2010年12月28日火曜日

2010年のブログは今日で最後とします。

不定期ではございましたがこの一年間、お読みくださり有難うございました。
また、皆様方から多くの励ましの声を頂戴いたしこと心から御礼申し上げます。
まさか狭心症の疑い・・・とも知らずに、気軽に冠動脈CT検査を受けました。
一転、自覚症状も皆目無かった故、何かの間違いであって欲しいと思う反面、心は落ち着きをなくしていった。
15日、心臓カテーテル検査の結果、異常が無いことが判明したため、翌日退院になった。
友人たちからの、良かった! おめでとう・・・でも無理をしないようにと、気を配ってくれた感謝の念は忘れない。まだ師走だが一足早く、おめでとうとのメールのコールが鳴った。
それにも増して、残された人生、自分が与えられた使命は何なのか?
“まだ、やるべきことがあって、生かされている”いつも自問自答している。
皆様 良い新年を。

2010年12月24日金曜日

Winter Marching Party in KYOTO 2010

京都市北区の府立体育館で23日午後5時からWinter・Marching・Party・in・KYOTOが開催された。地元京都・塔南マーチングバントが主催となって行われていて、今年で4回目の開催であり3回目の来場である。指揮者の手が動く!
さすが塔南グリフォンズ2010年12月18・19日の集大成・イベントは埼玉県の「さいたまスーパーアリーナ」で第38回マーチングバンド・バトントワーリング全国大会のフェスティバルが行われ、地元京都「塔南グリフォンズ(Gryphons)」が堂々の5位入賞を果した。
23日は今シーズン最後のラストショーとして、府立体育館で近畿一円のカラーガードチーム・マーチングバンド9組が勢揃いして行われた。
二条中学吹奏学部最初は二条中学吹奏楽部、タイトルはELVIS!で2年生20人が演奏した。
2番目はeMOTION BRASS、結成して8年目となり大阪府高槻市を拠点に活動している。結成4年目だという
金賞を頂いた優華夢幻続いては、ガードチーム優華夢幻は兵庫県、結成4年目を迎え、全国大会に出場、コンテストで金賞を頂いている。ショウタイトルは天翔~命の輝き~。滋賀県
MiD24は初参加MiD24とは、Maboroshi Indoor Drumlineの略で24は構成者の数である。初めての経験でこれがファーストショー。5番目は、Guard Team ONE(大阪) 
6番目は滋賀県からAQUA、タイトルはLOVE LETTER。みんな笑顔が素晴らしい
大窪君スペシャルゲストに大窪さん、彼のPercussionの早撃ちは類をみない!
7番目は~幻~Brass&Percussion corps(兵庫)から。8つ目はLegend of ANGELS Drum&Bugle Corpsで大阪、タイトルは「迫り来る炎」
ラストは、塔南グリフォンズによる、巡礼、“夜明けへの旅路”は凄く迫力があり感動した!
巡礼、“夜明けへの旅路”マーチングバンドの軽快なリズムに乗せて・・・京都市立塔南高校吹奏楽部OBと現役部員の合同チームとして、京都「塔南グリフォンズ(Gryphons)」は全国大会に出場しているが一般の部マーチングバンド部門は17代表で関東地区の創価ルネサンスバンガードが優勝している。
観客のみなさまと感動を共にできるショー・演奏しながら「みんなでつくる」ことを目的に現役高校生や一般メンバーが心を一つにしてこれからも取り組んでいくという。団長の話に耳を傾ける部員
これで5位師走にMarching Party in KYOTO 2010が流れ、今年もマーチングバンドの歯切れのリズムやカラフルなカラーガードチームの踊りが観られる。入場は無料、午後4時30分開場で5時から開演し7時30分終演予定である。寒い冬の瀬、マーチングバンドの軽快なリズムはこの一年の憂いをとり除き、新年へと飛躍する!

2010年12月18日土曜日

2泊3日で退院だった!

