2014年3月31日月曜日

祇園東 観亀神社茶会

29日の土曜日、祇園東界隈の氏神様である「観亀神社」において、舞妓さんによる茶会が午後2:00~4:30まで行なわれた。
茶会が午後2:00~4:30まで行なわれた。
祇園東の「観亀神社」で、舞妓さん五人による「おもてなし」の茶会が開かれた。この催しの茶会は縄手新橋からの白川沿いの石畳に連なる桜並木を散策する、「祇園白川宵桜ライトアップ」イベントの一環として花街・祇園東が開いた。
最初にお茶を点てるのは涼香(りょうか)さん。祇園東は江戸期の八坂神社、清水寺への参拝客を相手とした「茶屋」とそこで働く「茶点て女」が起源となった。
明治時代になり花街、祇園町が分離され四条通り以北、花見小路以東が‘祇園東’へ改称され現在に至っておる。その小さな社の観亀神社は祇園東一帯の氏神様として古くより親しまれている。
舞妓さんたちはお手前を・・・
正式には観亀稲荷(かんかめいなり)神社、1718(享保3)年開創で、祭神は加具都智命(かぐつちのみこと)宇賀御魂命(うかのみたまのみこと)、霊験あらたかな火伏せの神様を祀っている。
地元との人には観亀(かんき)さんと呼ばれて親しまれている。
何気ない素振りも・・・。江戸時代に膳所藩京都屋敷があったところで、幕府より御所の「火の番」を命じられた、「火伏せの神」である遠州秋葉山の秋葉権現を勧進したものであるという。
襟かえはいつ頃かなぁ~
舞妓の叶祐美(かのゆみ)さん、やっと目線が会いました!創建当初、付近は竹薮でこれを伐り開く時、亀が出て歓んだと伝えられ、観亀(歓喜)神社と名付けられた。今でも防火の神としての信仰を集めている。
あっという間の、早業で仕上げた絵画。新橋通に入ってすぐにある路地を南へ下がっていくと祇園会館の横の道に出てくる。この道は新橋南通という。雑然とした印象の街並みだが、その中で赤い大鳥居が目を惹くが昨年は新調したという。
祇園東の舞妓さんたち雰囲気がよかった!
芸妓さんも女将を連れて茶会に来た!観亀神社で祇園東の舞妓さんによるお茶会(有料)による「おもてなし」を受けた。狭い境内の中には祇園東の五人の舞妓さんによる野点が行われた。
舞妓さんの控え室で、はしゃぐ姿がみられた!境内観亀神社茶会前広場の「野点茶席」会場では赤毛氈床几が置かれて格別の趣の雰囲気があった。
野点が始って茶会ならではのムードの中、舞妓さんの写真撮影もOKで写真愛好家はシャッターをバシャバシャと押し捲っていた。
ご苦労さんでした。五花街の一つ、祇園東の舞妓さんは色艶やかな着物姿で茶をたて、多くの方が華やかな雰囲気を楽しんだ。

2014年3月30日日曜日

紅しだれ桜 水火天満宮

28日、昼下がり平野さんから「水火天満宮(すいかてんまんぐう)」に枝垂れ桜を観に行った。ここはバス停「天神公園前」の東側、水難火難除けの神さんとして地元の人々に親しまれている。
枝振りも豊かな「紅枝垂れ」桜の花が満開になっている。
天神公園前の東側、水火天満宮(すいかてんまんぐう)に枝垂れ桜を観に行った。小さな社の境内には二本の紅枝垂れ桜と八重桜が植えられている。その一本が枝振りも豊かな「紅枝垂れ」桜の花が満開になっている。
鳥居と紅しだれ桜。
水火天満宮は桜の本数は少ないが境内が狭いので一本が満開になるだけで、とても華やかになる。 濃いピンクの花を付けたこの桜の木は、周囲に枝を広げて境内を覆うように咲き誇っていた。
晴天と紅しだれ桜。
天満宮の南側は児童公園になり天神公園の名が付けられ、隠れた桜の穴場的存在で、見事な「紅枝垂れ桜」のを観るために、遠方からでもカメラを持った人たちが訪れている。
桜の花の下で幸福になるよう彼女は祈っていた!境内は、末社六玉稲荷をはじめ、道真公の霊が降り立ったといわれる登天石、近年出世した人が寄進した出世石、眼病に効くといわれる井戸水「金龍水」や安産の石「玉子石」がある。
道真公の霊が降り立ったといわれる登天石。
水難除けや火難除けのお札も授与されて、地域の人達からはご利益があり守り神として崇められている。 狭い境内にはカメラマンや若い女性たちが訪れて青空に映えた枝垂れ桜を満喫していた。 (3/28撮影)
<水火天満宮の桜>
 住所:京都市上京区堀川通上御霊前上ル扇町722-10(堀川通寺ノ内上ル)
 電話:075-451-5057
 境内:拝観無料
 交通:市バス「天神公園前から徒歩約1分    
          地下鉄鞍馬口駅から徒歩約10分       

2014年3月29日土曜日

魁桜 平野神社

28日、快晴の一日で絶好の桜見物日和となり、寺町にある本満寺に見事な一本の枝垂れ桜を観てから平野神社に出かけた。
北区平野神社は昔より「平野の夜桜」として有名である。
他の桜に先駆けて咲くことから「魁桜」と名付けられた。北区平野神社は昔より「平野の夜桜」として名高く、手洗舎前にある枝垂れ桜、「魁桜(さきがけざくら)」が見ごろである。
門の屋根に降り注ぐ魁桜。
満開の枝垂れ桜、「魁桜(さきがけざくら)」が見ごろであった。境内には魁桜、寝覚桜、胡蝶桜、嵐山桜、虎の尾桜、平野妹背(いもせ)桜、御衣黄桜、松月桜、手弱女桜、突羽根桜など約50種400本の桜が咲き競うという。
神社は794(延暦13)年、平安遷都とともに奈良後宮より遷祀された。平安期は日本で唯一の皇太子御親祭社であって源氏平氏等の氏神でもあったという。
陽光桜も春の光を浴びて咲いていた。

桜の珍種の多いのは各公家伝来の桜を奉納し、家運隆昌を祈ったことに始まる。 それは「桜が蘇り・生産繁栄の徴」であるといわれている。
桜の下、初のお宮参りは祖母の肩に抱かれて・・・。
平安期は、貴族たちが様々な桜を長い期間愛でることを楽しんだといわれ、庶民には江戸時代夜桜が許され、『平野の夜桜』は京都を代表する花見の名所となった。
十月桜は社務所前にある。
ブンブンブン蜂が飛ぶ!その代表的な“しだれの魁桜(さきがけさくら)”は今も名高く、他の桜に先駆けて咲くことから「魁桜」と名付けられた。
上の方で、純白のサクラが咲いていた。
ソメイヨシノは一雨降ったら咲く。サクラを好む参拝者や観光客は思い思いに記念写真を納めていた。
アーモンド(扁桃)の花、サクラともいえず、桃ともいえない・・・。
祇園円山公園にある枝垂れ桜、初代は平野神社が移植した。境内桜苑のなかには、祇園円山公園にある枝垂れ桜と大阪造幣局の珍種の数々は当社により移植されたものである。
手洗舎前にある枝垂れ桜、「魁桜(さきがけざくら)」の全容。中秋の頃より咲き続ける十月桜は初詣の参拝者に桜咲く吉報の前触れとなり、三月上旬から五月上旬かけて約50種400本の桜が境内を彩り、平野神社は桜の植物館といわれている。(3/28撮影)火水天満宮につづく・・・