6日、伏見・金札宮(きんさつぐう)えびす神の寶惠駕籠巡行がことしも行われた。永らく途絶えていたが2010(平成22)年に復活され今年で4度目の巡行になっている。
京阪/近鉄丹波橋駅から西に向かい約10分で金札宮、小さな社である。金札宮の由来は750(勝宝2)年ごろに大異変があり、孝謙天皇が深く憂慮されていたという。
伏見に宮居建設中、突然金の札が降り、札には「永く伏見に住んで国土を守らん」と書いてあり、人々が集まって来るうちに‘空’から声がして、『我こそは天照大神より遣わされた天太玉命なり、我を拝まんとすれば、なお瑞垣を作るべし』と、聞こえたという。天皇に奏上したところ、ことのほか喜ばれ「金札白菊大明神」の宸翰を与え、人々は力を合わせて社殿を造営したという。
伏見で最も古い神社の一つで、旧久米村の“産土神”として崇敬されている。その昔、境内には久米寺を再興し、1355(文和四)年に西方寺と改め、1604(慶長九)年に喜運寺(きうんじ)が創建されたが、金札宮はその鎮守杜として移転し明治の神仏分離で社は独立し現在に至っている。
現在の社殿は伏見奉行内藤豊後守の許可により造営を始め1848(嘉永元)年完成したものである。また本殿の縁に座る一対の狛犬は実に品良くのびやかで、往時の金札宮の繁栄を物語っている。説明は長くなった境内にあるえびす神の祭礼を向かえ、12時30分から寶惠駕籠巡行の前に神前で儀式が執り行われた。
前半、金札宮と後半、寶惠駕籠巡行をお伝えしたい。つづく・・・
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