2012年12月7日金曜日

洛北 修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)

左京区の比叡山の山裾に造られた修学院離宮は1655(承応4)年、後水尾上皇(ごみずのじょうこう)によって造営され1659(万治2)年に完成した山荘で桂離宮や仙洞御所とならび宮内庁所管の離宮である。
総表門前に赤と黄の2本の紅葉が出迎えてくれた修学院離宮は1655(承応4)年、後水尾上皇によって造営された7日、ブログ友さんと共に地下鉄国際会館駅で待ち合わせ、市バス修学院離宮道で下車徒歩15分、11:00からの参観に参加した。京都に在住しているが修学院離宮の参観は初めてでU氏の計らいで実現となった。
「壽月観」の扁額は、後水尾上皇の御真筆である飛び石や庭に立つ袖石灯篭があり池泉観賞式庭園である受付は総表門20分前からで赤と黄の2本の紅葉が出迎えてくれた。修学院離宮は、その昔、修学院村に寺があったが廃絶し中離宮付近に円照寺があり上皇の第一皇女梅宮が得度して草庵を営まれていたという。
上皇は奈良に円照寺を移し、上・中・下の三つの離宮(御茶屋)を別荘として定め王朝文化の美意識を高めていたという。御幸門から下離宮へと足を踏み入れた。
中離宮の客殿の祇園祭山鉾客殿一ノ間の霞棚は「天下三棚」の一として知られている下離宮は丘陵を含む広大な敷地の中に田畑があり、中離宮へと向う途中、松並木から見る景色は長閑な風景であった。 「壽月観」の扁額は、後水尾上皇の御真筆、前庭の飛び石や庭に立つ袖石灯篭や江戸後期、水墨の襖絵等々があり池泉観賞式庭園である。
楽只軒(らくしけん)門跡尼寺として今も林丘寺は存続している上皇の第8皇女・光子(てるこ)内親王のために、1668年(寛文8)造営された朱宮御所は上皇没後、林丘寺(りんきゅうじ)という寺に改められ、楽只軒(らくしけん)と客殿を含む、林丘寺境内の約半分が宮内省(1885(明治18))年に返され離宮の一部となった。門跡尼寺として今も林丘寺は存続している。
上離宮の御成門、松並木を登り終えると棚田や市内が見える石段を上ると離宮内の最高所に「隣雲亭」が建っている客殿は、1677(延宝5)年、東福門院(後水尾天皇女御、徳川2代将軍秀忠娘)の女院御所の奥対面所を移築したものである。客殿一ノ間の霞棚は、桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに「天下三棚」の一として知られている。
「隣雲亭」赤と黒の「一二三石(ひふみいし)」三つ目は上離宮の御成門、松並木を登り終えると棚田や市内が見え石段を上ると離宮内の最高所に「隣雲亭」が建っている。
浴龍池ともみじ巨大な人工池の浴龍池(よくりゅうち)と大刈込を中心とした壮大な庭園である。
中国風の千歳橋楓橋1824(文政7)年、再建の隣雲亭は展望を目的としたもので、軒下には赤と黒の「一二三石(ひふみいし)」の小石が埋め込まれているが床も飾りもない・・・。
浴龍池(よくりゅうち)の散りもみじと舟着場窮邃亭(きゅうすいてい)は修学院離宮において創建当時のまま残る唯一の建築浴龍池は中島、万松塢(ばんしょうう)、三保ヶ島という3つの島からなり、中島の窮邃亭(きゅうすいてい)は修学院離宮において創建当時のまま残る唯一の建築である。
土橋と一艘の舟西浜から人工池の浴龍池と隣雲亭を望む上離宮から中国風の千歳橋へ向かう途中、右に人工滝があった。「楓橋」や「土橋」は美しい紅葉が終ったあとで残念であった。
上離宮・隣雲亭、眼下に浴龍池、遠方に借景の山々を望む壮大な風景が広がる壮観・光景展望が開ける。自分は手足に障害を持っているが職員がゆっくり歩かれるのでとても参観しやすかった。
<修学院離宮>
宮内庁京都事務所参観係 電話:075-211-1215
参観所要時間:約1時間20分
料金:無料
交通:叡山電車 修学院下車 徒歩約20分
    市バス修学院離宮道下車 徒歩約15分
駐車場:なし
車椅子:不可
予約方法:事前予約制
       「往復はがき又はホームページから申し込み」

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