ご祭神は素戔鳴尊で髭咫天王と申し上げ、修学院・山端地区の産土神として永く御神徳を仰いでいて、創建は一千有余年前、平安時代初期に比叡山麓、赤山付近に鎮座され、応仁の乱の兵火に罹り今の修学院離宮の場所に遷し祀られていた。
江戸時代に入り、後水尾上皇の離宮造営により、元禄二年(1689年)に現在地に鎮座することとなった。
本殿南の御幸橋は離宮正面入口の音羽川に架設され、天皇も渡られた名橋、 昭和42年に下賜され、社宝として宮川に架設されている。
境内の「八重垣」の石は素戔鳴尊が櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)を妻にする時に詠まれた「八雲たつ 出雲八重垣妻籠に 八重垣つくるその八重垣を」。
夫婦和合、良縁が授かるご利益があるとされている。
毎年5月5日の神幸祭には、御神輿が氏子区域を巡幸、鉦や太鼓の囃、菅笠に紅たすきをかけた着物姿、手には扇をもった小3の男児による「サンヨレ」という掛けで練り歩く。
春は桜、夏はモミジ、秋は紅葉が楽しめて、小鳥がさえずる自然豊かな神社。(4/6撮影)
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