2013年2月9日土曜日

世継地蔵尊大祭(よつぎじぞうたいさい) 上徳寺

8日、下京区の上徳寺で恒例の世継地蔵尊大祭が執り行なわれ、全国から後継ぎや安産・子孫繁栄など幸福を祈願する参詣者が訪れ賑わいを見せた。浄土宗の寺院で山号は塩竈山(えんそうざん)で『ありがたや めぐみふかきを 千代かけて 家の世つぎを まもるみほとけ』のご詠歌の額がある。
8日、下京区の上徳寺で恒例の世継地蔵尊大祭が行われた。上徳寺の世継地蔵堂。立春のあと迎える大祭で2月の功徳日は「一億劫日功徳日(いちおくこうじつくどくび)」、祈祷してもらうと一億日分お参りしたご利益があり、参詣すると縁起が善く、限りない広大無辺の功徳が摂受できるとされ毎年、全国各地から参拝者が訪れる。
法要もおわり住職は、地蔵堂を回った。社務所前で参拝者はお札や護摩木など授かった。上徳寺は1603(慶長8)年に徳川家康公の側室・阿茶局(上徳院)と息女の菩提を弔うために建立した。本堂は永観堂の堂宇を移築したもので、本尊は家康が鞭碕神社(滋賀草津)から移設、伝快慶作の阿弥陀如来像である。
地蔵堂裏の水掛お地蔵さん。絵馬の五角形は上下が逆で、ぶら下げるとよだれ掛けの形になるという。河原町五条の西南、富小路を少し下った西側に上徳寺の山門があり、世継地蔵大菩薩と書かれた提灯がずらりと並んでいる。参道を斜めに歩くと奥の地蔵堂前に出る、地蔵尊は特に子授けや安産に霊験があるとされ古くから多くの崇敬を集めている。
午後からは山伏たちが本堂前で柴燈護摩供養が行われた。山伏たちによる東西南北を清める弓の儀式。寺伝によれば江戸初期のころ、世継に恵ぐまれず一心に念じたところ地蔵さんの夢を受け、やがて子を授かり家運長久したことから「世継地蔵尊」と呼ばれるようになった。だが江戸末期ごろ火難に遭い、地蔵堂の地蔵尊は顔や体が黒と白のまだら模様になっているという。
山伏による柴燈護摩供の点火。炎や煙があがり、参拝者は願いごとに手を合わした。明治天皇の生母、中山局も上徳寺地蔵堂に詣でて『世継ぎ』の男子を授かったことでも知られているが、今昔も子孫のない人に後継ぎを授け、子宝の祈願に来る人が後を絶たないという。
住職が投げ入れられた護摩木に山伏たちが祈祷した。本堂から山門をとり巻く参拝者、柴燈護摩供養をみる。当寺の絵馬の五角形は上下が逆で、ぶら下げるとよだれ掛けの形になるという。お堂の周囲には「健康な赤ちゃんが授かりますように」「元気な子が生まれました」などと書かれた絵馬『よだれ掛け』がびっしりと掛かっていた。またお堂の廻りを左から吉数や歳の数の竹をもって一心に祈念しつつ回る「数とり竹」もある。
参拝者は護摩木のけし炭を袋に入れて持ち帰った。世継地蔵尊に住職や山伏たち柴燈護摩供の終わったことを報告した。世継を授けてくれるありがたい地蔵尊、少子化の日本、子孫が欲しくても子宝が授からない人が多くその存在感は今後さらに増加するだろう。安産と子授けの地蔵尊を祀る“京の世継ぎさん”古くから子授け・安産の寺として信仰されている。
信者のボランティアで多幸焼(たこ焼き)も無料接待で行われた。寒いとき、温まる酒粕汁を美味しくいただいた。また酒粕汁や多幸焼(たこ焼き)も無料接待で行われ美味しくご馳走になった。
柴燈護摩供養が行われる場所は白と赤、青と緑の弊ソクがあり、中央は黄色であった。山門の右手には樹齢?何百年の延命長寿のざくろの木が植えてある。午後2:00からは柴燈護摩供養が行われ、山伏たちが本堂前で護摩を焚いて祈祷した。集まった参拝者は願いごとを護摩木に托して手を合わせた。
<世継地蔵 上徳寺>
場所:京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町556 
電話:075-351-4360
拝観時間:9:00 - 17:00
拝観料金:無料
交通:京阪電車・清水五条駅下車徒歩約5分
       市バス・河原町五条下車徒歩約2分

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