仙洞御所は、皇位を退かれた天皇(上皇、院)の御所で、1630(寛永7)年、江戸時代初期に後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)が造営された。
再三の火災で焼失、その度に再建されたが1854(嘉永7)年の大火後は再建されず、仙洞御所は二つの茶室が残り庭園(小掘遠州作)となっている。
“大宮御所” は、皇太后の女院(にょいん)御所で、後水尾天皇の中宮であった東福門院「(徳川和子)秀忠と江の五女」が造営されたのがはじまりで、これまた火災で焼失したため、1867(慶応3)年、女院御所の跡に英照(えいしょう)皇太后(孝明(こうめい)天皇の皇后)が大宮御所を造営された。
玄関の大宮御所の“御車寄(おくるまよせ)”で説明を聞き、御常(おつね)御殿南庭に入った。南庭は“松竹梅の庭”と云われている。
広大な庭園に出ると北池と南池の二つに分けられ、境界は紅葉谷の掘割で分けられている。
北池は女院御所の庭、南池は仙洞御所の庭であったが今は一体感があり東山を望む借景となっている。
北池の周り、阿古瀬淵(あこせがふち)の六枚橋を渡ると平安時代の歌人紀貫之の邸宅があったとされている。向かいには社あったとされ椿が咲いていた。北池を右側にみて土橋に向かう47名の参観者は細い道で200mに伸びた。
土橋を渡り終えると中島の“鷺の森”は木陰になっていて若苔が美しく感じこのた。
もみじ橋では桜の木が待ち構えてくれる。ここの紅葉は非常に綺麗というが、また桜の花も風情があった。
中島への“八つ橋”は藤棚になっていて4月から5月フジが紫の花を咲かすだろう。
洲浜は、一升石11万1千個を100mに渡って見事に敷き詰めた丸く白い石、州浜に沿った道が“桜の馬場”で桜花爛漫である。
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