2010年11月28日日曜日

岩倉 実相院門跡

左京区岩倉にある実相院は、もと天台宗寺門派の門跡寺院である。現在単立寺院で不動明王を本尊としている。樹齢100年という古木の楓の樹
岩倉実相院は紅葉が有名である
1229(寛喜元)年、静基(じょうき)僧正を開基とし北区の紫野に創建された。さらに京都御所の北西に移転、応仁の乱から逃れるため岩倉に移った。表の枯山水は石庭と白砂を表している裏の池泉回遊式の庭園は参詣者で混雑
多くの伽藍等は戦で焼失したが江戸時代初期に足利義昭の孫義尊の時代、母が後陽成天皇に仕えた関係から、天皇家とのゆかりは深まり華やかな時代を迎えた。その後、実相院には皇孫の入室が代々続き、故に岩倉門跡と呼ばれている。床もみじも良いが富士山のようなアングルで・・・
1720(享保5)年には、東山天皇中宮・承秋門院の大宮御所の建物など、本堂や四脚門・車寄せ、客殿は女院の住いとしての風格がある格式の高い建築物が移築されている。また狩野派の画家たちの描いた襖絵等も多く保存され見学することができる。実相院は初めての体験!綺麗さに驚くばかり!
ただ老朽化が進み主な建物は多数のつっかい棒が施されてようやく倒壊を免れているのが現状である。幕末には岩倉具視も一時ここに住んでおり、当時の密談の記録などが残されているという。
実相院は書院と客殿との間に、池泉回遊式庭園と枯山水の石庭の2つがある。この間、NHK朝のニュースで実相院の紅葉の見どころを特集していたが、やっと来る事ができた。綺麗な紅葉を見て心が和む
岩倉は来る機会がなかった池泉回遊式庭園の池には“モリアオガエル”が生息しているが、今は紅葉の時季、色鮮やかな楓と杉苔のコントラストが魅了している。次に、見るものを引きつけて止まないのは、部屋の黒い板の間に景色が反射する光景にことばはいらない!
新緑、紅葉の頃とも見所となっており特に、床みどり、床もみじと呼ばれ珍しいものである。(写真撮影不可)
石と白砂と紅葉最後は枯山水の石庭、真っ白な海と燃えるような紅葉の赤がおおい思わず息を呑むような世界を垣間見られる。それぞれ赴き異なる庭園は野趣溢れる彩り鮮やかな見事なもので、縁側に腰掛けてこの風景を焼き付けるのも好いだろう。池泉回遊式庭園では縁に腰掛けて風景みる
思わず息を呑むような世界庭園の池泉回遊式庭園と枯山水、紅葉が床に照り映された「床もみじ」の景色の光景は他所にない美しさで魅了している。幽玄と静寂に包まれた洛北の名所、紅葉の季節は多くの参詣者・観光客は満喫し賑っていた。
<実相院門跡>
住   所:京都市左京区岩倉上蔵町121 電話:075-781-5464
拝観料金:500円 ※障害者250円
拝観時間:9:00-17:00
交   通:地下鉄烏丸線国際会館駅~京都バス乗車、実相院前下車
駐   車:なし

2010年11月27日土曜日

東山 西行庵

つづく・・・イチョウの黄金色の葉が風に吹かれて舞い散る・・・西隣の芭蕉庵から西行庵を訪ねた。円山音楽堂の南側にある西行庵の門をくぐった。母屋「浄妙庵」
樹齢何百年のイチョウの木だろう?西行法師は、平安時代末期の僧侶で1118(元永元)年~1190(建久元)年であり、新古今和歌集の代表的歌人の一人でもある。
もと鳥羽上皇の北面の武士であったが、1140(保延6)年に出家し諸国を行脚(あんぎゃ)して風光明媚な自然を愛で和歌を詠んだ。
この地は、彼が「蔡華園院(西行草庵)」を営んだところと伝えられている。入口にあった紅葉
奥にある西行堂その後荒廃していたが、1893(明治26)年に、富岡鉄斎が勧進文を書き、庵主小文法師が浄財を募り、当時の内貴京都市長らの尽力により再建されて現在に至った。
茅葺の母屋は、大徳寺塔頭真珠庵の別院を移したものであり、母屋「浄妙庵」と茶室「皆如庵」からなっている。また皆如庵は北野の久我別邸より移された桃山時代の名席で、円窓床と「道安囲」が有名である。西行堂の前の石仏
中から入口をみる正面の西行堂には歌僧西行法師、和歌四天王の一人・頓阿(とんあ)上人、冷泉為村、小文法師の四人の木像が安置されている。  
毎年三月中旬には、皆如庵で西行忌茶会が行なわれる。  
願はくは 花の下にて 春死なむ  その如月の 望月の頃  西行(山家集)
平安末期の歌人西行が結んだ庵で母屋と廊下で結ばれた茶室。
皆如庵は桃山時代を代表する名席で拝観できるほか、お点前もうけられる。
(完)

