2009年3月12日木曜日

琵琶湖疏水記念館

疎水から動物園を望む
琵琶湖疏水記念館は平成18年2月農林水産大臣から疎水百選認定された京都市身体障害者リハビリテーションセンター「地域リハの集い」から左京区の琵琶湖疏水記念館へ行った。
明治時代の大事業である琵琶湖疏水の意義を一人でも多くの人に伝え、先人の偉業を顕彰するとともに、将来に向かって発展する京都の活力の源となることを願って琵琶湖疏水竣工100周年を記念して、1989(平成元)年8月1日に開館したという。琵琶湖疏水を考えた田辺朔郎工学博士蹴上交差点のたもとにある蹴上発電所疎水事業は明治維新と東京遷都で人口が50万人から23万人にも減少し、衰退した京都を復興させるため当時の第3代京都府知事北垣国道が1885(明治18)年、提唱した。また、東京の工部大学校学生であった田邉は琵琶湖疏水の実現に奔走。卒業したばかりの田邉朔郎を土木技師に採用するなどの準備を進めた、その全容が記録・展示されている。インクラインの台車
現在のインクライン跡・両側の桜が満開になれば綺麗だ!琵琶湖疎水とは、用水・発電・水運のために滋賀県の琵琶湖から引いた運河のことである。 当時は、ほとんど機械・資材もなくいわば人力のみに頼る長さ2436mの長等山トンネル工事(湧き水)は困難を極めたが卓越な技術と強い信念・不屈の精神力によりこれを克服し、犠牲者を出しながらも17名の犠牲者の碑がある全長19968m、1890(明治23)年に完成した。また、第2疏水は1908(明治31)年着工、1912(明治35)年、全長7423m完成した。多い時では100艘の船がインクラインを通って荷物を積み中書島の伏見港を往来したという!2本のレールの上を台車が行き来した。
レールの幅は今の鉄道の1.5~2倍くらいか。現在は使われていない。
なお、春には両側の桜が咲いて美しい。ペルトン水車
スタンレー発電機 1894年、蹴上発電所4号機、二相交流発電機、1000rpm、2000v、60kw、1333Hzまた田邉は、優れた先見性により世界で2番目(日本初の事業用発電所)の水力発電をこの蹴上の地に実現、蹴上発電所とし産業動力源に大いに役立ったのである。
ペルトン式水車は実物で貴重なものである。水力発電のための水車で明治30年には同型のものが20台あり、明治45年まで使われた。うち少なくとも6台は米国のペルトン社の設計、製造で、残りは日本で製造した。
スタンレー式発電機も同様で明治30年に19台設置されていた。展示の発電機は、米国スタンレー社から輸入し、第4号機として設置された二相式交流発電機だが、いずれも実物だ!
この電力を利用して、1912年(明治45年)には日本初の路面電車が京都に走った。因みにチンチン電車である。疎水は二手に別れ、南禅寺方面へ
「ねじりまんぽ」鉄道用語だそうだ!この明治期の疎水事業がなければ現在の京都は、寂れた古都に成り下がっていたとさえ言われると館員はビデオで説明してくれた。
琵琶湖疏水は今も京都に琵琶湖の水を供給し続けている。疏水はまさしく京都に命の水をもたらしてくれているのだ!疎水散策を行くと南禅寺
水路閣は南禅寺の境内の南奥にあり、赤レンガでできたローマ風のアーチインクライン、水路閣は(南禅寺の境内の南奥にあり、赤レンガでできたローマ風のアーチ)、哲学の道、疎水公園、蹴上浄水場など疎水散策に行く際には立ち寄って予備知識を入れておくのも一考だ! 野村美術館過ぎると疎水が流れてる

交通アクセス
地下鉄: 東西線「蹴上」から徒歩5分
市バス 5、特5、27系統「法勝寺町」より徒歩5分
休館日 月曜(祝日の際は翌日に振替)年末年始
開館時間 
    3~11月:9:00~17:00(入館16:30)
    12~2月:9:00~16:30(入館16:00)
入館無料(隣接する動物園からも入館可)
●臨時休館期間
平成21年5月11日(月)~平成21年10月中旬

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