2008年12月30日火曜日

年忘会!

京都の清水寺の森清範貫主(かんす)が大型の和紙に力強く揮毫(きごう)した『変』。とにかくことしも数々の出来事があった!
政治や経済・生活の変、気候や未来への、変な世の中、変えてくれと願っている。
「誰でもよかった」無差別殺傷事件…や中国・四川省大地震、また岩手・宮城内陸地震。神戸ではゲリラ豪雨。まだある中国製農薬入りギョーザ、それに事故米など切が無い!
皆、政治や経済・生活文化は人間が行って来ているが100年に一度と言う大不況に首を切られ失業も深刻化している。嫌な世の中である。ガソリン・灯油価格もやっと収まった!
また初代新幹線「0系」車両の引退もあった。今JR東海では平成25年を目標にリニア中央新幹線計画(東京―名古屋)の途中駅について具体的な案を論じている!
何よりも大切なのは人の命!これからも人身事故0を目指したいものだ。
救いの手はノーベル賞だ!一度に日本人が4人も選ばれた。
東京タワーが完成から50年の歳月を向えた。
昭和34年思えば懐かしい…私は当時、修学旅行で日光や東京・江ノ島、鎌倉を見学した。
4月10日「皇太子妃ご成婚」が通った翌日、皇居内広場二重橋に行った記憶がある!その後、私は縁あって京都に就職してはや半世紀が流れた…京都タワーもできた。京都駅も真新しくなった!
駅東側のスーパードライ・ルネサンスでことしの忘年会をする事になった!
そう、一年の様々な苦労を忘れられることが〇〇会…次から次へと起る出来事!
人間忘れることが出来るから良いのだという!
俗に仏教で人間の身心の苦しみを生みだす精神の働き、煩悩は108あると言う。
除夜の鐘を108回衝くのは108の煩悩を滅するためと言われる。
107つの除夜の鐘あとの1つは明けて元旦に衝く。
浮かれ飲んで騒いだ忘年会も束の間であるがまたそれも良しとしよう。

2008年12月26日金曜日

北野天満宮・終い天神

雨が上がったのを幸いに京都市上京区の北野天満宮に行った。
25日は最後の縁日「終い天神」があった。 
菅原道真公をお祀りした神社。
平安時代中期より北野に菅原道真公の御霊をお祀りしたのが始まりとされている。
菅公は「和魂漢才」の精神を以って学問に勤しまれ、幼少の頃より文才を表し、朝廷の官吏として活躍された。永延元年(987)一条天皇の令により初めて勅祭が執り行われ「北野天満宮天神」の神号を得た。寛弘元年(1004)の一条天皇の行幸を初めてとし、代々皇室の御崇敬を受け、江戸時代には寺子屋など、学問の神様として「天神様」が親しまれている。

中でもこの師走恒例の「終い天神」は新巻鮭やおせち料理の食材・縁起物の松竹梅を商う植木の店など、お正月準備をする人々で境内参道は賑やかだった。
参道周辺の露店では威勢の良い声が飛び交っていた!
また、梅の名所としても知られている。
「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るな」と詠まれた菅公は、ことのほか梅を愛でた。
北野天満宮には約2万坪の境内に50種約2,000本梅がある。早咲きの梅は12月中句頃からつぼみがふくらみ始めている。寒紅梅等が寒さの中、春を告げるかのように咲き始めた。
私は新聞で“寒紅梅”を知って観に来たが、場所が解らず居合わせた宮司さんにお聴きした。
寒空に一輪、紅梅の美しい花が健気に咲き誇っていた!
いつもの年は、年明けから咲き始めていたそうだが今年は2週間も早いという。
梅苑は例年2月初旬から公開され紅梅・白梅・一重・八重等の順に咲き始め、2月中旬から3月初旬までが最も美しい時期となる。楽しみだ!
それに、来年は丑年。菅公の使いとされる“撫牛(なでうし)”は境内には二十数体あるという。心無い方に壊された牛の石像もようやく間に合って奉納されている。
この撫牛で頭をなでると賢くなりもっぱら受験生たちに親しまれている。また信仰深い方には痛いところをなでるとご利益があるとされ参拝者たちからしきりに撫でられていた!
25日縁日には200ヶ所もある燈籠にロウソクが灯される。
余談だが、21日東寺の弘法さんと25日の天神さん、どちらも縁日があるが両日好日にならなくどちらかが雨天の日にあたる。
寒紅梅も観た!来年の干支、撫牛も…感謝である。
京の年の瀬を彩る歳末の風景である。

