この日、3日も下鴨神社の「流し雛」を見てから祇園東に移動、なんとか雨は持つように思われた。
舞妓写真愛好家は4,50人、それもその筈、舞妓さんの涼香さんは宮崎県の出身で仕込みや舞妓さんとなって祇園東の超売れっ子になったという。
舞妓さんと芸妓さんの違いは、舞妓さんの場合、地毛を結い花簪(はなかんざし)で華やかに飾りる。
一方、芸妓さんは島田などの鬘(まげ)を被り、化粧も大人っぽくなり着物も肩に柄の無い落ち着いたものに変わるという。
舞妓時代の赤い衿を、落ち着いた白い衿に変わることが“襟替え”で舞妓さんが芸妓さんになる儀式である。
初芸姑さんの涼香さんは各お茶屋さんや通りあったお姐さんにお辞儀をし、男衆さんと一緒にご贔屓筋に回り「今後ともおたのもうします」と挨拶した。
公の廓とされた祇園内六町の新地が明治19(1886)年に京都府の命で二分され、昭和24(1949)年に東新地と呼ばれ一時は「祇園乙部」と呼ばれていた。
戦後は祇園東の名称となり東大路、四条通り、花見小路、新橋通りで囲まれた区域という。
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