15日午後2時、心臓カテーテル検査の結果、異常の無いことが判明され、翌日昼過ぎ退院になった。ご心配をお掛けしました方にはこの場を借りで謹んで申し上げます。
14年と長い歳月、障害は不自由だけれども、いままで元気にやって来た。
今年5月22日M・Sさんが急死した!
寿命といえばそれまでだが、人の命の儚さ無常を友の死が教えてくれた。
脳外科のMRIや血液検査は年数度行っているが、狭心症や心筋梗塞の検診は受けていないのが事実である。一見、健康なようでも突然病魔は襲ってくる!
14日2時ごろ、入院荷物を抱えながらシミズ病院に行き一時間程レントゲン撮影や心電図など生理学検査エコーで調べ、やっと3階の210号室の4人部屋に入った。他の3人は脳外科の方であったが比較的軽症にみえた。
翌日、5時45分起床、病院は9時消灯で目覚めは早い・・・1階の外来待合室に行ってみて驚いた。外はまだ真っ暗なのに10数名の方が診察券を出し並んでいた!
8時、朝食を食べ終わっていると循環器科の先生が回診し、午後から心臓カテーテル検査をするといった。看護師は10時ごろから点滴の用意を始めて、下腹部体毛を剃るという、男子の看護師で冗談を交えながら剃った。これは「大腿動脈穿刺」の後の止血の粘着テープをするためであった。両方の足にはキツイ目のストッキッグが履かされ、血が脳や肺や心臓など予防の為と言っていた。また小水も測っている。
12時半ごろになり、前開きの手術着に換えた。血圧・体温測定も万事整っている。
看護師は、検査後手術になればこの部屋には戻らず、1階のICU治療室に向かうが、何もなければ戻るといった。
覚悟は出来ていた。狭心症の疑いで場合によってはステントをいれて症状を改善して冠動脈の狭窄を解除すると先生はいっていた。
覚悟を決めろ、覚悟さえ決めれば勇気も勝手に湧いてくる。何も怖くないと自分に言い聞かせた・・・。3階の210号室を後に台車に乗せられて、1階の心臓カテーテル検査前に着いた。
10数名の多勢のスタッフが待ち構えていて、準備万端整えて直ぐ、先生が中心になり局所麻酔したが痛くはなく、足の付根による大腿動脈も左心カテーテルの所作も解らないままだった。冠動脈造影は血管全身が一瞬熱発する。「大丈夫ですか?」と、女性スタッフが声を掛けてくださった。 
先生は、元の部屋に戻れるよ!といった。有難うございますと、いった。
スタッフの方は大腿動脈の出血を手で押さえ、帰れるからと話、その後テープで三ヶ所貼った。
3階に戻ってからは15分おきに看護師が体温・血圧を調べ、看護師からも歓ばれた。5,6時間は右足を真っ直ぐ延して置かなければならない!3時間は我慢出来たが、腰が痛くなり枕を左足に、そして腰を少し振った。お昼絶食で20時お腹も減る!依然として、点滴の量は朝まで続行であり、明日、昼食後もある。
心臓のCTやカテーテルの検査は、初めてで不安であったが2泊3日の入院で退院できた事に先生等スタッフに感謝したい。
なお、暫く自重したい。