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2008年12月21日日曜日

東寺・終い弘法

全国高校駅伝が暖かな師走の都大路に繰り広げるなか、 日本一の高さ(57㍍)を誇る五重塔(国宝)で有名な東寺(正式名:教王護国寺) で「終い弘法」が行われた。
天福元年(1233)に仏師康勝の弘法大師像が造像されたことをきっかけに、延応二年(1240)からは大師のご住房であった御影堂においても御影供法要が執り                         行われるようになった。
21日は、東寺を開いた真言宗の祖・空海、すなわち弘法大師の命日だ。その威徳をしのび境内に市が立つようになったと言われている。毎月21日に開かれる縁日が「弘法さん」であり、一年最後の12月21日に行なわれるものを、特別に「終い弘法」と言って、年の瀬ならではの慌ただしさと活気に満ちた情景が繰り広げられる。
境内には所狭しと露店がビッシリと並び、威勢の良いかけ声が飛び交う。骨董屋、古着屋、植木屋などさまざまな市が出る。参道はそれらを観て廻る人波に押されまっすぐ歩くのは困難なほどだ。









生憎の空模様で傘の花が咲きかけたが「弘法さんの力」!でそれほど降雨にはならなかった。
一年の無事を感謝し、新しい年の始まりに期待を寄せ“弘法さん”にお参りしようと各地から観光バスを連ねてやってくる「終い弘法」。
いやが上にも迎春ムードは沸き立つ…京都の年の瀬を彩る風物詩である。

2008年12月19日金曜日

京丹波・「琴滝、冬ほたる」










京都府最大級35万灯の『LED』イルミネーション「冬ほたる」に行った。 午後三時、急ぎの用事があるわけじゃなし気儘に国道9号線をドライブ。
老いの坂峠を越して亀岡市・南丹市に入る!二つ目の峠を向かえた。観音峠だ!この峠を越えたら京丹波町。四時ごろになった。しかし、今では京都縦貫道、沓掛IC~丹波ICを通れば30分で着く。便利になったものだ!
9号線の路肩には「冬ほたる」の案内標識(電光掲示板)あり解りやすい!道路は駐車案内に沿って進むが道幅が狭く行きと帰りが一方通行になっていた。
駐車場は150台が駐車できた!私は4時過ぎごろ着いた。車は5,6台駐車していて皆早いためかそれとも暖を取るためか?
市内から比べると京丹波町の吹く風も心なしか冷える気がしたが、寒いなんて言っては居られない「冬ほたる」を観る方の心が動いた!
駐車場から直ぐのアプローチで入口「ドラえもん」が迎えてくれる!
白と青の2色の発光ダイオードLEDで飾るイルミネーション!想像以上だ!
2005年から地元の商工会が5万個の青と白のLEDで町興しのため主催してきた。最初は僅か5,6人だったが回を重ねる毎に増え今では20数人と言う!「ゴルフばかりに興じたが、町興しに…」一考したと…現在”2008『冬ほたる』はLED35万灯を使ったイルミネーションが琴滝へと導いた…
青白二色の無数の光が燦然と輝き右に左に遊歩道を200m…冬に舞うホタルのような美しさ。小川の上の青白のイルミネーション…私は「天の川」を連想した!

