2012年3月31日土曜日

百万遍 知恩寺の桜

つづく・・・叡山電鉄出町柳駅を左に見て、百万遍交差点知恩寺へ徒歩で向かった。左京区にある百万遍知恩寺は、浄土宗七大本山の寺院である。
本堂とふじさくら知恩寺の総門本尊は阿弥陀如来で法然上人二十五霊跡第22番札所である。法然入滅後、弟子が御影を安置し念仏道場として伽藍を整備し功徳院知恩寺となった。
鐘楼の横の一本のふじさくらの木ふじさくらは淡いピンク色早咲きの桜を観に知恩寺に行ったが、鐘楼横の「オカメ桜」と「ふじさくら」は小さな木であったが、きれいに花を咲かせていた。ふじさくらは淡いピンクの小さめの赤っぽい繊細な花だった。
鐘楼の外れにオカメ桜
境内や本堂、庫裡は1986年(昭和61)から毎月15日、フリーマーケット「手づくり市」の会場として貸し出されていて、『私が創りました、買ってくださいと・・・・』と盛況をなしている。
また「秋の古本まつり」は10月末から11月初めまでの一ヶ月、百万遍知恩寺が会場となっている。(完)

2012年3月30日金曜日

長徳寺のオカメ桜

左京区出町柳の長徳寺の門前にある早咲きの「オカメ桜」が満開になっている。門前で行き交う人々は見事に咲き誇るオカメ桜の紅紫色の小さな花に足を止めいる。
長徳寺は浄土宗報恩山青空に美しいオカメ桜
びっしりと密集した、かわいらしい小さな花弁は、小輪で一つ一つ桜は下向きに咲いている。桜の花はピンク色も濃くボリュームがたっぶりあり見上げるとみんなこちらを向いている感じがする。青空の下、メジロの集団が蜜を吸いにやってくる。あわててシャッターを切ったがメジロは小刻みに動き回ってカメラの焦点がぶれて上手に撮れない・・・小さな蜂もたくさん蜜を吸いに飛んできていた。
門前にはカメラを構えた方が4,5人おりさかんにオカメ桜を撮影していた。
長徳寺の門前びっしりと密集した、かわいらしいオカメ桜門前近くにあった説明書によると、オカメ桜は、イギリスの桜研究家イングラムが1947年(昭和22)に寒波桜と豆桜を交配して作り出したという。
花の大きさはあでやかな紅紫色でソメイヨシノより小さく15㍉、下向きに咲いている。その桜の命名は日本の美女になぞらえて『オカメ桜』となった。バラ科の耐寒性落葉低木で開花時期は比較的早く、3月中旬から下旬という。
伽藍とオカメ桜メジロが数羽蜜を吸いに・・
出町柳といえば高野川沿いの枝垂れ柳、透けるような新芽の薄緑色が爽やかに感じる。まっすぐに垂れ下がった柳の枝、一雨ごとに新芽が伸びていく光景は近付いてみるよりも遠目で見た方がきれいに感じた。
枝垂れ柳は遠目で見た方がきれい高野川沿いの枝垂れ柳と河合橋
長徳寺の満開のオカメ桜を観て至福のときを過ごし、百万遍知恩寺へ徒歩で向かった。つづく・・・

