gottuan's room
~ らくさいの三宝路 ~
2013年4月22日月曜日
神幸祭 松尾大社
21日、西京区松尾大社では鮮やかな黄金色のヤマブキ満開と重なって春祭りの神幸祭が営まれた。平安時代の貞観年間から“川渡しの御船”で、五穀豊穣や家内安全を願ったもので千年の歴史を刻むという。
洛西の総氏神・醸造の祖神としても知られる松尾大社は、赤色の大きな鳥居を潜ると入口に大きな徳利があり酒の神様を奉っている。
松尾大社は平安遷都以前からの神社で、秦一族の氏神として祀られたのが始まりと伝わる。
701(大宝元)年、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が松尾山頂に一族の氏神として社殿を建立、秦氏が神職を受け継いできたのが起りとされている。
平安期は賀茂神社と並び王城守護の社として大切にされ東の「賀茂の厳神」、西の「松尾の猛霊」と称された。なお、弟の秦伊呂具(はたのいろぐ)は711(和銅4)年、伏見稲荷大社を建立している。
祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の2座で、大山咋神は上賀茂社、賀茂別雷神の父神である。 正面の楼門から拝殿、本殿と一直線に並んでいる。 赤鳥居の上部には榊の小枝を束ねたものが数多く垂れ下がっているが「脇勧請」と称し、月々の農作物の出来具合を占った太古の風俗を今に伝えている。
醸造祖神として崇敬を集め、全国の酒造業者から奉納された酒樽が拝殿横にある。境内の亀の井の水は酒の元水に混ぜると酒が腐らないという伝えがあり酒造・醸造業者が酒水に混ぜる風習が生まれたという。
松尾七社は、本殿の御分霊を受けて拝殿廻し(三回周回)後、月読社の唐櫃一基と六基の神輿が出発、190年振りで修復された櫟谷社(いちたにしゃ)、の神輿は往時の輝きを取り戻してヤマブキ色に蘇っていた。つづく・・・
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