琴滝に着いた!
点灯式には50人余りの人が居った。
スタップのかけ声と共に、秒読み5,4,3,2,1「メリークリスマス」の一斉に全灯状態なる様は、見るものを圧倒した。
なんと言っても滝のオブジェは壮観。落差43mある一枚岩の滝で、流れ落ち十三絃の琴糸のよう…音色が琴音に似ていることが名の由来。
「琴滝」と言う。この琴の滝にはポイントがあった、正面の滝つぼに映るモニメントが巨大な「クリスマスツリー」になっていた。私もカメラでショットした!
去年は雪が降り圧巻だったと言う!
毎年冬、新聞の折込みチラシで「冬ほたる」というのを見るが、あまり期待もしていなかった!しかし、思惑とは反対で本当に着て良かった。
琴滝、冬ほたる、幻想な光の世界だった!
12月24日(月)まで 5時~10時まで点灯
12月22、23、24日はライブも!

2008年12月15日月曜日

ボーリング大会

MKボウル上賀茂で14日(日)午後1時から障害者のボーリング大会が開催された。
私は集合時間に会わせ自宅を出た。
西大路四条で待つ事一時間、冬の朝風は寒い…送迎マイクロバスはやっと来た!
「MKボウル上賀茂」は北区にある。近くには八月お盆の五山送り火の一つ「舟形」が見え賀茂川の畔にあった。閑静な住宅街だ!
バスは日曜日とあって渋滞もなくスムースに着いた!
ボーリング場は懐かしい…今から遡る事38年前(1970)ボーリング場絶好期だったころ友人とマイボウル・マイシューズを車に詰めボーリング場で、エントリー嵐をした記憶がある。当時私の家は東山区(現・山科区)山科で、「MKボウル山科」が近くホームグランドだった。ボールがピンに当たる瞬間が大好きだった!

その日は仕事が速く済んだので少し寄ってみた!16:00ごろだったと思う。
私はボーリングに入場しフロアから広いボーリングを見渡していたが、ふと美人が眼にとまった!その女性の流れるようなフォーム、アプローチに見とれていた!
すると、女性も私が背後で見ているのに気が付いた…
その女性は『おひまなら来てよね』の歌手、五月みどりさんだった!
当時、木屋町御池に「ベラミ」や「おそめ」と言う名のナイトクラブあった頃、五月さんは出演の合間を見て“お忍び”で「MKボウル山科」に一人でボーリングに来ていた。
その時の会話は、五月さんは私にフォームを尋ねた!
私は「手が真っ直ぐ(90℃)に上がっていない」とアドバイス…
彼女は投げ続けた!「ストライク」ダブル・ターキーと続いた。プロも顔負けである!(西条正明さんは実弟でプロボーラだ)
48年ごろと言えば「爽やか律子さん!」というコマーシャルソングも思い出す!
本題に戻ろう!
ボーリング場は2階だ!全52レーンと広い。
早速登録を済ませハウスシューズに履き替えた。
もう、何年振りのことだろうボーリングは… 「16ポンドのAFM」のマイボウル・シューズも久しく触っていない。
障害の方々のレーンは1レーンから20レーン、総勢70余名が楽しく競い合った!
2人に一人、賞品の山であったが、3ゲームトータルで300点もならず、敗北であった。まぐれで「ストライク」や「スペア」もあったがスペアを出した後、取り返しのつかないガーターもあった。
今ではボーリングも自動化された。 スコアも機械が勝手に計算する。
昔は自分で投球のたびに記録したのもなつかしい。 ボーリングは見た目より意外に運動量があるし年齢のためか3ゲームもなると疲れが増した!
ボーリングもスポーツの一環、昔取った杵柄だが楽しみながら出来る軽い運動のつもりで、ある程度投げた方がいいと思い知った感じである。しかし今の私は思いとは裏腹に「パソコン」や「テレビ」の前で不健康な毎日を送っている。

