2009年7月18日土曜日

2009,祇園祭 山鉾巡行

菊水井戸から菊水鉾
先頭の長刀鉾
日本三大祭りの一つ、京都・祇園祭は17日、ハイライトの山鉾巡行を迎えた。
ポツポツと小雨がぱらつく天候だったが雨も止み、祇園祭は、「動く美術館」と言われる華麗な懸装品に飾られた山鉾32基が囃子(はやし)を奏でながら、都大路を進み華やかな姿を楽しんだ。棒振り囃子を披露するカマキリの羽や鎌が動く「かまきり山」とも言う
鉦(かね)や笛・太鼓の祇園囃子が響く中、「エーンヤーラヤー」の掛け声を合図に先頭の長刀鉾が市中心部の四条河原町交差点に差し掛かると稚児が太刀を振り下ろし脇を固める補佐役の禿(かむろ)二人の稚児にも大きな拍手が起った。
見せ場は、交差点で90度進行方向を変える「辻回し」。車輪の下に割り竹や棒を敷き、水をかけ、引っ張り手たちが音頭に合わせて一斉に綱を引くと、山鉾がギシギシと大きな音を立てながら回り、沿道から拍手や歓声がわき起こった。 曳き山でご神体は胸をかけた天照大神
鶏鉾、ベルギー製の見送りは必見(重文)「山一番」の芦刈山、白楽天山、霰天神山へと続いていった船鉾
放下鉾、巡行時3人の人形遣いが優雅に舞いをみせるかっては、鉾の正面に乗る稚児は、生稚児とされていたが、稚児となった家庭やしきたり、費用や時間の負担が大きくなった為、放下鉾は昭和4年からダミーの稚児人形が使われた。ただ、この人形、特技があるという!
文楽人形のように手足が操れる仕組みで巡行時、3人の人形遣いによって、まるで生きているかのように優雅な舞が披露された。黒主山
「上り観音山」とも言われる北観音山「動く美術館」と言われる山鉾には、ひときわ異彩を放つものがある!
それはヨーロッパ製のタぺストリー(かべ掛)。
日本が異国との貿易盛んな頃、将軍や大名に献上品で贈られた高級舶来品が江戸時代から経済力のある京都の町衆のもとへたどり着き、祇園祭山鉾で披露されるようになったと言う。
いつの時代も最高の美を追求した町衆の熱意と心粋が感じられる。 見送りは「イーリアス」重文 鯉山
鈴鹿山コンチキチンの祇園囃子は各鉾独特の曲があってその歴史は能楽の影響を受けている。室町時代の末には成立し、江戸時代には今のように鉦・太鼓・笛に限られた楽器になっている。幼少の頃から鉦方(かねかた)の稽古を習い、成人して太鼓方や笛方になるという!
囃子方の数は鉦方8名笛方8名太鼓方2名が基本だが巡行の時は交代要員を入れて約40名が鉾に乗り込んでいるという。曲目は30曲余りもあり、それぞれ山鉾独自のものという。32番目は南観音山
浄妙山、町内で所有する「浄妙坊の鎧」は重文大きく立派な山鉾、専門の職人たちによって行なう「山鉾建て(10日~14日)」は毎年一から組み建てる。くぎを一切使用せず縄だけで骨組みを固定する技法「縄がらみ」の伝統の技は見もの。
巡行が終わったら各鉾町内に帰着するとすぐに解体される。それは、神座に集めた疫神を四散させないためという。隠れた所にある秘かな想いと職人の美学がある。
各山鉾は大切に守ってきた神体とともに、誇らしく通りを練った。
町衆が脈々と受け継いできた晴れやかな祭りの気分を、見物客も私も満喫した。

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