2017年11月30日木曜日

清荒神(護浄院)お火焚祭と採燈護摩供

28日、上京区荒神口西入るで、清荒神(きよしこうじん)こと護浄院(ごじょういん)で、お火焚と採燈護摩供(さいとうごまく)が営まれた。
古くから清荒神は、火の守護神で、恐ろしい形相をした三宝荒神像を祀っている。
清荒神では、午後2時から山伏と近隣の幼稚園児によるチビッコ行者の地域お練りが行われた。
山伏とチビッコ行者のお練り。
荒神口通を東に向かい、河原町通を渡った。
わかば保育園がある。
チビッコ行者たち。
清荒神にやっと戻った。
園児たちは、護摩壇の回りに座り、座主から短剣でお祓いを受けた。
午後3時から、本堂前に組まれた護摩壇に修験行者が清荒神や不動明王などを勧請し、護摩供の儀式は弓を四方と鬼門と天に放った後に短剣など、儀式が行われた。
火が点灯。
儀式が終わると、幼稚園児は退場し護摩壇に火が点けられた。
護摩木の息災降伏や煩悩消滅を祈願する火が焚かれた。
燃え上がる赤い炎と白い煙が、行者が唱える声とともに、晩秋の空を昇っていった。
天台宗の寺院で護浄院は、本堂前には石の鳥居があり、京都七福神めぐりの福禄寿の寺としても知られている。(11/28撮影)

2017年11月29日水曜日

南区 波切不動尊のお火焚祭

27日、東寺の近くの住宅街にある石上神社 (いそのかみじんじゃ)は、正式名を「石上布留社(いそのかみふるしゃ)」といって、東寺の北、阿刀家の屋敷跡もある。
平安から明治に至るまでの間、東寺の執行、寺の役職を務めた阿刀家がお祀りしていた神社である。
阿刀家は、弘法大師(空海)の母方の実家で、823年(弘仁14年)から1871年(明治4年)まで真言宗政所の主宰を世襲したという。
境内には波切不動尊もあり、午後1時から神事が始り、続いて火床前で祈祷をした。

御火焚祭は、稲穂を一掴み折って火床に入て、稲束を燃やし点火した。
点火後は、祈祷しながら護摩木を入れて、信者さんや檀家さんが一緒にお経を唱えた。
石上神社境内の波切不動尊は、四国路、東寺、高野山などの霊地に参っても、この波切不動明王を参らなければ、ご利益は頂けないのだという。(11/27撮影)

2017年11月28日火曜日

岬神社 土佐稲荷の御火焚祭

27日、午前11時から岬神社で土佐稲荷の御火焚祭があったので参列した。
岬神社は河原町蛸薬師東入るで農耕や商売・土木・金工など、諸業の繁栄、火難・厄除けなどの御利益がある。
岬神社・土佐稲荷の御火焚祭が行なわれた。
江戸時代初期、祭神の祠は「お稲荷さん」の愛称で親しまれ、土佐稲荷と呼ばれるようになったという。
岬神社・土佐稲荷は土佐藩士のみならず、先斗町の綺麗処や木屋町から町衆が「産土神」として信仰を集めていたという。
また坂本龍馬や中岡慎太朗らも参詣、社殿は大正2年に建立、現在地に移転、例祭は6月10日、神輿が出るという。  (11/27撮影)