2008年12月13日土曜日

神戸ルミナリエ2008

12日、16:00過ぎ阪急電車で神戸三ノ宮駅に着いた。



神戸ルミナリエを観るために来たが、一人で来たのは初めてだ!過去、二度ルミナリエは訪れて行き方も知っている様に思えたが一人は心細い感じがした。街角の横断信号の四つ角には安全のために警備員がおった。
早速、尋ねた!「ルミナリエの会場はどこ?」すると「会場は元町だから…」と丁寧に教えてくれた!神戸ルミナリエは三度目である。
過去、何れもルミナリエは長時間歩いた記憶がある!夕暮れにはまだ時間があるが、それまでにルミナリエ会場を探し当てなければ…老年夫婦連れやお子達を連れた方も神戸の街(ルミナリエ)を探していたようだ!
私も同様さっぱり解らない…点灯する瞬間を見逃してはならない!
何度か道を警備員に尋ね「神戸大丸」近辺がルミナリエ会場目的地とわかった。
16:50ルミナリエアーケード前に到着をしたのだが、歩道には観衆が黒山の人だかり…まだ、交通規制が成されておらず私も点灯を待つ事にした!
17:00から規制が解除され歩行者天国になり大観衆の人並みはドッーと押しなだれ込んだ!それから数分、予定より早く「冬の神戸を彩る光の祭典」神戸ルミナリエが点灯された! 『おぅ~、うゎ~きれい』一瞬、歓声があがった!眩い光とともにカメラカメラカメラのシャッターボタンが押される!ルミナリエ会場のアーケードは1㎞程しかない。それぞれデジカメやケータイに思い出を残しつつゆっくり、ゆっくりと歩んだ。この神戸ルミナリエイタリア語の“リミナリア”)は阪神大震災(1995・1・17)の犠牲者と鎮魂と復興を願いを込め15日(月)まで開催される。

光の彫刻作品、光のオブジェ。


今年のテーマは「光のインフィニート(無限)」だと言う…旧外国人居留地及び東遊園地にはイルミネーションが眩しく煌いていた。



前回から始まった特設募金(一人100円)を今年も呼びかけ来年以降の開催につなげるという。今、世界的不況景気である。TV報道でも「ルミナリエ」は多額(6億円とか…)の資金が要るとか…多くの犠牲者、死者:6,437名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名の方々に捧げる「光の祭典」を絶ってはならないと思った!
帰路は迷わず阪急三ノ宮駅に…神戸線で中年の二人連れが撮りたてのケータイフォトを見る姿が満足気だった!京都市内からのアベックさんだった。

2008年12月11日木曜日

石山寺

西国巡礼13番札所、紫式部ゆかりの花の寺。 
紫式部作「源氏物語」が誕生して今年でちょうど1000年。 
石山寺は、紫式部が源氏物語の着想を得た地として有名な寺だ。
この3月からイベントスケジュール「源氏物語千年紀in湖都大津」源氏夢回廊が12月14日までの9ヶ月間行われていた。
石山寺東大門前の駐車スペースへ停めた!東大門右手には寺務所があった!
私は木戸を潜ってチャイム鳴らして訳を話した…30歳くらいだろうか?若い方が応対をした!OKだった。

入口を通ったらすぐ右に「くぐり岩」がある。3mほどの洞窟になっていて、ここをくぐるといいことがあるとか。私もくぐった!
本堂へ上がる階段。蓮如堂の側面には屏風(複製)が展示されている。
正面にある巨大な岩は、天然記念物の石山寺硅灰石(けいかいせき)。この硅灰石こそが、石山寺の「石山」の名の起こりである。
石山寺本堂 (国宝・滋賀県最古建築物)     石山寺本堂の中…。