2010年11月26日金曜日

東山 芭蕉堂

京都・東山にある芭蕉堂は、円山音楽堂南側あって芭蕉の慕った西行法師ゆかりの西行庵のすぐ西隣にある。芭蕉堂は1990(平成2)年以来、20年ぶりの特別公開(19日・21日のみ)とあって市民や観光客が訪れていた。森川許六作の芭蕉木像
20年ぶりに開門した芭蕉堂
お堂はかやぶき屋根で広さは二畳ほどで小さく、内部には芭蕉木像が安置されている。江戸中期に俳聖松尾芭蕉を偲ぶため、芭蕉にゆかりの深いこの地に加賀の俳人・高桑蘭更(らんこう)が建てたのが始まりとされる。堂主は京都在住の俳人が代々管理していたが、20年前に持ち主が代り門が閉ざされていた。雙林寺中の芭蕉堂
二日間、市民が訪れる
今回立命館大学アート・リサーチセンターの所有するところとなり、芭蕉堂を一般市民に公開となった。芭蕉の没後、加賀の俳人高桑蘭更は金沢に生まれ、俳諧を学ぶが飽き足らず、家職を捨て京に移住し医者をする傍ら、許六刀芭蕉像を安置し芭蕉堂を建てた。小さな建物は記念碑的な庵で、現在のものは江戸時代当初の建物ではない。弟子であった森川許六がその像を造り安置したという。
お堂はミニサイズだが、弟子たちが芭蕉の慕った西行法師ゆかりを西行庵のすぐ西隣にこの芭蕉庵を建てたというところに意義がある。 開かずの門が開いた!
芭蕉堂の前の額諸国を旅して自然を友とした西行が、この地に阿弥陀房を訪ねている。
芭蕉は、この西行を心の師とし西行を慕って旅の生涯を送り、この地で
    「しばの戸の 月やそのまま あみだ坊」の一句を詠んだと伝わる。 
芭蕉堂の開かずの門は、いつ通ってみても締め切られていたが、20年ぶりに門は開いた。今回は2日間のみだったが、一般市民に公開してほしいと思った。
つづく・・・

2010年11月23日火曜日

有栖館・旧有栖川宮邸

有栖川宮旧邸の平安女学院大有栖館は上京区烏丸通にある。この門は、歌人・吉井勇が「青天門」と名づけた 
旧有栖川宮邸入口有栖川宮邸は、「四親王家」と呼ばれた宮家の一つで京都御所の建礼門前に建てられていた。明治時代に東京へ移住後、京都裁判所の仮庁舎等として使用され、明治24年にその一部が現在地に移された。写真が展示してある
熾仁(たるひと)親王と慰子(やすこ)親王妃有栖川家は1625(寛永2)年、後陽成天皇の皇子・好仁親王により創設された。1923(大正12)年、慰子(やすこ)親王妃の死により絶家となるまで、300年の歴史がある。有栖川宮家の家系図や明治維新時の熾仁(たるひと)親王にかかわる資料を展示している。作庭は11代小川治兵衛
植治の庭烏丸通りに面した門は、1912(大正元)年、三井高保氏が邸宅の表門として建築した。豪壮な趣を持つ平唐門で1952(昭和27)年、現在地に移築したもので歌人・吉井勇が“李白の詩”から字をとってこの門を「青天門」と名づけたという。
青天門は左右の塀と共に大正時代の門建築として高い価値があるという。 15畳の「能舞台の間」の板張りの間
床の間と付書院を備えた2畳の「上段の間」書院造りの厳かな邸内では、「玄関棟」「住居棟」「客間棟」の3棟に分かれ、客間の西側には、床の間と付書院を備えた2畳の「上段の間」があり、その隣には15畳の「能舞台の間」の板張りの間があり幕末から大正時代にかけての宮邸のおもかげを今に伝えている。下立売通沿いの白い漆喰塗りの長屋門
春桜のころ、美しい景観を魅せる下立売通沿いの白い漆喰塗りの長屋門の築年月は不明であるが、築地塀として長屋門形式は最上級であるという。
また、庭内にある2本のしだれ桜は、塀を越え烏丸通に枝振りを見せている。このしだれ桜「実生(みしょう)の桜」は、1952(昭和27)年、堂本印象画伯の案により、醍醐三宝院から移植したもので、太閤秀吉が醍醐の宴をした当時の桜の孫の樹だといわれておる。 11代小川治兵衛さんが手がけた庭園には、青天門の両側の桜とカエデの丘には、氏自らにより「立ち話でもなんですさかい」と付けられたベンチ代わりになる景石が据えられている。 兵を越え大きく張り出している
廊下には畳が敷いてある作庭の白砂と緑の鮮やかな庭園もみどころで訪れた人が見入っていた。 現在は平安女学院大学「有栖館」として受け継がれている。
京都御所の一般公開に合わせて昨年から特別公開していて、多くの観光客等が公家屋敷の雰囲気を楽しんだ。
 <有栖館・旧有栖川宮邸>
場所:京都市上京区下立売通烏丸西入五町目町172-2 電話:075-414-8111
   ※特別公開11月17日~21日まで(午前10時半~午後4時半)
   ※入場料500円(障害者も同じ)
交通:市営地下鉄「丸太町」駅、北へ徒歩3分。
    市バス「烏丸丸太町」駅、徒歩約5分。

