2011年9月30日金曜日

洛西ラクセーヌにて

29日、病院リハの帰りラクセーヌで思わぬご老人二人にあった。
それは、ラクセーヌでの事で、通り過ぎようと思ったら二人の会話がふと耳に飛び込んできた!
ラクセーヌのベンチでご老人が肩を並べてなにげなく雑談を交わしていた。
この老人方たちは見ず知らずの他人で、ラクセーヌの行き帰り一休みをしていた。
「私は92歳だけど、おじいちゃんは何歳?」とご婦人が尋ねていた?
老爺は93歳「1918(大正7)年」生まれだといって、一つしか違わないといって談笑していた。
過ぎ去ろうとしたが、思わず二人の高齢に感服しお話を交わした。
二人は若々しく93、92歳とは思えない・・・それに顔の艶もあって皺もそれほど無い。
ご婦人は買い物で、手荷物を持っていて一休みしているところで、杖も突いていないが、自分の両足の膝関節にはサポーターが巻かれてあり、見せていた。
93歳の老爺の方は、眼鏡も掛けず目の達者で洛西のラクセーヌにショッピングに訪れているといった。
人の手を借りず、自分でバスに乗って買い物に行くことは稀であろう!
どちらも少し難聴なところがあるというが、この元気さは100歳を迎えるだろう。
近くには55.60歳のご婦人もおられたが、92.93歳の二人のお元気の好さを垣間見て、自分もあやかりたいとはなしていた。
おじいちゃん、おばちゃん、いつまでも長生きをしてくださいといって別れた。
二人のご老人とは26年差がある、障害者の身だがあやかりたいものである。
どこへもカメラ持参するのだが、残念なことに今日に限って無かった!

2011年9月28日水曜日

櫛祭 時代風俗行列 その2

つづく・・・祇園街の中にある安井金比羅宮は縁切り神社としても知られている。
行列は四条花見小路を下る1961(昭和36)年9月4日に風俗家の協力のもと多くの美容家によって櫛供養が行われたのが始まりである。現代舞妓たち
時代風俗衣装櫛まつりは、今年で第51回を迎え、境内では古くなったり傷んでしまった櫛やかんざしに、感謝をこめて「久志塚」に奉納して櫛の法要が営まれた。
櫛の日にちなんで、語呂合せから毎年“九・四”の日に開催されていたが、最近では9月第四月曜日に京都美容文化クラブが主催して行うようになっている。
境内の北側、久志塚前に櫛を供え、宮司が祝詞を奏上し供養を行い櫛に感謝の誠を捧げ、使い古したり傷んだりした櫛を供養した。
最大の見所は「時代風俗行列」で、古墳時代から現代舞妓までの各時代の装束や衣装を身に着けた女人たちが繰り出すところ・・・女人たちはカツラを使わず、地毛で結い上げた髪型で時代装束の行列が神社を出発し祇園界隈を練り歩いた。
女人たちは、着付けと結髪の正しい伝承を目的に、それぞれ各時代の風俗の髪形と装束に扮した45人の着物姿の女人らがゆったりと優雅なときを刻んでいた。
日本髪の黒髪を美しく飾る姿にうっとりと見とれてしまう、花街ならではのお祭りである。安井金比羅宮の式典は使い古した櫛や、折れた櫛を櫛塚(久志塚)に奉納し櫛供養が行われた。 時は変われどいつの時代にも、日本女性とって着付けと結髪・髪形と櫛に感謝する心を忘れてはならない。
沿道は多くの参列者や観覧者で賑あい、観光客らが盛んにカメラのシャターを切る姿がみられた。幸い曇天だったが雨も降らず時代風俗行列はおわった。(完)

