2014年3月13日木曜日

洛東 金戒光明寺(黒谷さん)

金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)黒谷さんの北門をくぐって塔頭の中を進んで行くと、本堂の西側に出た。寺の梅は初めてで、知る人ぞ知る隠れた梅の名所となっている。浄土宗の大本山のひとつで、左京区黒谷町にあり京都の人々から「くろ谷さん」と親しまれる。
阿弥陀堂前には紅梅が2本植えられている。
山門には後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額がある。承安5年(1175年)、比叡山を下りた法然上人が、草庵を結んだ地で、山号は紫雲山、本尊は阿弥陀如来で知恩院と並ぶ浄土宗最初の寺院となった。
法然上人は、黒谷で休憩の時、石から紫の雲が立ち上り、金色の光が放されて「紫雲山光明寺」と号したという。 また第8世運空は後光厳天皇に戒を授けて、金戒の二字を賜り、その後、金戒光明寺と呼ぶようになったという。
寺は、徳川初期に会津藩主松平容保(かたもり)が文久2年(1862年)、京都守護職の本陣となって会津藩士のみでは手が回りきらなかったため、守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き治安の維持に当たらせたという。
しかし慶応3年12月9日大政奉還後の王政復古の大号令によって薩摩藩・長州藩が市中の支配を確立したため、京都守護職は設置後6年をもって廃止された。ここ黒谷の地で、鳥羽・伏見の戦いで戦死した会津藩士の菩提を弔っている。
極楽橋と白梅。
塔頭の紅梅。 また源氏の武将熊谷直実の「よろい掛け松」が、松食い虫の被害及び、夏の異常気象により、残念ながら10月初旬で伐採となったという。現在三代目の松は育成中で、3月までに植樹するという。 最も古い建物である阿弥陀堂前には紅梅が2本植えられていた。
徳川二代将軍秀忠の正室「お江」の墓。蓮池(別名 兜之池)は、武将熊谷直実は法然上人を尋ね、出家を決意し兜を置いたという。春日局が徳川二代将軍秀忠の正室「お江」の墓を建立し参拝するために極楽橋を寄進したという。その後、山上には江戸初期徳川秀忠公菩提の為に建立の三重塔に安置されている。
山上の三重塔に行く途中、振り返ってみた!
会津藩士の墓地は、この道まっすぐに・・・。山門には後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額がある。間口約15m、高さ約23mで、1400年前後の建立とさている。山門2階には、釈迦三尊像や十六羅漢像、天井画「蟠龍(ばんりゅう)図」がある。同時公開される大方丈では、新島八重直筆の和歌や容保の遺墨を展示する。門上から会津藩士らが京都を警戒したとされる。
京都に会津藩の墓標。金戒光明寺は、幕末に京都守護職を務めた会津藩主・松平容保が本陣を置き、昨年NHK大河ドラマ「八重の桜」にも登場した。

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