平安期は賀茂社と並び、王城守護の社として大切にされ、東の「賀茂の厳神」、西の「松尾の猛霊」と称され弟の秦伊呂具(はたのいろぐ)は711(和銅4)年、伏見稲荷大社を建立、秦一族は平安遷都以前に始まる。
法被を着た威勢の良い與丁(よちょう)たちは総門の石段を登り、神輿の鳴鐶(なりかん)を手に本殿に着いた。
松尾七社は、本殿の御分霊を受けて拝殿廻し後、月読社の唐櫃一基と六基の神輿が出発、神輿はヤマブキ色に輝いていた。
與丁たちは担ぎ上げをし、観衆の拍手喝采を浴びていた。
満開のヤマブキをバックに神輿が、楼門の外に出た。
威勢の良い與丁たちは二の鳥居に無事担ぎ終え、台車に乗せられた。
神幸祭(おいで)は、六基の神輿が船で桂川を渡る伝統行事「船渡御(ふなとぎょ)」が行なわれた。
大社の船渡御は、一時中断されたが1983(昭和58)年に再開されたという。
その昔、先人たちは桂川の中を神輿を担いで渡ったと言われている。
神輿は午前に松尾大社の境内を出発して、昼ごろに桂大橋近くの桂川右岸に次々と到着した。
桂川の右岸は滑るので慎重に水の中に神輿は入った。
神輿の下に入り、法被姿の輿丁たちは足場が悪いが耐え、その度、拍手をし「船渡御」は最高潮になった。
橋の上では見物客たちが拍手を送ったり、カメラで撮影していた。
松尾大社は、約10万戸の氏子を持ち、洛西の総氏神である。
平安時代の貞観年間から“川渡しの御船”で、五穀豊穣や家内安全を願ったもので千年の歴史を刻むという。
神輿が大社に帰還する「おかえり」と呼ばれる還幸祭は5月12日に執り行われる。(4/23撮影)
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