2011年9月27日火曜日

安井金比羅宮 櫛まつり その1

26日、祇園の安井金比羅宮で使い古したり折れた櫛に感謝する「櫛まつり」が行われた。 櫛に感謝する心
境内北側の櫛供養(久志塚)1156年の保元の乱に敗れ、讃岐(香川県)で崩じた崇徳天皇の霊を慰めるために1275から77年(建治年間)に大円法師が建立した光明院観勝寺が安井金比羅宮の起こりである。祭神は崇徳天皇、大物主神、源頼政の三神を祀っている。知り合いが居るのか微笑む
カツラを使わず、全て地毛で結いあげてあるその後、観勝寺は応仁の乱の兵火により荒廃し、1695(元禄8)年右京区太秦安井にあった蓮華光院が祇園安井に移建され、その鎮守として崇徳天皇に加えて、讃岐安井金比羅宮より勧請した大物主神と源頼政を祀ったことから安井の金比羅さんの名で知られるようになった。神職が供養を行う
式典は使い古した、折れた櫛を奉納する縁切り神社としても知られる安井金比羅宮、悪縁を切る“碑”(いしぶみ)がある。縁を断ち切り、良縁を結ぶ石がある。日本髪の良き時代
45名の女性が時代別に集う主祭神の崇徳天皇が自ら国家安泰を祈られ讃岐の金比羅宮で一切の欲を断ち切ったと云う故事に習い、江戸時代より続けられた断ち物の祈願所として信仰されている。古より旧きを脱皮して新鮮な我を甦らせる縁切り、男女の縁はもちろん、病気・酒・煙草、賭け事など祈願成就を導く神として全国に有名である。
境内北側にある櫛塚(久志塚)は、女性の命とも言われる髪の美しさを引き立てる櫛が祀っている。この塚の前で祭典が執り行われ、拝殿で舞踊「黒髪」が奉納された。安井金比羅宮は悪縁を切り、良縁を結ぶ神様として知られている
拝殿で黒髪が奉納されるその後2時頃より各時代の髪型に髪を結い衣装をまとった、時代風俗行列が神社周辺を練り歩るいた。行列は日本髪の美しさと結髪の技術のすばらしさでカツラを使わず、全て地毛で結いあげてある。時代風俗行列につづく・・・
<櫛まつり・安井金比羅宮>
場所:京都市東山区東大路通松原上ル下弁天町70  
電話:075-561-5127
境内:無料
時間:式典13:00~行列出発14:00~
交通:市バス、東山安井下車すぐ

2011年9月25日日曜日

京都 西陣「千両ヶ辻」2011

ことしから掛ける西陣織の帯地で作ったのれん毎年9月23日、秋分の祝日に開催された第9回伝統文化祭西陣「千両ヶ辻」は秋晴れ日に行われた。坪庭は蚊が多くて困るという
町屋坪庭西陣のメインストリートである今出川大宮界隈は、江戸時代より「千両ヶ辻」と呼ばれ、建ち並ぶ生糸問屋・織物問屋が、一日に千両に値する生糸・織物を商った西陣織の中心地であった。織物問屋の「木村卯兵衛」
織機の実演ショー豊臣秀吉が機業保護奨励し次第に西陣も盛んになったのもこの頃で、記録によると1595(文禄4)年、聚楽第の跡地に街屋が建ち並び、現在も薬師・北之御門・石薬師の町名もある。
1600(慶長5)年の上京の市街町並みの姿はこの頃が起源である。鬼瓦は龍という
冨田屋は有形文化財になっている「西陣千両ヶ辻」は、一帯の賑わいを取り戻そうと大宮通沿いを中心に西陣織の和装小物をこの日は格安で販売して今年で9年目である。
江戸時代から続く創業以来270年の老舗店も多く、古い屏風や着物、古文書を展示している。江戸中期創業の織物問屋の「木村卯兵衛」は9代目で文化祭実行委員長している。
上七軒舞妓野点茶会お話を伺うと蔵にはお宝が数え切れないほどあるという。初代は奉公人で、暖簾分けで“ささ”をいただいたという、代々養子縁組多く、男は自分だけという。
貴重なのれんや家訓に古文書を並べた。
西陣の街並みが消える!という事で8年前から千両ヶ辻の文化祭に入ったという。子どもたちの行列
年に一度、祇園祭宵山のように西陣の各家々、老舗でコレクションの数々や坪庭が拝見できた。染色作品の公開、京組紐や和装雑貨等の展示販売、歩き疲れたら上七軒舞妓さんの野点茶会(500円)もあった。
また近くの清明神社祭礼があり西陣「千両ヶ辻」大宮通にも、賑やかな子どもたちの神輿や鼓笛隊の行列が練り歩いた。
清明祭の鼓笛隊千両ヶ辻、その名は江戸初期に、このあたりに建ち並ぶ糸屋・織物商が一日に千両に値する生糸・織物を商ったことから付いたという西陣の中心地として栄えたところである。町家と西陣文化を味わうお祭り、普段は拝見することが出来ない一般公開、伝統文化祭である。
<西陣 千両ヶ辻>
会場:京都市上京区大宮通今出川以南一条通以北 
電話:075-451-0325
日時:2011年9月23日 10:00~17:00
交通:地下鉄「今出川」下車 西へ徒歩15分
    市バス「今出川大宮」下車すぐ

