お茶屋も分らなかったが、襟かえのあった置屋「きしもと」さんは20余のご贔屓筋のおめでたい「目録」が飾られていた。
襟かえのため、新調の別誂えの豪華な「黒紋付き」を着付けてもらい、置屋「きしもと」さん前で記念撮影した。
今日の主役、「千鶴」さんは12:30ごろ、女衆さんと共にお茶屋さんご贔屓筋に挨拶廻りをした。
それを取り巻くようにカメラマンたちは足早に狭い先斗町を南北に歩いた。
その後三条一筋南から、四条まで、即ち南北600m、東西50mにわたる地域に人家が建ちならび俗に先斗町と呼ぶようになった。
今から303年前にお茶屋、旅籠屋と女子を置くことを許され、花柳の街として繁盛、現在に至っている。
先斗町の呼名は、ここの人家がすべて河原の西側にたち、先ばかりに集中した?ともいい、PONT英語の(POINT)の発音にとったともいわれる。
初芸姑さんの千鶴さんは各お茶屋さんや通りあったお姐さんにお辞儀をし、女衆さんと一緒にご贔屓筋に回り「今後ともおたのもうします」と挨拶した。
雨が本降りにならないころ、小一時間で挨拶廻りをおえて戻った。先斗町は雨コートは着ないそうである。千鶴さんご苦労さんでした。(3/7撮影)
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