2010年2月26日金曜日

北野天満宮 梅花祭

「天神さん」の通称で親しまれている北野天満宮は、今出川通と御前通が交差する北西角にある神社で祭神は菅原道真公である。 社殿の前は紅梅でつぼみが膨らんでいた!
楼門を入ると赤目の丑が迎える今出川通から北へ、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居、楼門(重文)、中門(三光門)、社殿(国宝)となっている。また東の上七軒には東門(重文)があり北門もある。豊臣秀吉が都の大改造に取り組くんだ「御土居」と呼ばれる跡が天満宮境内の西側に残る。
中門の白梅桃色の梅花、匂いは甘い香り
道真公は幼少のころより学問文才に勤しまれ、「和魂漢才」の精神をもって朝廷の官吏として活躍された。道真公は承和12年6月25日に誕生し、延喜3(903)年2月25日59歳で大宰府(福岡県)で亡くなった。 梅花祭もおわって置屋急ぐ芸妓さん衣装やかんざしも梅の花の舞妓さん
道真公は天満宮に祀られたのは平安時代に遡る。
代々文道をもって朝廷に仕える家柄で33歳の若さで文章(もんじょう)博士、55歳で右大臣まで昇進した秀才だった。政的ライバル藤原時平とともに従二位に叙せられたが、藤原氏から妬みを受け、策略陰謀により太宰府に左遷させられた。一仕事終え表情も和やかだ!2月は梅、上七軒の舞妓さんのかんざしは、月ごとに変わる
北野天満宮では、毎年2月25日は菅原道真公の命日で「梅花祭」が行われる。
東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るなと詠まれた文道の大祖・道真公は、ことのほか梅を愛された。
うしろ姿も艶やかに襟あしがいろっぽいだらりの帯が奏でる躍動感、お知り合いの方と会えば気さくにあいさつを・・・この縁により、毎月25日を縁日として遺徳をしのび、特に祥月命日に当たる2月25日は「梅花祭」と称して神事の祭事が厳粛に執行されている。
天神さんは約2万坪の境内に50種約1,500本の梅がある。早咲きの梅は12月中句頃からつぼみがふくらみ始め1月初旬には咲き始める。
境内一円、春を告げるかのように咲き始めた「梅花祭」とともに、さくさんの参拝者や観光客はよい香りがただよう梅の花を愛でていた。境内の東門、名物”長五郎餅”の前の芸舞妓さん
「梅にうぐいす」絵になる風景!梅苑は例年2月初旬から公開され紅梅・白梅・一重・八重等の順に咲き始め、2月中旬から3月初旬までが最も美しい時期となる。
境内の西広場特設・茶会席で上七軒の芸舞妓たちの奉仕による野点(有料)を楽しむこともできる。社殿を背景に紅白梅がきれいだった
参拝者が多い中、社殿をふり上れば「丑」が見下ろす!北野さんとも呼ばれ毎月25日には縁日が開かれ多くの参拝者や観光客などで賑わう。北野天満宮は菅公の御分霊がお祀りするとともに、「天神様」として親しまれ学問の神様として有名で全国各地から受験生や修学旅行生たちの信仰がいまも篤い。

<北野天満宮>
住  所:京都市上京区馬喰町 ・電話:075-461-0005
拝観時間:境内拝観自由9:00~17:00
拝 観 料:宝物殿300円 、梅林苑600円・障害者手帳割引あり   
    ※ 梅花祭(野点お茶会席・1,500円)
休  日:無休
交  通:市バス「北野天満宮前」下車3分
     ・毎月25日は天神市(7:00~21:00)