2011年9月24日土曜日

白沙村荘 橋本関雪記念館

左京区の白沙村荘(はくさそんそう)橋本関雪記念館は今出川白川通の交差点を東に入り南側にある。3階建ての大画室“存古楼”
銀閣寺や哲学の道の手前にある白砂村荘銀閣寺や哲学の道の手前にある白砂村荘は、大正・昭和にかけて京都画壇で活躍した日本画家・橋本関雪(はしもとかんせつ)が1916(大正5)年から30年にわたって、自ら設計造営した邸宅と総敷地面積は約7000㎡以上に及ぶ庭園を公開している記念館である。奥は茶室・問魚亭
庭園入口その中で白沙村荘の庭園は2600坪で国の名勝に指定されている。
大文字山を借景とした池泉回遊式庭園の形態を取り、大小の池の周囲に平安・鎌倉期の石灯籠、石仏等の石造美術など約180点が配置されている。茶室、持仏堂(重要文化財の地蔵尊菩薩立像を収めている)もある。芙蓉池
大画室「存古楼」と画東山を借景とした美しい回遊式庭園は2600坪の広さをもち、庭園内には平安時代から桃山時代の石仏を配し、大文字山を望む三階建ての大画室「存古楼(ぞんころう)」は、五山の送り火のときは当時、“芙蓉池”を赤々と照らしてくれたという。残念だが現在は2,3階には危険なため上がれないと言う。 羅漢仏
持仏堂画伯は石仏や塔を愛し、池を眺め存古楼で制作・作品を描いた。神戸の生まれで21歳で結婚した。ヨネ夫人は7歳くらい上で、家庭のことは任せておったが、1932(昭和7)年4月東京で亡くなった。生涯妻を愛した画伯は心境の変化かその頃より動物をたくさん描くようになったという。
所蔵作品には中国古典を題材にしたスケールの大きな題材のほか、「動物の画家」として知られたこともあり、1926(昭和元)年「紅桃白鵞」や飼い犬を描いたと思われる1941(昭和16)年「狗子」など動物を題材としたものも見られる。画伯が作ったもので中国の庭園に似ているという
'鬱勃縦横(うつぼつじゅうおう)鞍馬石また2016年の造営100周年に向けた事業では、全面的な改修が始まった旧宅、建物・茶室など来年は09年に焼失した茶室も復元するという。
日本画家「橋本関雪」が庭園を造りや、その一隅にある記念館・展示室には、画伯の作品、素描、下絵の等、画伯が好んで収集した諸外国の古美術が公開している。大文字山を借景に
ススキも穂が出る国東塔洋館を利用したレストランや、気軽に京料理を楽しめる御食事どころなども併設されており、通常非公開の座敷も予約をすれば庭園を眺めながらの食事も楽しむこができる。料金800円(障害者手帳提示ダメ)は少し高い気もするが、一度は観賞したところであり、団体観光客は訪れず静かに観賞できた。
<白沙村荘 橋本関雪記念館>
住所:京都市左京区浄土寺石橋町37 電話:075-751-0446
交通:市バス銀閣寺道から徒歩
公開時間 : 10時~17時(入館は16時まで)
休業 : 年末年始
料金 : 800円、学生500円
駐車場:有料(普通車30台)