2010年12月13日月曜日

京都 シミズ病院入院

1997(平成9)年9月、52歳のとき知人宅の工場を訪ねたが、突然気分が悪くなり倒れ、それから一ヶ月余意識不明がつづき植物人間か治っても車イスの生活だといってたが、一命を免れ今年で14年を経た。病名は脳内出血によるものだった。
シミズ病院・洛西シミズ病院に六ヶ月、また三重県の榊原温泉病院に四ヶ月半、京都へ戻り四条御前の京都市リハビリテーションセンターに入所三ヶ月、都合一年間余の闘病生活が続いた。
京都市からの身体障害者手帳も交付され障害名は左高血圧性脳内出血による右上下肢機能障害なっている。
職業は転職を余儀なくされ伝統の京染め・型染友禅に見切りを付け、城陽市青谷にある京都府城陽訓練校の門と叩いたが入校出来ず、下京区の七条職安にも一年近く通い面接も何度かしたが、右手が使えないなどの理由から不採用になった。そのとき家内が写植&パソコンをやってたお蔭で南区の洛南身障者福祉会館を知った。
早いもので14年・・・この頃は洛西シミズ病院で週一度のリハビリのため物療療法を受け、月に一回の定期診察を受けている。
今年5月、ある友人が出先で突然他界した!
彼もまた、心臓の障害を受けた方であり、その事を主治医に報告したのである。
そのとき、主治医は一度、心臓のCTの検査を受けたらどうかと奨めてくれた。というのは、最近脳障害を受けた方に、狭心症や心筋梗塞になる方が多いと云われた。
心臓CT検査を受けられるのは、腎臓に障害が無い事と呼吸を17秒間止めなければならないとおっしゃった。さして心臓の方はいまだ大丈夫で、主治医の奨めに任せたのは、11月定期診察の日だった。
検査はシミズ病院で午後3時、今回実施する検査は「冠動脈CT」で造影剤使用して行うことで、造影剤は注射で血管から注入するが、その際一時的に熱くなる。検査は2,30分で終了する。循環器の先生がその結果をみて、12月の定期診察のときに脳外科の主治医に渡してくれた。
検査の結果、鮮明に映ったCTの写真を手に先生は話され、三本のうち一本の血管が90%の狭窄があり心臓のカテーテル検査の必要があると循環器の先生の診断だった。
主治医は、息苦しいとか自覚症状がないにせよ、シミズ病院の循環器の先生を訪ねてみる事を奨めた。まったく自覚症状もなくこのままでも良いのだが、不整脈や心筋梗塞など障害が起きたら大変である。
その結果、自覚症状はないにせよ、狭心症や心筋梗塞などの病気になったら怖く12月14日入院、15日手術、心臓カテーテルの検査および冠動脈造影、その他ステントを入れると先生はおっしゃった。先生は、3,4日で直ぐ退院だという。
平成9年以来の入院であり、ことがことだけにショックで不安も大である!
西京区内には病院は点在しているが、この病院の主治医を始め、先生が見つけてくれた事を感謝して、手術を受ける覚悟である。
※いつもご愛読くださり有難うございます。入院のため暫く休稿します。

2010年12月12日日曜日

クリスマスコンサート

12月9日木曜日、午後3時から中京区の京都市身体障害者リハビリテーションセンターで“地域リハの集い”「クリスマスコンサート」が行われた。ファゴットは楓の木管楽器ファゴット奏者・先崎さんとピアノ伴奏の松田さん
寒い雨交じりの悪天候にも拘らず会場のセンター1階研修室には障害者たちが訪れ一時間あまりファゴットの音色に耳を傾け聴き惚れていた。
今年度三回目のつどいはクリスマス会としてプロの演奏家によるコンサートを開催したが、ファゴット(伊:fagotto)て何だか解らない???・・・。伴奏の松田さん
演奏の合間、ファゴットについて説明した出演者のファゴット奏者・仙崎さんとピアノ伴奏・松田さんのお二方で、クラッシックを4曲、冬のソナタ・また君に恋してる、涙そうそうなどホワイトクリスマス10曲をファゴットとピアノの演奏で楽しませてくれた。
ファゴットは楓の木管楽器の一つで、オーボエと同様に上下に組み合わされた2枚のリードによって音を出す楽器という。英語では音色からバスから、「バズーン」ともいう。演奏の合間に、先崎さんは詳しく教えてくれた。熱演する先崎さん
左手に持っているリードファゴットは指10本全部を使う、めずらしい楽器で、特に親指の活躍はめざましく、左手の親指で操作するキイは10個もある。両手の指ですべての音孔を押さえるために、管を折り曲げてあり、その様が“薪の束”のようであるところからイタリア語ではファゴットと名付けられたとお話していた。
花束を贈呈したかなり重量があり演奏時にはストラップを用い、楽器を斜めに構えて吹くという。音域は2オクターブ、特に最高音域はリードを噛むなどの多少特殊な奏法が要求される。
先崎さんはリードを外し、吹いてみるが紙を口に当てて吹いたような奇妙な音がする。
                        リードはいつも湿度与えなければ割れてしまうといって、美味しくないが舐めている(笑い)という。もちろんリードも木製だという。初めて見る楽器で音色は少しのんびりとした感覚であるがオーケストラには欠かせないものだと言っていた。関係者に聞くと会場は100人余だった
花束を抱えるファゴット奏者とピアノ伴奏の二人ファゴットは楽器を見るのも初めて聴くのも初めてだったが、カエデからの木管楽器で甘いメロディーのような曲が合う気がした。
一足早いクリスマスコンサートだったがファゴットの音色に100名余の会場は余韻に酔っていた。