2012年3月28日水曜日

洛南 東寺 観梅と河津サクラ

東寺は、正式な寺名は「教王護国寺」で、国宝の五重塔は有名で広く親しまれている。 講堂と紅梅
五重塔は、徳川家光の寄進によって竣工、災火をうけ、焼失も4回の受けた毎月21日に開かれる「弘法さん」の縁日が開かれて、ブログ友が観梅と河津桜が満開と聞いたので翌日午後行って見た。ブログには「逆光なので午後からの方がよいかも?」と記していたが生憎曇り空だった。 金堂の十二神将
金堂の薬師如来坐像と日光と月光いま東寺は春季3/20~5/25まで宝物館特別公開中である。梅を眺めながら五重塔をバックに写真撮影し、瓢箪池の周りを歩いていると河津桜が咲いていた。 白梅
紅梅五重塔は、しばしば災火をうけ、焼失も四回におよんでいる。現在の塔は1644年(寛永21)江戸時代・徳川家光の寄進によって竣工した。京都観光のイメージにもなっており日本一の55㍍の高さを誇り、現存する古塔のなかで最古の塔だ。立体曼荼羅
国宝、帝釈天と不動明王五重塔や金堂を背景に河津桜を入れてみるが絵になる。大きな枝垂れ桜は有名だが金堂の周りに桜があることは記憶にない・・・見事な満開であった。金堂
早咲きの河津サクラ金堂は796年(延暦15)創建、1486年(文明18)に焼失、現在の堂は豊臣秀頼が1603年(慶長8)に再興し竣工した。金堂の本尊・薬師如来坐像と日光と月光が両脇に鎮座している。また講堂は弘法大師が着工された。多くの仏さまたちに会いこころ静かに合掌した。 大日堂とさくら
桜の勢いに隠れる講堂大日堂の鐘楼の付近にも3本の河津桜があるがどちらも満開であった。この桜、いまは無き友S氏が教えてくれたものである。いつもならメジロが戯れているが、例年より河津桜の開花が遅くなっていて小鳥も見掛けない。南大門から一直線に並ぶ伽藍は荘厳で、その中の金堂や講堂は数々の国宝指定の仏像郡が安置されている。 鐘楼と桜
河津桜と椿毎月21日は境内で開かれる弘法さんの縁日には大勢の人は訪れる。なお撮影禁止になっており、仏さまの写真はパンフレットから作成した。(3/22撮影)
<東寺>
住   所:京都市南区九条1番地 電話:075-662-0173(拝観受付)
拝   観:境内/御影堂は自由
拝観料金:金堂/講堂・宝物館特別公開の拝観は500円・障害者250円
会   期:2012年3月20日(火)〜5月25日(金)
拝観時間:午前9時~午後5時30分(拝観受付は午後5時まで・会期中無休)
交   通:近鉄「東寺」駅下車徒歩5分、
      JR京都駅南口(八条口)徒歩15分
      市バス「東寺東門前」すぐ

2012年3月27日火曜日

随心院&小野梅園

つづく・・・小野小町ゆかりの寺で、小町と深草少将の恋の伝説にちなんだ伝統の「はねず踊り」が催された。 隋心院のはねず梅
大玄関と小町歌碑山科小野付近は小野一族が栄えたところで、宮中で仁明天皇に仕え歌人として知られる小野小町もこの地の出身で宮中を退いた後も過ごしたとされる。梅の花枝を挿した編笠姿で登場し小町や少将役に分かれて踊る
はねず踊りの伴奏の方たち舞台ではうす紅色の小袖をまとった地元・小野を中心とした女児たちが、梅の花枝を挿した編笠姿で登場し小町や少将役に分かれ、「小野の梅の木、はねずでござる・・・」とわらべ歌に合わせて優雅に舞った。毎年4/18出雲大神宮の鎮花祭に奉納される
今様の2人はねずは昔の言葉でうす紅色を意味し、同院に咲く梅の花も同名で呼ばれ古くから親しまれている。小野梅園は約230本の梅の木があり、ことしの梅の開花は例年より遅く今が見ごろ、5・7分咲きは過去10年間で2回くらいと司会者が言っていた。同院の観梅祭に合わせ、はねず踊りは披露した。やや桃紅色の梅
白梅隋心院は、仁海(にんがい)僧正の開基で真言宗善通寺派大本山の寺院、本堂の本尊は如意輪観世音菩薩坐像は鎌倉時代の作で、阿弥陀如来座像平安朝藤原時代「定朝作(重文)」及び「快慶作(重文)」の金剛菩薩座像や小野小町文張地蔵・卒塔婆小町坐像等を安置している。紅梅
梅は静かに愛でるもの正暦2年(991)平安時代に一条天皇から寺地を下賜され、弘法大師から八代目の弟子にあたる仁海僧正が牛皮山(ぎゅうひさん)曼荼羅寺を建立、その後、塔頭として随心院を創建した。鎌倉時代、寛喜元年(1229)に後堀河天皇より、小野曼荼羅寺御殿随心院門跡となった。現在は宗祖空海の生誕地に建つ善通寺が善通寺派総本山、随心院は同派大本山となっている。まだツボミはたくさんあった
随心院から選ばれたミス小町さん小町の晩年の姿とされる卒塔婆小町像を始め、小町に思いを寄せて通った「深草少将」の文塚、百夜通いの折、榧(かや)の木、小町が朝夕化粧した屋敷跡の「化粧の井戸」などいくつかの遺跡があった。塔頭の寺で散り椿をみた
穏やかな春とならず、寒い日になったはねずの咲く小野の里に通ったとされる深草少将、小町恋しと百夜通いの悲願を込めた伝説はいまも続いている。市営地下鉄東西線小野駅下車、東に徒歩で約5分のところにある。(完)
<随心院&小野梅園>
住所:京都市山科区小野御霊町35電話:TEL 075-571-0025
拝観:9:00~16:30
本坊:庭園400円 ・障害者350円「車いすは不可」
   梅園:400円(3月1日~3月31日)・障害者350円「障害者車いすは可」
交通:京阪バス随心院下車すぐ
   地下鉄東西線小野駅下車、徒歩約5分
駐車場:無料