源氏の間を覗くと、十二単を着た紫式部がいた。1000年以上も前に、ここに紫式部がいたと思うとロマンを感じる。
国宝の石山寺多宝塔。
石山寺多宝塔を見上げると、非常に複雑な作りであり独特の形が800年以上も残っているとは、不思議にさえ思えた。
美しい石山寺多宝塔であった。
無憂園でも、源氏物語イベントで大勢の人たちがおった!早春は梅花が風情を醸し出しとてもきれいな感じがするとおもった。
無憂園をすぎると、石山寺庭園を足早に一周したことになる。巨大な岩、天然記念物の石山寺硅灰石(けいかいせき)こそ「石山」寺、本堂を見上げた。
社務所に立ちよりひと言お礼をいってあとにした…
石山寺アクセス
交通 電車 JRびわこ線石山駅下車、徒歩10分。
    バス 京阪バス、石山寺山門前バス停下車。
駐車場 有料
拝観料 500円
拝観時間8:00~16:00
住所 滋賀県大津市石山寺1丁目1-1

2008年12月9日火曜日

立木観音

すっかり寒くなった!
あと5分あとすこしと、布団から離れられない霜の降りるころになった!
滋賀県瀬田川河畔沿いの「厄除け観音・立木山」にお参りした。
瀬田川洗堰(南郷洗堰)から瀬田川を南に2kmほど下ると、右手に立木観音(正式名称は安養寺)の登り口がある。鹿跳渓谷(ししとびけいこく)に向かってそびえる立木山、その斜面にある急な階段だ。


立木観音の起源は次のような伝説で語られていた。
弘仁6(815)年、諸国を修行中の弘法大師が、瀬田川のほとりに立ち寄った際、対岸の立木山に光を放つ霊木があるのが目にとまった。しかし、急な流れの瀬田川を渡りあぐね、しばらくたたずんでいたところ、突然白鹿が現れ、その背に弘法大師を乗せ、霊木の前まで導き、そこで観世音菩薩に変化し、虚空の中に消え去った。この奇跡に感じ入った弘法大師が、霊木に観世音菩薩を刻んだのが、立木観音の始まりだという。
弘法大師が観世音菩薩を刻んだのが、ちょうど42歳の厄年で、人々の危難を救ってほしいと願いつつ刻んだことから、立木観音は昔も今も厄除け観音として親しまれている。「厄除けならここ!」というぐらい信仰を集めている厄除け観音さま。
11年前私は病気をして右半身マヒを患ったがいまも生きている!本堂まで細く急な石段の段数は、700段あまり。一歩、また一歩と手摺りを頼りに登った!
「一回参ると千日ご利益がある」とかだそうで過去、一度立木山には参詣もしたが、随分古く忘れてしまった!
まだ若いころ、健常のときだ。急な石段の参道では、登る人・降る人「おはようさん」の挨拶が嬉しい!

それにしてもこの斜面の石段を10年12年間月詣する方も居られるのだ!
詠まれた石碑が立てられていた。一丁毎に石柱の標識があり目安になった!
約700段もの急な石段を上りきると狭い境内には本尊がある。

立木観音像を安置する本堂があり参詣した。
本堂裏にも礼拝所が設けられているのだ。
本堂から、なおも石段を登ると小さな鐘楼があり、礼拝してここで鐘をひとつきして厄を落とした。さらに上へ登ると奥の院があり、ここには「道了権現大菩薩」が祀られてあった。

なんとも言えない懐かしい雰囲気が漂う御茶所。疲れた体にうれしいお茶のおもてなしだった。「立木観音前」バス時刻表も記してある。お食事処は一切なし!

ハイクがてらの参拝の方にもお聴きした。石段ではなく帰りは、ゆるやかな一本道が南郷バス停(南郷温泉・二葉屋「旅館」)まで続いていた。急な斜面の石段ができるまでは十八丁、徒歩でお参りされていたのだ。ゆっくり歩いて約60分!
美しい自然を観ながら「立木観音」様にお参りができ、下り道では「こんにち」の挨拶にかわっていた。
観音様にお参りして一つ厄がとれたとおもった
立木観音アクセス
公共交通機関
:JR琵琶湖線「石山駅」下車 バス 25 分 立木観音前
:JR琵琶湖線「石山駅」下車 車 20 分
車:国道422号京滋BP「南郷IC」
駐車場:普通車50台、大型車10台
拝観時間:9:00~16:00
拝観料:無料
その他の写真