2010年12月11日土曜日

岩倉 大雲寺(だいうんじ)

京都北部にある、岩倉実相院や岩倉具視の旧宅が有名だが、そのすぐ傍に大雲寺という寺がある。石仏とお墓
大雲寺は廃寺ではない大雲寺は廃寺になったかのように観光ガイドなどに書かれているが1985(昭和60)年6月火災により江戸時代から続いた本堂が消滅した。旧本堂は約350年前、寛永年間に建立した建物だった。現在は「不二坊」跡地に再建し仮の本堂として本尊の十一面観音菩薩像(行基作)を安置している。晩秋の紅葉
旧境内のお堂 大雲寺は971(天禄2)年、円融天皇の勅願寺として創建された。
約千年前の平安中期のころ、大雲寺は広大な境内に講堂・五大堂・灌頂堂・法華堂・阿弥陀堂・真言堂の六堂宇を備えた大寺院で、初代・真覚上人と千余人の僧を擁し、智証大師流の天台法門を伝える洛北屈指の名刹だったと伝わっている。左は不動明王、右は妙見菩薩鎌倉時代の仏像群
戦国時代の兵火で多くの建物を焼失、寛永年間に一部再建したが25年前の火災で本堂を焼失した。またこの寺は「源氏物語」や「太平記」「好色一代女」にも登場するという。高倉陵
旧寺地には病院や老健施設が建っている旧境内は岩座神社の西側で、現在は介護老人福祉施設や病院等が立地している。旧寺地には余慶僧正ゆかりの閼伽井(智弁水)や不動の滝が残り心の病がよくなるよう加持祈祷を受ける“垢離場”であったという。
周辺には実相院宮墓、昌子内親王高倉陵などが残っている。楓
付近は暗かったが・・・また鎌倉時代の大きな3面石仏や石碑・石仏類も周りにある。旧境内地に結ばれた堂宇では、脈々と法灯が護持されていて観音信仰がいまも続いている。
 <大雲寺>
住所:京都市左京区岩倉上倉町305 電話075-791-8569
交通:京都バス岩倉実相院下車徒歩3分

2010年12月10日金曜日

岩倉 石座神社(いわくらじんじゃ)