2012年3月26日月曜日

はねず踊り(隨心院)

25日、小野小町ゆかりの寺としても知られる山科小野にある隋心院(ずいしんいん)で、11:00から「はねず踊りと今様」の踊りが披露された。 お土産のはねずういろうとパンフ
随心院の総門総門をくぐると境内の右手に小野梅園があり薬医門前には特別舞台には幔幕が張られ赤色の毛氈があった。席をとり少々時間があったので小野梅園で観梅をした。梅園には約230本の梅の木があるという。ミス小野小町は2名
門跡から「はねず踊り」の謂れを聞いた梅園では「はねず梅」と呼ばれる薄紅色の遅咲きの梅の花が咲くという。ところで、あまり聞きなれない「はねず(薄紅色のこと)」は、中国から伝わった色で「唐棣(はねず)」と書き、昔から随心院の梅は「唐棣の梅」と謂れ親しまれている。幼い小町が鮮やかに舞う
地元の小学生(4・5・6年生)12名が踊るその昔、小野氏の領地で小町の居住跡と伝わっている。小町は容姿端麗で‘和歌’に優れた才能を発揮していた良実の娘で宮中の後宮に仕えていた。“小野小町のもとへ深草少将が百日通った”という伝説の舞台があった。小町は裾、緑色、少将はちがう
はねずおどりは小野わらべうた想いを寄せていた少将が「私のもとに百夜通い続けることが出来たら想いを遂げさせてあげましょう」と小町に言われ、印として門前の榧(カヤ)の実を採って渡した。深草から小野まで毎夜通い続けたという。
しかし、通い続けて九十九夜、その日は大雪の夜、代人を仕立てたのが運のつき少将にはもはや小町の姿をもとめることはできなかった。庭に植えた1本の榧の木がある、少将が亡くなったことを知った小町が植えた。かつては九十九本あったという、積もる思いを胸に秘め訪ねてきた少将、小町のこころはあまりにも冷たく感じられた。
今様の舞が奉納されたその後、小町は毎年「はねず」の咲く頃を老いの身を忘れたように子どもたちと楽しい日々を過した。はねず踊りは、「小野のわらべうた」として童謡や民謡を取り入れて歌い踊りこの地に古くから伝っている。梅の花が咲き誇るころ、舞台では薄紅色の色鮮やかな小袖姿の小学高年が、傘を被り可愛らしく舞った。出雲風流花踊りは亀岡から参加だった
雨が降りそうな天気だったが「雨乞い」の踊りという長らく途絶えていたが1973年(昭和48)から地元住民が復活した。以来、随心院の祭事で有名な「はねず踊り」は、小野小町を忍んで小町と深草少将の百夜通いをもとに、地元の子供たちによる”踊り”は毎年3月の最終・日曜に披露されている。撞き立ての大きな御餅入り200円は安い
はねず梅随心院の観梅は、「はねず色」の遅咲きで薄紅色の花びらで知られ違った趣がある。つづく・・・