2013年2月5日火曜日

北野天満宮 節分祭「上七軒日本舞踊」

つづく・・・節分というとまず思い浮かべるのが豆まき、小さい頃からの習慣で何となく豆をまいて「鬼は外」と叫んだ記憶が残っている。起源は中国の鬼祓いの意味があり、節分の豆まきと鬼は日本人の歴史に根差した年中行事とされている。
北野上七軒は豊臣秀吉が造った京都で一番古い花街である。芸姑さんの二人は這うように舞う。干支で表す恵方がある。北東の方向、鬼門を立春とみて裏鬼門は南西、立春は季節の鬼門にあたるため、その前日の冬の節分には豆をまいて鬼を払うという。節分は邪気を払い家内安全を願い、立春の前日をさし一年の始まりとしたため、大晦日と同じように考えられていた。
舞妓さんのかんざしは梅の花。豆まきの他に「巻ずし(恵方巻き)」を食べるようになった説は、「福を巻き込む」、「切らずに食べる」ことから「縁を切らない」という意味が込められている。
年季がものをいう芸姑さんのよさ~恵方の南南東の方角を向き、お願いことをしながら無言で巻ずしを丸かぶりすると、その年は幸運がめぐってくると言い伝えられている。
襟足の肌襦袢の色も赤く、舞を披露する。節分いわしは「鰯(いわし)の頭を柊(ひいらぎ)の枝に刺したものを玄関に飾る」という風習は近年になってからで、鰯を焼くと出る激しい煙と臭いで邪気を追い払い、柊の針で鬼の眼を刺し退散する魔よけの意味があるという。
神楽殿の柱が邪魔をして上手に撮影できない!!ところで、上七軒の芸舞妓さん等の日本舞踊は4部構成で行われ、司会の宮司が早口で紹介する。最初は舞妓さんが一人で舞うがポロリと赤ぐしが日本髪から抜けたハプニングがあった。続いて二人の芸姑さんはしっとりと踊った。三人の舞妓さんの登場はまだ幼さい感じたっだ。そして最後は5人で華やかに舞い踊った。
そのあとはお待ちかねの豆まきであるが、北野天神さんの福豆はぎっしりと入っていて都合5個も福豆をいただいた。
北野天満宮の福豆、五個もいただいた!手を大きく広げる参拝者の方々。つづいて、千本釈迦堂のおかめ鬼追いに歩いたが途中で変更、バスに乗車、清水道の六波羅蜜寺へ急行したが既に遅く、境内は溢れん人々で超満員であった。

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