2011年4月18日月曜日

京都西陣 本隆寺

法華宗真門流総本山・本隆寺は京都西陣、今出川通智恵光院を北へ入った地にある。正式名は慧光無量山本妙興隆寺(えこうむりょうさんほんみょうこうりゅうじ)と号し、略して慧光山本隆寺といい法華宗京都八本山の一つである。慧光山本隆寺正門 二度の大火にも焼失を免れた本堂
1488(長享2)年、開山は中山大納言親通卿(だいなごんちかみちきょう)の子・日真(にちしん)で、妙顕寺の僧であった日真が四条坊城に堂宇を構え、のちに本隆寺を開創したのが始まりと伝えられる。梵鐘本堂と祖師堂は焼失を免れ、以降、焼ずの寺と呼ばれた
四代日映(にちえい)のとき、天文法乱に遭遇し、諸堂は悉く消失し泉州堺に避難した。1542(天文11)年に後柏原天皇の勅許を得て再興、日蓮聖人の正当な流れであることを証する大和尚(だいわじょう)の称号が下賜(かし)された。天正2年(1584)に現在地に移転している。根元に散り桜 好天で桜が生きているようだ!
十代日遵(にちじゅん)のとき、京都御所の炎上により類焼し、 1657(明暦3)年に名匠坂上作左衛門(さかのうえさくさえもん)が再建し、1730(享保15)年と1788(天明8)年の二度の大火では、西陣一帯が焼野原なり山門・鐘楼・方丈・塔頭(たっちゅう)が再び焼失となったが本堂と祖師堂は焼失を免れ、それ以降、「不焼寺(やけずのてら)」と呼ばれるようになった。現在、その本堂は祖師堂とともに京都府指定文化財に指定されている。本堂は春は桜、夏は百日紅の木で色づく本隆寺は法華宗
本隆寺の祖師堂の前には“夜泣き止の松”があることで知られている。
夜泣き止の松は現在三代目「夜泣止(よなきどめ)の松」は、松葉を枕の下に敷くと、子どもの夜泣きがやむといわれている。
三千三百坪の境内には、西陣五井の一つの名井「千代野井(ちよのい)」や塔頭八支院が境内を取り巻くように立ち並んでいる。
春は桜、夏は“さるすべり”の木が人目を引くが、大火を免れた本堂は京都16本山の中で最も古いものとして今日に伝えられている。
<本隆寺>
住所:京都市上京区智恵光院通五辻上る紋屋町電話:075-441-5762
拝観:境内自由
交通:市バス 今出川大宮バス停より徒歩約5分

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