花街では12月13日になると新春を迎える準備に入り一足早く、芸舞妓さんたちが新年の「おめでとうさんどす」のあいさつを交わした。
紋章(三つ輪)は、一説には宮川の故事から“三体の神輿”を象徴したとも謂われ、また宮川の「みや」を語呂の合う三つ輪として考案されたとも言われている。
天正三年に宮川町は出雲の阿国が歌舞伎踊を信長公に許しを受け、慶長八年頃、阿国の娘二代目阿国が宮川河原で歌舞伎を興業して人気を呼んだという。
当時の歌舞伎の流行とあいまって、茶屋町として発展、宮川町に水茶屋が建ち、芝居小屋が数多く立ち並んだという。
男性だけの若衆歌舞伎が始まり、それに出演する若衆の宿が宮川町に軒を並べていったという。
当然女形を演じる若衆が必要で、当時の美少年が選ばれ、現在の女形役者へと発展したという。
花街の事始めは、京都の師走を象徴する風物詩として知られ、この日から、お正月の準備が始まることから、古くは”正月起こし”とも呼ばれている。なお撮影際、焦点が合わなくて申し訳ない・・・。(12/13撮影)
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