2015年3月8日日曜日

先斗町 襟かえ

花街先斗町は三条一筋南から四条通までの南北に走る鴨川から木屋町通の狭い通りである。昨日(7日)、智積院の観梅を楽しんでから先斗町で襟かえの情報を耳にして移動した。
お茶屋も分らなかったが、襟かえのあった置屋「きしもと」さんは20余のご贔屓筋のおめでたい「目録」が飾られていた。
襟かえのため、新調の別誂えの豪華な「黒紋付き」を着付けてもらい、置屋「きしもと」さん前で記念撮影した。
今日の主役、「千鶴」さんは12:30ごろ、女衆さんと共にお茶屋さんご贔屓筋に挨拶廻りをした。

それを取り巻くようにカメラマンたちは足早に狭い先斗町を南北に歩いた。

先斗町の地は鴨川の洲であったが寛文10(1670)年に護岸工事の為埋め立て石垣を築き町家が出来て、これを新河原町通りといった。
その後三条一筋南から、四条まで、即ち南北600m、東西50mにわたる地域に人家が建ちならび俗に先斗町と呼ぶようになった。
今から303年前にお茶屋、旅籠屋と女子を置くことを許され、花柳の街として繁盛、現在に至っている。
先斗町の呼名は、ここの人家がすべて河原の西側にたち、先ばかりに集中した?ともいい、PONT英語の(POINT)の発音にとったともいわれる。
初芸姑さんの千鶴さんは各お茶屋さんや通りあったお姐さんにお辞儀をし、女衆さんと一緒にご贔屓筋に回り「今後ともおたのもうします」と挨拶した。
雨が本降りにならないころ、小一時間で挨拶廻りをおえて戻った。先斗町は雨コートは着ないそうである。千鶴さんご苦労さんでした。(3/7撮影)

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