2010年11月21日日曜日

史跡・御土居の紅葉 北野天満宮

つづく・・・通称・天神さん(てんじんさん)と親しまれている北野天満宮は、菅原道真を祀った神社で学問の神さまとして知られている。本殿の左に御土居の入口ある御土居の紅葉
天満宮の境内西側には、1591(天正19)年、豊臣秀吉が洛中洛外の境界、また水防のために築いた土塁「御土居(おどい)」の一部が残り史跡に指定されている。あまり綺麗で言葉に表せない
御土居にある鶯橋御土居は、秀吉が長い戦乱で荒れ果てた京の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街を守る堤防として築いた。
そのほとんどが江戸時代に取り壊され、現存するのは天満宮の境内ほか数箇所となっており、1965(昭和40)年に都市計画の重要な遺構となっている。御土居の紅葉
三叉の紅葉史跡御土居には、現在でも自然林が残り、四季に応じ様々な美しさを感じることができる。 四百年を優に超える大木
三叉の紅葉の大木は樹齢400年紙屋川沿いの御土居一帯に自生しているものと新たに植林された、およそ250本のもみじがあり、樹齢400年を超えるといわれる「三叉の紅葉」をはじめ、楓科としては非常に珍しい大木が数本ある。三年前から公開中
見ごろは11月後半    このたびは 幣もとりあへず 手向山 
                      紅葉の錦 神のまにまに 
            小倉百人一種の道真の歌が総門(南門)に掲げられている。親友と二人連れ
手向山の楓樹平安時代、宇多上皇が奈良へ御幸されたときお伴され、若草山のほとりに鎮座する手向山八幡宮へ参拝されたという。急な参拝ゆえ幣帛を持ち合わされなかったが、境内の錦のように色づく紅葉にしばし心を奪われるほどの感銘をお受けになり、その紅葉を御神前に手向けたい、というお気持ちで詠まれたという。
秋の紅葉は道真がこよなく愛でられた梅と同様に、もみじの樹木が御土居一帯に神徳を偲ぶかのごとく鮮やかに彩られる。
また、御土居にはかつて紙漉き場であった紙屋川が流れており、赤や黄に見事に染まった木々が水面に映え、錦秋の世界へ誘う。お茶と菓子、炭が暖をとる
御土居からみた天満宮この御土居の公開に合わせて、ライトアップが行われるほか、もみじ苑内などでさまざまな催しが行われる。三年前からもみじ苑として公開しているという。
(完)
<史跡・御土居のもみじ苑>
住所:京都市上京区馬喰町 電話:075-461-0005
日時:2010/11/23(火・祝)、25(木)、27(土)~28(日)、12/4(土)~12/5(日)
   ※ライトアップ時間…日没~20:00
料金:境内無料 
   ※もみじ苑入苑拝観料…大人600円 障害者300円(茶菓つき) 
交通:市バス ※いずれも「北野天満宮前」下車すぐ
駐車場:あり