彼らが鎮まる霊山の墓前にて午後3時より「龍馬祭」を斎行した。
海援隊々長・坂本龍馬が遭難、翌16日に亡くなった下僕・藤吉、17日に亡くなった陸援隊々長・中岡慎太郎。
遺徳を偲び、坂本龍馬33歳、中岡慎太郎30歳、藤吉25歳だった。
新しい時代の礎を築きながらも大成を見ることなく、志半ばにしてこの世を去った。
坂本龍馬、中岡慎太郎両志士が遭難し、郷里の味である軍鶏鍋を口にすることなく、亡くなっている所以から、一番汁を墓前に上げた。
高知県知事の墓前に玉串を捧げた。
勝海舟の子孫などが玉串を捧げた。
京都高知県人会により、ご参詣の皆さんに軍鶏鍋が振舞われてた。
遥々、ミス高知県が来ていた。
明治元年に「霊山官祭招魂社」として全国で初めて創立され幕末の動乱期に活躍した維新の志士たちを奉紀すべく、昭和14年に京都霊山護国神社と改称したという。
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