2010年2月24日水曜日

醍醐寺・五大力さん「餅上げ力奉納」

平安時代から「花の醍醐」と呼ばれる桜の名所で、醍醐寺は、毎年2月23日「五大力さん」として親しまれている。
スポーツジム経営の藤宮さんは5分46秒で優勝
新記録8分41秒で横綱になった大森さん真言宗醍醐派・総本山醍醐寺は京都山科に位置し、弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝によって貞観16(876)年に開かれた寺である。参拝者の人出が多く感じた!
参拝者が早朝から夕方まで国宝・金堂には人並みが続き途絶えることはないその聖宝の遺訓により五大力尊仁王会は七難即滅、七福即生を祈り、2月15日から21日間、21座にわたり法要を営み、「五大力尊」のお札「御影」や「お守り」に僧侶の熱祷が込められている。90kgの重さに耐える参加者
練習で舞台に上った方たち不動明王や五大明王の力を授かり、その化身・五大力菩薩より国家安泰、国民の幸福を願う行事という。そもそも、醍醐寺の五大力さんは遡ること1,100年以上も経つ歴史は延喜7(907)年、醍醐天皇の時代であったという。耐えた6分12秒
ぐっと我慢して堪えるこの日に限って授与される災難・盗難除けのお札「御影」は、各家庭の出入り口に貼られている。このお札を求めて、各地から参拝者が早朝から夕方まで国宝・金堂には人並みが続き途絶えることはない。150kgの重さに我慢出来なくなる!
小柄な体格だが「餅上げはこつと我慢、力が無くても持ち上がる」という五大力さんには一年ぶりの参拝で、昨年のように迷う事もなかった。しかし、参拝者の人出が多く感じた!
巨大な鏡餅を持ち上げる力自慢、男性150kg、女性90kgの「餅上げ力奉納」が目当てだ。金堂前の特設舞台下には写真愛好家が四方を取り巻ていた。子どもさんも参加した
角度を変えて12時、90kgの紅白の鏡餅、餅上げ開始に先立って、順番を決める抽選がある。男女79人がエントリーした。
餅上げは「春を呼ぶ」と言うように、2月とは思えない暖かさであった。
女子の部は23人、挑戦者の面々は「コツ」で餅を上げる人、棄権・退場する人などが続くが見事、8分41秒で横綱に輝いたのは大阪府の大森さんだった。因みに、2位は大八木さん、8分08秒、3位は松本さん、7分、4位は中山さん、6分12秒。 奉行の顔がおもしろい
横綱、尼崎の50歳の方男子の部は50数名と出場者が多く、パフォーマンスする人もおり、神聖な場所であるため注意される一面もあった。大学受験を控え、力を授かろうとする若者や小学生の子もおった。男子は150kgの餅を上げる。巨大な餅と戦いながら、歯を食いしばる姿に、思わず私も力は入り、「ガンバレッ~」と声を掛けずには居られない!京都大学受検合格するよう力を・・・
イケメンの参加者余裕も見られたが最後に尻餅で失格になった!惜しくも、尻餅をついた人は失格だという!来年も来るといって去った、イケメンも本当なら8分30秒の記録であるが失格であった。優勝は兵庫県尼崎の藤宮さん5分46秒だった。「餅上げ力奉納」は、その力を奉納し、無病息災、身体堅固を祈る。金堂と特設舞台
五大力尊「おかげ餅」昨年は醍醐寺境内の中を散策したが、ことしは時間の余裕もなかった。けど「五大力さん」に参拝して帰路は足取りも軽やかに地下鉄醍醐駅へと向った。
<醍醐寺>
場所:京都市伏見区醍醐東大路町22
交通:地下鉄東西線 醍醐駅下車 徒歩10分
   京阪バス 醍醐三宝院前下車 徒歩すぐ
電話番号: 075-571-0002
駐車料金:普通車(約100台収容) 700円
拝観時間:9:00~17:00
休日:無休

