2013年2月22日金曜日

北国街道と黒壁ガラス館 その2

つづく・・・地元の豪商・浅見氏が私財を投じた慶雲館は長浜駅西口から10分の処、故・高山氏が1951(昭和26)年に盆培愛好家として、約40鉢市に寄贈したのが始まりで過去62年が経った。 寒い冬を乗り越え凛とした梅花は一輪、また一輪と咲くけな気な姿に感動した。
1871(明治4)年9月、県下で最初に「滋賀県第一小学校」が建設された。シャーベット状になった雪の降り積もる北国街道。樹齢400年を筆頭に350年、250年など、その手入れする人たちに懸かっていて昨年長浜市の「市の花」に梅が選ばれたという。 11時前であったが人が混雑、本来ならメーンの長浜盆梅展をゆっくりじっくりと観察し、写真に納めたいところだが一先ず慶雲館の盆梅展に暇を付けた。
北国街道と大手門通が交わる黒壁ガラス館、明治末期、旧第百三十銀行が建築された。その外壁が黒漆喰の様相から「黒壁銀行」の愛称で親しまれていた。いまも城下町の面影をのこす安藤家。長浜駅前通りをすこし東に行くと北国街道が交わるところに旧開知学校がある。1871(明治4)年9月、県下で最初に「滋賀県第一小学校」が建設された。その三年後、木造3階建て八角塔屋付の擬洋風建築の校舎が建築された。 当時、建築費用は地元住民による寄付金で長浜の人々が教育に関して熱心であったことがわかる。
隣にはガラス工房がある。真っ赤になったグラス制作中・・・。城下町の面影をのこす長浜の街・北国街道は中山道と北陸路を結ぶ主要道で、古くから人や物資が行き交う宿場町として栄えてきた。秀吉は城下に楽市楽座を取り入れ長浜の町を商業の基礎を築いた。
2013年製のガラスの雛人形。 長浜城から東に延びる大手門通りとの交差点は「黒壁スクエア」が広がる。 江戸時代、「札の辻」と呼ばれ、古くから長浜の中心地だった。この辻に明治末期、旧第百三十銀行が建築された。その外壁が黒漆喰の様相から「黒壁銀行」の愛称で親しまれていたが取り壊しの危機に際し、建物の再利用となって1989(平成元)年に「黒壁一號館・黒壁ガラス館」が造られた。
長浜には現在「黒壁スクエア」という街広場があり、この一號館を取り囲むように約30店が軒を連ね二號館のガラス工房では初心者でも製作に参加することができる。 新旧の調和が整った古い商家や美術館、黒壁ガラス館の隣にあるクロカベスタジオにも立ち寄った。工房ではガラス製品の実演をしていた。 美しく透き通る本物のガラス文化、ガラス細工作りが体験できるという。
上部が、焼き鯖そうめん、一人前セット1260円。郷土料理、翼巣楼(よかろう)は黒壁8号館。大手門通り、黒壁ガラス館をはじめ、郷土料理の店などが軒を連ねている。 昼食時なり昨年は長浜名物の「のっぺいうどん」だったが今年は「焼鯖そうめん」を食したが、汁もなく、されど名物で商中だった。黒壁美術館へつづく・・・

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