2011年9月18日日曜日

東山 金地院(こんちいん)

東山の麓にある金地院は、臨済宗大本山南禅寺の塔頭の一つで大寧軒の北隣にある。蹴上浄水場の前から南禅寺へ向かう道、インクラインをくぐるトンネル地方の東照宮の代表的なものである
地下鉄東西線蹴上駅から「ネジリマンボ」を通って北へ徒歩約5分の西側である。その道中の左に金地院の中にある“東照宮”の山門がある。明智門と本堂 南禅寺の十二の塔頭の一つで表門
金地院は、南禅寺の十二の塔頭の一つで、1400 (応永年間)年ごろに室町幕府4代将軍・足利義持が大業(だいごう)和尚を開山として北山の鷹ヶ峯に創建された禅寺である。1605(慶長年間)年に以心崇伝(いしんすうでん)が中興した。
本尊は地蔵菩薩を奉安している。本堂は慶長16年、崇伝が伏見桃山城の一部を徳川家光から賜り移築した
方丈、東照宮が眺められるように造られたられたが、現在は茂みで見ることはできない崇伝は足利将軍家家臣の一色秀勝の次男で、1573(天正元)年に足利幕府が滅亡し、秀勝が没落したため南禅寺に引き取られ仏門に入った。その後、1594(文禄3)年、住職の資格を得て「以心崇伝」と名乗った。鶴亀の庭、徳川家光のために造った庭で枯山水、前面の白砂は海を表し、右が鶴島で左が亀島、背後の東照宮を礼拝するためで両島の中央に遥拝石が敷かれている
以後、醍醐寺、三宝院で学びさらに福厳寺や禅興寺、建長寺・南禅寺の住職を歴任した。そして1605 (慶長10) 年に南禅寺270世住持になった。37歳の年齢にして「臨済宗」の頂点に立ち、後陽成天皇から紫衣を賜って天皇からも認められた。第三世以心崇伝長老が南禅寺塔頭を移建し現在に至っている。東照宮、遺言により家康の遺髪と念持仏とを祀っている
茶室・八窓席(はっそうせき)老松図、猿猴捉月図江戸時代に徳川家康の信任が篤く、崇伝長老は「黒衣の宰相」ともいわれ、家康に仕え幕議に参画、政治外交の顧問として活躍した。自ら天下僧録司(そうろくし)となって宗教界全体の取り締まりに当たり、以後幕末まで僧録司の地位で畏怖尊敬を一身に集めた名僧であった。開山堂は崇伝の塔所で後水尾天皇の勅額を掲げている
左右両側に十六羅漢像が安置また豊臣家との戦いである「大坂の陣」の発端となった方広寺鐘銘事件“国家安康・君臣豊楽”の難癖は崇伝が関与したといわれている。
家康の死後、境内に東照宮を建立、家康の遺髪と念持仏を奉戴して1628(寛永5)年造営したもので徳川家康への忠誠心が現わされている寺院である。立派な東照宮の御門
明智門から弁天池をみる崇伝長老は、南禅寺の伽藍造営に尽力するなど1626 (寛永3) 年、後水尾天皇から「円照本光国師」の号を賜っている。また、桃山時代の風格を備えた枯山水・名勝「鶴亀の庭」は小堀遠州が直接指揮して作庭し1632(寛永9)年に完成した方丈庭園である。金地院の瓦屋根は葵
表門から出たら蓮の花が一輪咲いていた寺宝は国宝や重文、大方丈襖絵は狩野派の筆、茶室・八窓席(はっそうせき)老松図、猿猴捉月図は、桃山時代の代表作といわれている。
<金地院>
住  所:京都市左京区南禅寺福地町86-12 TEL:075-771-3511
拝観時間:8:30~17:00 ※12月~2月は8:30~16:30
拝観料金:大人400円・高校生300円・小中学生200円 ・障害者300円
交  通:地下鉄東西線「蹴上駅」下車、徒歩約5分 
駐 車 場:なし

0 件のコメント: