2011年5月17日火曜日

葵祭 2011 その1

15日、葵祭の行列が華やかな平安王朝絵巻に繰り広げられた。
京都三大祭のトップ、葵祭が平安時代の華やかな装束を身に着けた約511人の行列が鮮やかな新緑眩しい都大路を練り歩いた。
第56代斎王代は、大震災の被災者への思いを込め微笑で・・・紅色の水干姿の牛童が綱を引き、御所車と呼ばれる牛車が車輪をきしませて進んだ葵祭の行列は午前10時半、京都御所の建礼門前を出発、下鴨神社に立ち寄り賀茂街道を経て上賀茂神社に向う約2里(8km)の道程で、沿道に詰めかけた観光・見物客(人出は81,000人)は華麗な王朝絵巻にうっとりと見入っていた。 山城使
行列の先払い、素襖(すおう)祭りのヒロイン、第56代斎王代は、東日本大震災の被災者への思いを込め、にこやかな表情と微笑を絶やさずに、十二単姿で腰輿(およよ)に担がれ、みやびやかな宮廷装束に身を包み、晴天の日差しのもと平穏な暮らしを祈った。
大勢の観光客らが見守るなか、王朝絵巻さながらのみやびな祭りは行われた。行列中最高位の人、勅使
御幣櫃と内蔵寮史生(くらりょうのししょう)祭の起源は今から約1400年前で、正式には“賀茂祭”と云われていた。平安中期の宮廷貴族の間で“まつり”といえば賀茂祭が有名で六世紀に始まったとされ、歴史を物語る優雅な伝統祭事であった。 風流傘
陪従(べいじゅう)葵祭は、上賀茂・下鴨両神社の例祭で、行列の装束や社殿に「フタバアオイ」を飾ることから“葵祭”といわれるようになったという。童女(わらめ)と齋王代列
女別当フタバアオイの葉を頭や胸に飾った約1kmの行列は、フジの花をつけた牛車や馬など約40頭が本列(近衛使(このえづかい)代列)が、京都御所・建礼門を出発、紅色の水干(すいかん)姿の牛童が綱を引き、「御所車」と呼ばれる牛車(ぎっしゃ)が車輪をきしませて進んだ。
内侍?命婦?晴天でよかった、まだまだ行列は続く・・・女官が先導する斎王代列(女人列)が続き、斎王代が乗った腰輿(およよ)が近づくと、京都御所に集まった大勢の観光客からひときわ大きな拍手があがった。
十二単(ひとえ)に身を包み、フタバアオイと金銀の金具で髪を飾った斉王代を見つめると観客からはため息がもれた。齋王付の神事を司る女を騎女という采女(うねめ)と後方は騎女(むなのりおんな)
京都御所で行列の待機中にお話を聞いた。隣は静岡から夜行バスで来たというご婦人、奈良から朝6時の電車で来たという夫婦連れ・・・一度“葵祭”をしっかりと観ておきたいと言っていた。後半、賀茂街道につづく・・・

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