2011年9月10日土曜日

重陽の節句 烏相撲(からすずもう)

9日、北区の上賀茂神社で午前10時から重陽の節句で烏(からす)相撲の神事が執り行われた。
烏相撲の主役の小学生は氏子たち
皇女・齋王代は本殿に向う重陽神事は、古来宮中その他で行われた五節句の一つの重陽の節句に相当し、本殿に菊花を供え無病息災を祈願した。葵祭のヒロインはこの時期、暑さにめげず十二単姿!!
真っ白な褌一丁の姿9月9日は、九という陽の数字が重なることから重陽の節句といい、古来、この日に菊酒を飲んだり、菊花についた露で肌を拭ったりして災厄を祓い悪霊退治の信仰行事となったという。童子が立砂を三回廻る
白装束に烏帽子姿の刀祢(とね)と呼ばれる役がカラスの鳴き真似する烏相撲の起源は、上賀茂神社の祭神の祖父・賀茂建角身命(かもたけつぬみ・の・みこと)が神武天皇東征に際し、三本足の八咫烏(やたがらす)に姿を変えて先導を務めたという故事があり、烏(からす)との結びつきが深いとされている。上賀茂神社の烏相撲は現在も昔の風習に祖っている
土俵中央から斎王代の正面に進み出て礼を行う午前10時、土舎(つちのや)に集合した皇女・齋王代(葵祭)ら相撲童子たちが本殿に参詣。 対戦は2回だった
東・西とは云わず、禰宜方(ねぎかた)、祝方(ほうりかた)に分れた平安時代から続く伝統行事で、艶やかな十二単(じゅうにひとえ)に身を包んだ斎王代とお付きの女官、曇り空ではあったが蒸し暑い日で、約一時間神事は執り行われた。砂が飛び散る迫力満点
真剣な中にもユーモアがある午前11時、立砂(たてずな)のある細殿前に設けられた土俵で、白装束に烏帽子(えぼし)姿の刀祢(とね)と呼ばれる役が、小刻みに片足で2回横飛びして「カーカーカー」「コーコー」とカラスの鳴き真似を披露した。
カラスのユーモラスな受け答えをする神事や、禰宜方(ねぎかた)、祝方(ほうりかた)に分れ、地元の小学生が二手に分かれて相撲を取った。 斎王代は暑かっただろう、34度もある
斎王代も烏相撲をにこやかに陪覧した。また園児も表情一つ変えず観ていた細殿前は、今年の葵祭の斎王代(金井さん)が見守り、立砂が東西に置かれ、行司がそれぞれの相撲童子を引つれ、土俵中央から斎王代の正面に進み出て礼を行い、立砂を三度廻ったあと、土俵下の元の場所に戻った。
ところで、相撲は日本各地でも盛んだが、上賀茂神社の烏相撲は現在も昔の風習に祖っている。特に主役を務める相撲童子の褌姿である。みんなで記念撮影
蒸し暑い日、十二単姿はご苦労さんと言いたい社務所で保存会の人たちに、六尺褌を緩まないように幾重にも重ねたり、立褌(たてみつ)に撚り(より)を入れ前袋を締めてもらっていた。烏相撲は、地域の氏子の小学校3年生から6年生だが低学年が多く約20名を選抜していて、市無形民俗文化財の指定を受け、保存会の人たちの協力で保存されている。
1991(平成3)年からは、800年ぶりに葵祭のヒロイン・斎王代が烏相撲を陪覧(ばいらん)するようになった。重陽の節句で菊入りのお神酒をいただいた
萩も綺麗に咲いていたカラスが鳴く様子を模した独特の神事に続いて、氏子の童児が真っ白な褌一丁姿の元気いっぱいの相撲をみた。土俵の周囲では幼稚園児や級友ら見物客が詰めかけ、観衆の中には兵庫県伊丹市から来たと云う婦人もおられた。
1200年の歴史・古都、上賀茂神社の烏相撲は無病息災、五穀豊穣を感謝する伝統行事である。

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