2011年9月12日月曜日

京都 妙蓮寺(みょうれんじ)

妙蓮寺は、上京区の堀川寺之内バス停を西へ入った北側にある。本堂の本尊は十界曼荼羅
山門は文政元年に禁裏から移建し両袖番所付で風格を感じさせる本門法華宗の大本山で、本尊は十界曼荼羅を祀っている。山号は柳の字を二つに分けて卯木山(うぼくさん)という。 袴腰型の鐘楼
妙蓮寺の玄関妙蓮寺は、宗祖日蓮上人より帝都弘通の遺命を受けた日像上人が1294(永仁2)年に創建された。造り酒屋の柳屋「中興氏(なかおきし)」が日像上人に帰依を受けて、下京区五条西洞院の中興氏の邸宅に一宇を設け、寺号を妙法蓮華寺(柳寺)称したのが始まりと謂われている。 書院から見た「十六羅漢石庭」
方丈から見た「十六羅漢石庭」山門の様式は1818(文政元)年に禁裏から移建し両袖番所付で風格を感じさせる。山門を潜ると正面に袴腰型の鐘楼が眼に入った、1617(元和3)年、江戸時代の建立で日本建築史上貴重な建造物である。
玄関入り口にあった駕籠一時衰退したが応永年間(1394~1428)に日慶上人が再興、1440(永享)年間に大宮通四条に伽藍を移転造営し妙蓮寺と改めた。その後、伏見宮家との関わりを深い日応僧正を迎えてから、皇室や将軍足利義尚らの参詣が多くなった。今出川家の日忠上人が学室道輪寺を創立し、本化教学の道場を開くなど隆昌を極めた。幸野豊一の四季の襖絵
1536(天文5)年、法華宗の隆昌を妬んだ比叡山の山法師や他宗の僧等に襲撃され荒廃した。これが「天文法華の乱」で京都法華宗寺院はことごとく焼き討ちされ、妙蓮寺は他の法華宗寺院とともに堺へ移った。
1542(天文11)年、帰洛の勅許を得、大宮西北小路に復興、1587(天正15)年、豊臣秀吉の聚楽第造営のとき、現在地に移転した。
当時は、塔頭27ヶ院(現・8ヶ院)を有する大寺院であったが、1788 (天明8) 年に起きた大火で類焼し、宝蔵・鐘楼を残すのみとなった。現在の堂宇は、大火以後に暫時復興されたものである。キキョウが一輪咲いていた
妙蓮寺椿は有名である、種を椿油に使用したという玄関を入り書院前の庭園では「十六羅漢石庭」の石は臥牛石と言われ、秀吉が伏見城より移された名石庭である。
奥書院の障壁画(重文)の襖絵は長谷川等伯一派の作といわれる。また寺宝には「本阿弥光悦」の筆になる日蓮の立正安国論写本(重文)や妙蓮寺蔵松尾一切経(重文)などあり、画家の幸野楳嶺(こうのばいれい)のや、赤穂義士の遺髪を納めた墓地がある。つづく・・・
<妙蓮寺>
住所:京都市上京区寺之内通大宮東入る妙蓮寺町875 
電話:075-451-3527
拝観:境内自由
   (拝観料)方丈・庭500円、収蔵庫+300円
時間:10時~16時
休日:毎週水曜日、年末年始
交通:市バス「堀川寺之内」下車、西へ徒歩3分

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