2012年7月5日木曜日

京都 奥嵯峨 直指庵(じきしあん)

4日、梅雨の晴れ間の午後、ぶらりと奥嵯峨野の「直指庵」を訪ねた。‘女人の駆け込み寺’とも云われる直指庵は、嵐山・大覚寺の北に位置している。
竹林の中に茅葺の山門が見えたモミジが迎えてくれる直指庵嵯峨野は嵐山の渡月橋から小倉山が望め、大沢・広沢ノ池 がある美しい長閑な田園風景がある風光明媚な名所となっていたが、直指庵に行ったのは初めてある。
本堂の前の扁額庵主さんが書かれたのか、池の水と人の心・・・これといった庭園もなく、国宝もない地味な寺院だが、竹林に囲まれた清涼感溢れる感じがし、この時季、静かに参拝することができた。
無造作に古い蓑が掛かっていた!愛逢い地蔵は縁結び、恋愛成就によい奥嵯峨にひっそり佇む寺院、浄土宗・祥鳳山(しょうおうざん)直指庵は、南禅寺で臨斉禅を修学していた「独照性円(どくしょうしょうえん)」が1646年(正保3)に営んだ「没蹤(ぼつしょう)庵」が始まりだという。
境内の高台にある開山堂、開祖の独照性円の墓といわれる石塔を中央に祀ったお堂ある想い出草観音菩薩像 五千冊以上の思い出草ノートに綴られた苦しみや悲しみを取り除いて、願いを汲み取ってくださる観音様その後、黄檗宗の禅開僧・隠元(いんげん)禅師の教えを受けた独照が「直指人心」禅の悟りを示し、大寺院なっているにもかかわらず、寺号を定めず直指庵として創建したという。
本堂の右手、写経堂と二河白道の庭小さなお地蔵さん幕末期、公家近衛家に仕えていた津崎村岡が再建、直指庵は浄土宗の庵寺となった。1858年(安政5)の安政の大獄で捕らえられた尊王攘夷(じょうい)派の村岡局は、江戸城に行き水戸藩士らと親交をもち、勤王の志士達と近衛家、公卿との連絡に当たり、特に近衛卿や西郷隆盛らの運動を助けた。
きれいな額アジサイが咲いていた水子地蔵堂、別名「子授け地蔵」ともいわれているやがて村岡は放免され、この庵に隠居し1873年(明治6)88歳で没した。
本堂から日本石楠花の庭をみる本堂から見た苔むす庭園いま嵯峨野は若い女性たちで賑わう?直指庵は「女人の駆け込み寺」と言ってもよい・・・訪れた女性の多くがこの寺に備えられている、思いの丈を綴る「想い出草」という1ページに青春の心の内を書き残している。ノートに書き込んだ悩み苦しみは、「想い出草観音」が救ってくださるという。
「想い出草観音菩薩像」は境内の一番奥まったところに建っている。
本堂にあった想い出草のノートブックは合せると10冊あった!現在の本堂は、1899年(明治32)に再建され本尊の阿弥陀如来像が祀られている。直指庵は、今も奥嵯峨の風情を多く残す竹林の間の小径の奥にあった。
<直指庵>
場   所:京都市右京区北嵯峨北ノ段町3 電話:075-871-1880
拝観料金:500円 ・障害者も同じ
拝観時間:9:00~
交   通:市バス 大覚寺から徒歩10分 駐 車 場:有料有り
嵯峨野さやさや」 [作詞]:伊藤アキラ [作曲]:小林亜星 [編曲]:萩田光雄
(1)京都嵯峨野の直指庵 旅のノートに恋の文字 どれも私によく似てる   
       嵯峨野笹の葉さやさやと 嵯峨野笹の葉さやさやと
(2)雨の落柿舎たんぼ道 薮の茶店で書く手紙 昨日別れたあの人に   
      京都嵯峨野の笹がなる 京都嵯峨野の笹がなる
(3)朝の祇王寺こけの道 こころ変わりをした人を 責める涙がぬらすのか   
      嵯峨野笹の葉さやさやと 嵯峨野笹の葉さやさやと
(4)京都嵯峨野に吹く風は 愛の言葉を笹舟に 乗せて心にしみとおる   
      嵯峨野笹の葉さやさやと 嵯峨野笹の葉さやさやと

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