失し、将軍・十代足利義植は社殿の造営、その社殿修築の残材を以て、七軒茶屋を建てたのがその由来である。
芸妓、舞妓さんのおもてなしの野点を楽しんだ。 その後1587(天正15)年、豊臣秀吉により北野大茶会が催され賑わいを見せた。 上七軒の芸舞妓さんは全員天神さんの氏子として、参拝の皆さんに野点の接待をしているという。
これが梅花祭・野点という。 現在、京都五花街があるが最も古い歴史を持っているのが上七軒(お茶屋)であり、名物御手洗団子(五つ団子の紋章)に由来する。
私は8:30過ぎ、境内の三光門前広場に行ったが写真愛好家は10人程度だったが顔見知りの増え三倍位になっていた!
梅花祭「野点茶席」会場は順番待ちの列ができるほど賑っていた。参拝者らが紅白の花やつぼみを愛でながら、芸妓、舞妓さんのもてなす野点を楽しんだ。
美しく咲いた紅梅。
三光門前の白梅。梅苑は3月下旬まで公開される、見ごろは3月上旬から下旬という、入場料(茶菓子付き)は中学生以上600円、小学生300円、障害者は割引有り。
<北野天満宮・梅花祭>
住  所:京都市上京区馬喰町 
梅 花 祭:芸舞妓野点(当日限り/お茶会席・1,500円)
三光門前:10:00~15:00
交  通:市バス「北野天満宮前」下車3分
電  話:075-461-0005