2013年2月24日日曜日

大通寺と長浜城 その4

つづく・・・表参道の南北に伸びる石畳「ながはま御坊」の総ケヤキ造りの巨大な山門は1808(文化5)年に起工し33年後、落成した。長浜別院・大通寺は、“長浜の御坊さん”と湖北の人々に親しまれている。
総ケヤキ造りの巨大な山門は、“長浜の御坊さん”と湖北の人々に親しまれている。大通寺の本堂は白雪だった。本堂は真宗大谷派の別院として、京都伏見城の遺構を移築した。約7000坪の広大な境内には名勝・含山軒庭園があり枯山水庭園で伊吹山が借景になっている。また蘭亭庭もあって安土桃山時代の建築様式を伝えている。奥の大広間には狩野山楽や円山応挙らの襖絵もある。
馬酔木(あせび)展は2/10~4/18に開催される。鐘楼と積雪の松の木。境内では馬酔木(あせび)展(2/10~4/18)が開催されていたが、寒さのためかスズランに似た小さい可愛い花は、まだ蕾も固く花は咲かず残念だった。
薄氷が張った水と寺院。馬酔木の花はツツジ科の常緑低木で、庭木としても植えられている。葉が有毒で馬が食べると酔ったようになるというので馬酔木となったいう。3月から5月ごろ白い壺状の花が房になって枝先に垂れ下がり、盆梅と同じように150年~250年の老木で盆栽を楽しむスズランのような馬酔木の花があり紅色のものもある。豊国神社に通り、徒歩10分余りで秀吉の出世城・長浜城に着いた。
秀吉は湖畔に初めて居城を建て、今浜から長浜に改めた。西方に竹生島がみえる。長浜は古く今浜城と呼ばれ、天正元年、織田信長は浅井氏の旧領湖北12万石を羽柴秀吉に与えたのが始まりと伝わる。秀吉は湖畔に初めて居城を建て、今浜から長浜に改めた。
中央に点のような彦根城、コンテジカメラでは無里?雪の城下町だが春サクラ満開のころ、一転する!長浜城の天守閣に上ってみたが東西南、北側だけロープが張られ立ち入り禁止(降雪のため)、伊吹山も雲に隠れてみえないが西は琵琶湖が眺め、その向こうに小さく竹生島が見えた。南はひこにゃんのいる彦根城が遙か微かに見えた。 また城下には太閤の井戸もあり行ってみたが湖上の中であった。また長浜の琵琶湖は日本の夕陽の百選にもなっている。
江戸時代から続く「子ども歌舞伎(4/13~16)」にぜひ来たい。太閤の井戸。来々月、日本三大山車祭りの一つ、「長浜曳山まつり」がある。春、桜満開のころ、城下の桜を散策し江戸時代から続く「子ども歌舞伎(4/13~16)」を拝見したいものである。長浜の桃山文化を垣間見て、初めて城を持ち大名に出世した秀吉、400年の伝統に支えられ、湖北最大の観光スポットへと変貌を重ねて、町おこしの成功例として全国各地から視察を迎えている。(完)

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