2015年10月31日土曜日

リンドウと紅葉

30日、祗園花街のお茶屋が建ち並ぶ中に、建仁寺塔頭 霊源院ある。山門の周りにはリンドウの花が咲いていた。
長い石畳が続く参道、建仁寺塔頭 霊源院ある。
山門に咲く可愛いリンドウの花。


建仁寺の望閣楼と栄西和尚を祀る伽藍。
秋、紅葉が赤く色付いていた。
塔頭・禅居庵(摩利支天堂)の山門の紅葉と柿の実。
石蕗(つわぶき)の咲いている塔頭・禅居庵(摩利支天堂)の庭。
塔頭・禅居庵(摩利支天堂)の庭と山門。(10/30撮影)

2015年10月30日金曜日

「年賀はがき」発売開始セレモニー

京都中央郵便局で29 日9時から宮川町の舞妓さんによる平成28年用のお年玉付き『年賀はがき』の販売が一斉に行なわれた。 同中央郵便局1階窓口ロビー前には販売開始セレモニーが行われて各社報道の人が詰め掛けた。
今年も早いもので年賀はがきを書くシーズンがやって来て、同中央郵便局へも早朝だがたくさんの人並みが出来た。
ゲストは京都宮川町の舞妓さん二名(里春さんと叶子さん)が「をどり」を披露し花を添えた。また書家の前田惣遠さんよる書道パフォーマンスが行なわれた。
同郵便局の特設会場で、をどり「祇園小唄」を披露した。
一般庶民は書状を送るようになったのは、明治維新後の1871年、郵便制度が確立後のことだったという。
直接に行けない遠方の方へのあいさつとして文書による年始が一般化されるようになったという。
年末年始の行事の一つとして年賀状と呼ぶようになったのは10年以上の月日が経ち庶民にも定着したという。
現在はパソコン/スマホなど連絡方法が盛んで、いま郵便離れが多くなっているが「暑中見舞い」や「新年の挨拶」は文書にしたいものと願っている。
また同郵便局では、ハローキティちゃんのイラスト入りなど11種類の年賀はがきを販売している。
なお12月15日から引き受けを開始、25日までに投函(とうかん)すれば全国どこにでも元日に届くという。
今年のお年玉付き年賀はがきは「10万円」という。また来局された花の苗(先着順)や年賀はがきを購入された方の記念品やブレゼントもあった。
宮川町の舞妓さんの「里春さん、叶子さん」、早朝からご苦労さんでした。(10/29撮影)

2015年10月29日木曜日

二人の店だし 宮川町

27日、花街宮川町で、久しぶりに「二人の店だし」が行なわれた。お茶屋「河よ志」さんの前には、おめでたい目録が飾られ、先輩の芸姑さんや舞妓さんがお祝いに駆けつけ「おめでとうさんどす」という声が囁かれた。
午後1時過ぎ、河よ志さんの中では女将さんがカッチカッチと火打ち石を使っている。
先輩芸姑さん(ふく恵)さんと共に姿を魅せ、「ふく乃」さんと「ふく弥」さんは日ごろご贔屓になっているところにご挨拶に回る花街デビューのお披露目であった。
今日、晴れてデビューする舞妓さんは、右『ふく乃』さんと左『ふく弥』のお二方であった。
華やかな色紋付に身を包んだ二人の新舞妓さんの「ふく乃」さんと「ふく弥」さんは写真撮影に臨んだ。
先輩芸姑のふく恵さん、本人を物心両面で支えるお姉さんと決め、姉芸妓さんたちと三々九度の盃を交わす「お盃」の儀式が行われるという。
女衆さんの後に続き、二人の新舞妓さんの「ふく乃」さんと「ふく弥」さんは「おかぁはん、これからもよろしゅうにおたの申します」と、お茶屋の女将さんに挨拶を交わした。
お茶屋で住み込みをして半年~1年程度修業し、舞や作法や花街言葉などを習得、そして晴れてデビューの「店出し」をする。 

幼い少女が晴れて正式に舞妓さんになったことを祝って、べっ甲の簪(かんざし)に銀の挿し物で、店だしの特別な髪型になった。
テレビ放送(福井)がTV録画をして思わぬ写真撮影も長くなり、この日から三ッ日間は先輩芸姑さんがお化粧してくれるという。
正装の黒紋付に身を包み、約20キロにもなる着物を着付け、約5m~7mにも及ぶだらり帯は舞妓さんの代名詞、裏方は男性の専門職だが、ここ宮川町は女衆さんだった。
日ごろ、ご贔屓筋になっているお茶屋さんなどお店に挨拶、宮川筋をぐるっと廻り、二人の新舞妓さんの「ふく乃」さんと「ふく弥」さんは「ただいま帰りました」と告げた。
店出しとは舞妓さんが華々しく花街に初登場のことでお披露目であり、「ふく乃」さんと「ふく弥」さん、「がんばっておくれやす・・・」。
番外・・・半だらかと思ったら違っていたが?
お茶屋の駒屋さんの入っていった! (10/27撮影)