2012年7月19日木曜日

祇園祭 新町巡行

つづく・・・新町通りは巨大な山鉾が通過には狭く、鉾天井にいる屋根方、そして車舵の車方の腕の見せところだ!
鉾の名は、鶏の鳴き声によって函谷関を開けさせ脱出できたという故事鶏鉾の豪快な辻回し特に電柱・電線は屋根方の注意が必要で屋根接触を避けてギリギリで通過して行く・・・。
祇園祭の粽は邪気を祓い、病や災難除けのお守りとなる朱色の毛氈と垂幕がある町屋風景新町には鉾が通るため迂回、新町姉小路の難所は有名で、ここも混雑で入れなく移動するのが遅すぎた感もあり、すでに長刀鉾や函谷(かんこく)鉾など何基の山鉾が無事に通過していた。
船鉾新町の町屋が残る山鉾巡行風景・・・鶏鉾が新町通りを南へと進み、コンチキチンのお囃子も軽やかに狭い通りにやってくる。重さ10トン以上もある山鉾だが、電柱・電線を押して接触を避け、巡行コースで一番の難所で、狭い通りに巨大な山鉾、スリル満点迫力がある。
大船鉾は少人数だが元気よく囃子の音を響かせていた八幡山は無事巡行を終え、観衆からご苦労さんと拍手を頂いていた鉾の高さは住宅の家の2階、粽(チマキ)をもらうため手をだしていた。古都ならではの芸舞妓さん、浴衣姿で曳き手をうちわで扇いで涼をとっていた。八幡山は帰還して拍手を送られていた。今年から参加の大船鉾は囃子、唐櫃巡行であった。
きれい処の芸舞妓さんたち囃子も無くひっそりだった放下鉾の曳き手たち放下鉾は事情があって囃子の方は全員が歩いていた! 祇園囃子のコンコンチキチン、コンチキチンの鉦や笛・太鼓が鳴り祭が催され、ダミーの稚児人形も幕が張られていた・・・いったい何があったのだろうか?鉾には交代要員を入れて約4、50名が乗り込んでいるという。
ダミー稚児人形も幕を引ていた?屋根からとうちわ片手に見送り(皆川泰蔵画伯ふくろう)を観る人たち町家が残る新町通を帰る南観音山、見送りは龍王渡海図(加山又造筆)、そしてしんがりは、楊柳(ようりゅう)観音像と韋駄天像を安置する北観音山、いずれも豪華である。 巡行が終わって神座に集めた疫神を四散させないため、各鉾町内に帰着するとすぐに解体される。
南観音山の見送りは龍王渡海図(加山又造筆)しんがりは町屋が残る新町通を進む北観音山京の都の夏を彩る山鉾巡行は「動く美術館」と言われ、山鉾は町衆が脈々と受け継いできた華やかな祭気分、観覧客は山鉾巡行に酔い痺れ魅了した。(完)

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