岩倉実相院のバス停から北へ向かうと直ぐ「石座神社」がある。門跡寺院である岩倉実相院の一角にあって毎年10月23日に近い土曜日の未明、石座の火祭が行われる。ハ所明神本殿(東)と十二所明神本殿(西)実相院の北、ゆるやかな上り参道に鳥居がある
火祭りの由来は、昔、石座に雄と雌の大蛇が住んでいて住民に大きな危害を加えていたという。神前の灯火で退治せよとのお告げの通り、松明に神火を点すと二度と大蛇は現れなかった。 この由縁に感謝し、今日まで松明の点火が伝承されている行事である。拝殿
大小の燈籠、この中に岩倉具視もある立札よると、石座神社の創建は不詳であるが、日本三代実録によると880(元慶4)年に従五位下を授けられていた。その後、971(天禄2)年に大雲寺が建立され、その鎮守社として石座以下8神を祀る八所明神が997(長徳3)年に勧請されると、石座神社はその御旅所とされ、またのちに伊勢ほかの4神を加えて十二所明神が祀られるようになったと伝える。明治以降は、ハ所・十二所明神社が石座神社と改称され、元の石座神社は山住神社と呼ばれている。総本社は奈良御所市一言神社の鳥居
境内の最奥にほぼ南面して建つハ所明神本殿(東)と十二所明神本殿(西)は、ともに一間社流造で、ほぼ同じ規模を有し、棟札から1766(昭和3)年に同時に造営されたことが明らかとなる。京都という伝統が強い地域の近くに立地することから装飾は極めて少なく、一間社流造の古式な姿を残している点に特色がみられる。
また、敷地の高低差を利用しながら軸線を強調した境内位置はみごとで、石垣や石段とあいまって優れた環境を形成している。さらに、この境内地は建物自体は新しいものの、市内ではほとんどみられない宮座の建物を残す例としている。真っ赤に紅葉したモミジが美しい

願いを一言だけきいてくれる神社として親しまれているまた毎年早朝の行われる火祭(市登録無形民族文化財)には、是非行ってみたいものである。また境内には、一言主神を祀る一言神社もある。
<石座神社>
住所:京都市左京区岩倉上蔵町302 
自由拝観
交通:叡山電鉄 岩倉駅 徒歩約20分 岩倉実相院北側
   京都バス 岩倉実相院バス停 徒歩2分

2010年12月9日木曜日

奥嵯峨 祇王寺(ぎおうじ)

京都・奥嵯峨にある小さなお寺・祇王寺は平家物語ゆかりの寺である。祇王寺は往生院といった祇王寺入口
祇王寺は竹林や苔の絨毯が印象的な静かな庵だが、秋の真っ赤な楓が苔を覆い尽くすころ、多くの観光客で賑わう。そこは小倉山の麓で美しい楓と竹林に包まれたところ、表門は普段閉じられている。平家物語が涙を誘う
奥嵯峨は観光客でいっぱい!このひっそりとした地に建つ祇王寺は、大覚寺の塔頭で法然上人の弟子が往生院として創建した。本堂の控えの間、吉野窓
コケと散もみじ往生院は江戸末期まで存在していて、その後荒廃、ささやかな尼寺として残り、のちに平清盛の寵愛を受けた白拍子が家族を連れて出家したことより祇王寺と呼ばれるようになった。コケに紅葉が積もって綺麗!
右が平清盛の供養塔、左が祇王物語によると、清盛は美しい舞踏を舞う祇王を寵愛していたが、ある日、清盛の屋敷を訪ねて、舞を披露した仏御前に心を移して祇王を追い出してしまう。
あわれ無常を感じた祇王は母と妹を連れこの寺へ出家した。すると後日、仏御前も同じように世の中をはかなく思い、出家したいとこの庵を訪ねた。四人で念仏三昧の日々を送るに至ったと伝わる。竹林
一面散った紅葉なお、仏御前のお墓がここにないのは、その後出生地の北陸へ帰り余生を過ごし極楽往生したという。奥嵯峨・祇王寺、哀れな白拍子四人が隠棲した悲話を感じた・・・紅葉の季節、静かに座りながら散紅葉を見つめていると郷愁が甦ってくる。秋は始めてきた
出口でみた紅葉庭園をぐるりと回遊する順路になっている庵内は紅葉の名所として知られている。見ごろの11月下旬で落ち葉に敷き詰められ美しい光景が焼き付くだろう。
<奥嵯峨 祇王寺>
住所: 京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32  電話番号:075-861-3574
拝観時間:300円 ・障害者100円
拝観料:9:00~16:30
交通: 市バス・京都バス「嵯峨釈迦堂前」下車徒歩約15分
     JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」下車徒歩約20分