2011年4月21日木曜日

桂離宮(かつらりきゅう)その2

つづく・・・桂離宮は誇らしげな美しさよりも慎ましやかなものにこそ「日本の美」は称讃されてきた。今昔より相応しくさりげない表情をみせる名刹庭園である。苑内で最も高い箇所、賞花亭
参観者は一列になって・・・
秀吉の養子解消された智仁初代親王は、後陽成天皇(兄)からの譲位の申し出も徳川家康の反対で潰えた。独自の信念を貫き桂離宮に半生を捧げた。八条宮家はその後、京極宮や桂宮と改称され1881(明治14)年、十一代淑子(すみこ)内親王が亡くなられるとともに途絶えた。小亭で夏、暑さを凌ぐため北向きに建てられた
連子窓を通して見る景色は深山幽邃の趣き
苑内で最も高い位置、中島の一つで小高い丘の斜面を飛石に導かれて登ると、峠の茶屋風の“賞花亭(しょうかてい)”がある。松琴亭と同じようにほぼ北向きに建っている。夏、暑さを凌ぐため小亭で、南側の竹の連子窓(れんじまど)を通してみる景色は深山幽邃(ゆうすい)の趣きを備えている。前方に書院群がみえる
園林堂
賞花亭の山裾を下ったら、本瓦葺宝形造り屋根の園林堂(おんりんどう)がある。
持仏堂で今は建物だけが残っていて離宮全体の雰囲気と異質ではあるが、またそれなりの景観でもある。扁額は後水尾上皇の宸筆である。田舎屋風の茶屋
横並びに六つの下地窓
さらに笑意軒(しょういけん)は、切り石を直線的に畳んだ人工的な汀線に面した田舎屋風の茶室である。茅葺寄棟造りの屋根に柿葺の廂(ひさし)を付けた間口の長い建物である。縁側のある口の間の腰高障子の上に横並びに六つの丸い下地窓を設けているが、下地の組み合せをそれぞれに違えてあり、連子窓の格子の材質にも木や竹を微妙に使いわけている。その上方の扁額は曼殊院良恕法親王の筆である。内部は襖で区切られるが、天井は一つのつながりをもっており、室内を広く見せる配慮と考えられる。蹲踞(そんきょ茶庭の手水鉢)は「浮月」の銘がある。舟着場の照明用に火袋に蓋のような笠を載せた三光灯籠が置かれている。書院全景
古書院二の間の正面、広縁から池に突き出すように月見台が竹簀子で作られている
桂離宮の中枢をなす書院群は、東から古書院、中書院、楽器の間、新御殿と、雁行形に連なって立ち並んでいる。古書院には、池に面して月見台が設けられ、中書院は、一の間、二の間、三の間からなり、楽器の間は楽器などを格納していたところである。新御殿は、智忠親王が後水尾上皇をお迎えするために増築された建物である。一の間の南に櫛型窓の付書院をそなえ、その脇に棚板、地袋、袋棚を巧みに組み合わせた桂棚と呼ばれる違い棚がある。修学院離宮の霞棚、三宝院の醍醐棚とともに天下の三棚と称されている。笑意軒より園林堂周辺の景観を眺める
月見台から心字池に映えた名月を眺める
また月見は苑内の景観が一望でき納涼の設備としても申し分なったという。
月を観賞するために古書院二の間の正面広縁には池に突き出すように月見台が竹簀子(すのこ)で作られている。月波楼から見た松琴亭
紅葉の季節は特別な感じがする
月波楼(げつぱろう)は古書院に近い池辺の高みに建つ茶亭で、月を見るのによい位置にあり開放的である。
土間の右手の部屋は池を眺めて見晴らしが良く、土間の奥の座敷から北を見ると池は隠れて見えない趣向であり山が現れる。紅葉のときは山がきれいで格別の感がある。化粧屋根裏の竹の垂木が舟の底のような形に組んである。
御輿寄の入口書院の玄関、一枚石の大きな沓脱、「六つの沓脱」という
御輿寄(おこしよせ)は書院の玄関で、前庭は杉苔で覆われていて、中門から切り石を敷き詰めた延段が御輿寄に向けて延びているが、今までの苑路には見られなかった切り石の堅さのある構成で更に石段を四段上がると一枚石の大きな沓脱がある。六人の沓を並ベられることから「六つの沓脱」という。桂離宮は京都駅と阪急桂駅をバスが繋いでいる
お土産は中村軒、裏隣には隆兵そばがある
豊臣の世から徳川時代へと移る動乱期、智仁・智忠親王が強いこだわりをもって造り上げた「美の空間」点在する茶室や御殿、それらを包み込む広大な美しい桂離宮庭園。古都・京都の情緒をゆったりとを味い創建以来永きにわたり火災に遭うこともなく、当時の姿を今日に伝えている。(完)
<桂離宮>
参観申し込み
〇インターネットや往復はがき
京都御所:宮内庁京都事務所参観係 
電話:075-211-1215

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