25日、「平野の夜桜」として有名な神社は昔より、手洗舎前にある枝垂れ桜が、他の桜に先駆けて咲くことから「魁桜(さきがけさくら」と名付けられたという。
平安貴族たちが様々な桜を長いあいだ愛でることを楽しんだという。
江戸時代、庶民には夜桜が許され『平野の夜桜』は京都を代表する花見の名所となったという。
桜の珍種の多いのは各公家伝来の桜を奉納し、家運隆昌を祈ったことに始まる。
桜を奉納し、家運隆昌を祈ったことに始まり、それは「桜が蘇り・生産繁栄の徴」であるといわれている。
その代表的な“しだれの魁桜(さきがけさくら)”は今も名高く、他の桜に先駆けて咲くことから「魁桜」と名付けられた。
満開の枝垂れ桜、「魁桜(さきがけざくら)」が見ごろであった。
境内桜苑のなかには、祇園円山公園にある枝垂れ桜と大阪造幣局の珍種の数々は当社により移植されたものである。
境内には魁桜、寝覚桜、胡蝶桜、嵐山桜、虎の尾桜、平野妹背(いもせ)桜、御衣黄桜、松月桜、手弱女桜、突羽根桜など約50種400本の桜が咲き乱れる。
(3/25撮影)
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