2012年4月16日月曜日

長浜曳山まつり その2

長浜曳山まつりの子ども歌舞伎の由来は、今から400年あまり前の戦国下克上の時代、当時の長浜城主、豊臣秀吉公に男の子が生まれた事に伝わっている。秀吉公からお祝いの砂金を贈られた町民は、山車を作り、長浜八幡宮の祭礼に曳き廻した。
「動く美術館」とも呼ばれ、長刀山を除く4台ずつが毎年交代で出場する 船町組の猩々丸(しょうじょうまる)の曳山 江戸時代に入ると、曳山の舞台で子ども歌舞伎が演じられるようになり、曳山は漆や金銀の彫刻の装飾が施され、外国製の織物なども幕として用いられた。
母と子赤い陣羽織で指揮する方今の「動く美術館」とも呼ばれる形式へと発展していった。13台の曳山の内、長刀山を除く4台ずつが毎年交代で出場する。
弁慶と母おさわ?の両袖華やかな着物姿の女形 今年は高砂山、猩々丸、壽山、鳳凰山の4基の出番山が登場した。祭は9日から始まり、12日までの4日間は裸参りや13日早朝御幣迎えの社参儀式が行われ午後からは出番山の籤取り式に臨んだ。豪華絢爛な曳山で演じられるまつりは佳境に入り、次に登場する船町組の猩々丸(しょうじょうまる)は、観客の人込みのなか山車の位置を代えた。
ぐっと睨みをきかせポーズをとる演目は「御所桜堀川夜討 弁慶上使の段 演目は「御所桜堀川夜討 弁慶上使の段(ごしょがわらほりかわようち べんけいじょうしのだん)」を上演した。長浜曳山まつりの最大の見どころは小学生たちによる歌舞伎、各曳山組の5歳から12歳の男の子が役者となり2ヶ月も稽古を始める。
子どもたちは二ヶ月も稽古に明け暮れる弁慶は二つの首を高く上げる 13日夜から4日間上演され、堂々とした中に可憐さを秘めた大人顔負けの熱演は、観客の拍手喝采を浴びていた。曳山の舞台で武者役や女形が姿を見せ演じて見栄を切ると、観客は「待ってました!!」や「泣かせます・・・」の声が飛んだ。悲哀を表現するたびに大きな拍手を受けていた。
猩々丸は萬歳と書かれた法被きて山車を引く








何一つ歌舞伎のことの物事の筋道は解らなかったが、子ども歌舞伎を観覧して来年も湖国長浜に来たくなった。大手町組みの壽山はつづき・・・

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