2010年2月22日月曜日

第21回全国車いす駅伝競走大会

2月21日、歴史と文化の都大路に第21回全国車いす駅伝競走大会が開催された。
優勝チームは高松宮妃殿下と握手
優勝京都Aは46分20秒で2年連続3度目の栄冠に輝いたこの大会の運営は京都府・市、日本障害者スポーツ協会、京都新聞社などが主催で、左京区の国立京都国際会館前11時30分スタートし、右京区の西京極陸上競技場にゴールする5区間21,3㌔で行われる。高松宮妃殿下はゴールする選手らを拍手で応援された高松宮妃殿下や羽織袴姿の市長
平成2年第1回大会開催から名称を「全国車いす駅伝競走大会」として21回を向えた。全国の身体障害者が車いすによる駅伝大会を通じて、障害者の社会参加の高揚と障害者スポーツの振興を図り社会の障害者意識への理解と認識を深めることを目的としている。
閉会式の各種の賞を授与するプレゼンテーターたち京都Aチームの出場選手
三年前は積雪でこの大会も危ぶまれたが、ことしは青空の好天に恵まれ絶好の全国車いす駅伝競走大会になった。
11時30分、スタートは京都府知事の合図で一斉に競技は始まった。
優勝メダルが授与される全国車いす駅伝競走出場各選手
先頭に立つのは44番大分Aチーム・・・続く京都Aチームは200mも離されて第二位、三位は17番長野チームと模様はKBS京都放送ラジオが生中継した。大分チームは1区2区とも区間新を出す勢いで寄せ付けない!
しかしレース半ば京都Aチームは4区で逆転、首位の大分Aを得意の上り坂で一気に抜き去り、トップに躍り出た。
ラジオ実況中継を聞いていた西京極陸上競技場のスタンドのファンは京都Aが先頭になった瞬間拍手が沸いた!そのままリードを広げて逃げ切りゴールインした。
最高記録、46分20秒で2年連続3度目の栄冠に輝いた。
高松宮妃殿下が見守る中・・・区間賞を受けた5人毎年訪れる、高松宮妃殿下や羽織袴姿の市長は競技場にゴールする選手らを拍手で応援された。
ラストのアンカー28番愛知Bのゴールを見届けると、市体育館では府警音楽隊の演奏で高松宮妃殿下を迎え表彰式やメタル・区間賞の閉会式が行われた。
『京都Aチーム優勝、おめでとう!!』2位は53秒差で大分A、3位は大阪だった。また京都Bは1時間0分42秒で18位、一時間を切ることは出来なかった。
ボランティアのぶた汁が美味しかった府警音楽隊
選手が乗る競技用の三輪車いすは、下りでは時速約50㌔に達するハイスピードの戦いになり早春の都大路を駆ける。24都府県から28チームが参加した。
毎年2月行われている全国車いす駅伝競走大会だが、約4,500人のボランティアが裏方を務める大会の熱気をあらためて実感した。

2010年2月20日土曜日

燃灯祭 上賀茂神社

平安時代の貴族が、若菜を摘み、春の到来を喜び宴遊した野辺遊びを神事化した祭だという
燃灯祭は「乙子(おとね)神事」ともいう平安時代から伝えられる宮中の春の遊びを神事化した祭事「燃灯祭」が19日、北区の上賀茂神社で営まれた。御阿礼野は徒歩で10~15分、神職は“小松”を根引きした
境内の御阿礼野に向う!午後2時より狩衣姿の神職一同が社務所前を出発、神社境内奥地にある御阿礼(みあれ)野に向った。同行の見学者と写真愛好家はマナーを守り後に続いた。神職は早速“小松”を探し当てた
神職は一礼した上賀茂神社の境内、神山の麓まで徒歩で15分、神職は御阿礼野に着くと“小松”を根引きした。神職一同は御阿礼野から境内の土舎に戻った
小松をゲット御阿礼野から境内土舎に戻り、神職一同が身を清め、土舎で「小松に燃灯草」を添えて神前に供え春の到来を奉告する。入念に狩衣姿の神職一同は身を清めた
燃灯草は一名玉箒草(たまほうきぐさ)という聞きなれない燃灯祭(乙子神事) (ねんとうさい おとねのしんじ)は、平安時代の貴族が、若菜を摘み、春の到来を喜び宴遊した野辺遊びを神事化した祭だという。
燃灯草は一名玉箒草(たまほうきぐさ)という。神職は土舎から玉橋を渡り本殿へ 向う
本殿に燃灯草を奉納する由緒あるまつりこの儀式は、鎌倉時代の「嘉元年中行事記」にも記載されている由緒あるまつりで、古えに行われた二月第二の子(ね)の日の神事である。
平安時代に宮中の年中行事として行われていた「子の日遊び」を神事化したもので、元々は旧暦で3月のごろのことであった。舞殿にて拝礼して終了した
儀式は行われたが初めてだった上賀茂神社境内奥地にある御阿礼(みあれ)野と呼ばれる場所は、現在ゴルフ場になっている。神山の麓、御阿礼(みあれ)野と呼ばれる場所にあった神館(こうだて)跡に小松を根引きし、それに燃灯草を添えて神前に奉る神事である。
燃灯祭は乙子(おとね)神事とも言われ、人々が春を待ち焦がれて野原に出でて若菜を摘み、春の到来を喜んで宴遊し野辺遊びを行うこと云う。
参拝者は神事に同行見学することができ、厳かな神事を興味深げに観ていた。