2008年9月28日日曜日
2008年9月23日火曜日
彼岸花と市バス車中
お彼岸の中日、洛西から市バスで東本願寺へと向かった。
9号線老の坂峠近辺にも墓地霊園があり、お墓参りをする人たちで幹線道路は混雑。
9号線老の坂峠近辺にも墓地霊園があり、お墓参りをする人たちで幹線道路は混雑。
いつもはスムーズに流れていた道路が春と秋の季節市バスは立ち往生の連続である。
市バスを待っていたら、白状の杖を持った初老の方がこちらに向かって進んでくる!
この方は洛西高島屋あたりで見かけるので、声を掛けてみた!
同じ市バスに乗車!そして、もう一こと、Mさんもご存知? あぁ~知ってる、でも中々あへんなぁーと。
Mさん、「網膜色素変性症」で途中失明しているが、この方も洛西に居住している。この秋には会えるかな!
そうこうしてたら、バスが来た!
この方は洛西高島屋あたりで見かけるので、声を掛けてみた!
同じ市バスに乗車!そして、もう一こと、Mさんもご存知? あぁ~知ってる、でも中々あへんなぁーと。
Mさん、「網膜色素変性症」で途中失明しているが、この方も洛西に居住している。この秋には会えるかな!
そうこうしてたら、バスが来た!
市バスの中ではあまり話した事がない!
いつも1人だから…しかし、今日は違っていた!
いつも1人だから…しかし、今日は違っていた!
となりの席に若い夫婦と赤ちゃんが乗ってきた!
パパさんはバスに揺られ居眠りだ!
パパさんはバスに揺られ居眠りだ!
ママさんは赤ちゃんを膝に抱えて抱き上げたり、あやしたりしてる。
自然に眼と目が合った。
自然に眼と目が合った。
いま4ヶ月だそうな。
首も据わり、赤ちゃんことばをしきりに喋っている。
現在7キロ、洛西の保健所でも異常なし。
現在7キロ、洛西の保健所でも異常なし。
お産は安産やった、でも陣痛耐えられない!とママさんは言う。
そろそろ、離乳食?
来月からと笑う。
ぐずぐずも言わず、2,3人の乗客の方からも可愛いといわれていた。
平成20年5月生まれのお嬢ちゃん、昭和の時代もはるか遠いかなた…
ぐずぐずも言わず、2,3人の乗客の方からも可愛いといわれていた。
平成20年5月生まれのお嬢ちゃん、昭和の時代もはるか遠いかなた…
善男善女が参詣する東本願寺、その道端に彼岸花が咲いていた!
2008年9月22日月曜日
2008年9月21日日曜日
あれから、11年
あの忌まわしい脳内出血をしてから、11年と言う歳月になってしまった。
平成9年9月12日夕方5時ごろのこと、当時は京都市右京区の染工場に就職。
京友禅の中振り袖を染めていた。
その日は早く仕事終わって仲間の染工場へ行っていた。
久々に尋ねたので主は接待方々、積もる話を聞き入れてくれたのだった。
しかし、急に気分が悪くなりお暇しようと立ち上がったが、その瞬間、
右の足がガックとする様なことまでの記憶だけしかなく、
救急車のサイレンも定かではなく、まったく意識不明であった…
いわば生死を彷徨う亡霊のようだったろうか?
完全に一週間から10日間くらいは意識が戻らなかった!
それから後の事は、救急隊が向かったところは右京区の西京病院。
応急処置だけ…。
妻に電話して自宅に近い西京区にあるシミズ病院へと救急隊を直行。
染工場の社長さんも同行した。
話は変わるが、私の親爺も脳卒中。遺伝か!
32,3歳ごろ、お昼休み同僚と公園でキヤッチボール、
何となく息苦しく思い工場の帰り自宅近隣の町医者を訪ねたら、
血圧、何度計ってみても高い!
飲み薬を貰って帰えった。が、一生飲み続けなければならない。
32歳の若さの私には酷でした。
その後、自分の理性を忘れて自暴自棄になってしまった!
それから、20年…これといった病気もしない私が…
病院に通う妻と幼い子「(小一)今、京都学園大一年」を思う心は…
担当医師からは一生寝たっきりか、良くなって車イスとの診断。
愕然としたと妻が言ってました。
シミズ病院・洛西シミズ病院6ヶ月、単身で三重県榊原温泉病院4ヶ月半、
それに京都市リハビリセンター6階に3ヶ月入所入院をしました。
車の運転も出来ます。
病院で覚えたワープロ・パソコンも京都市洛南身体障害者福祉会館で 習い、
脳障害独特、百回聞いて1を知るように、ゆっくりと頑張っています。
妻は勿論ですが関係者皆さんのお蔭と感謝しています。
いつも、9月になると思い起こしています!
平成9年9月12日夕方5時ごろのこと、当時は京都市右京区の染工場に就職。
京友禅の中振り袖を染めていた。
その日は早く仕事終わって仲間の染工場へ行っていた。
久々に尋ねたので主は接待方々、積もる話を聞き入れてくれたのだった。
しかし、急に気分が悪くなりお暇しようと立ち上がったが、その瞬間、
右の足がガックとする様なことまでの記憶だけしかなく、
救急車のサイレンも定かではなく、まったく意識不明であった…
いわば生死を彷徨う亡霊のようだったろうか?
完全に一週間から10日間くらいは意識が戻らなかった!
それから後の事は、救急隊が向かったところは右京区の西京病院。
応急処置だけ…。
妻に電話して自宅に近い西京区にあるシミズ病院へと救急隊を直行。
染工場の社長さんも同行した。
話は変わるが、私の親爺も脳卒中。遺伝か!
32,3歳ごろ、お昼休み同僚と公園でキヤッチボール、
何となく息苦しく思い工場の帰り自宅近隣の町医者を訪ねたら、
血圧、何度計ってみても高い!
飲み薬を貰って帰えった。が、一生飲み続けなければならない。
32歳の若さの私には酷でした。
その後、自分の理性を忘れて自暴自棄になってしまった!
それから、20年…これといった病気もしない私が…
病院に通う妻と幼い子「(小一)今、京都学園大一年」を思う心は…
担当医師からは一生寝たっきりか、良くなって車イスとの診断。
愕然としたと妻が言ってました。
シミズ病院・洛西シミズ病院6ヶ月、単身で三重県榊原温泉病院4ヶ月半、
それに京都市リハビリセンター6階に3ヶ月入所入院をしました。
車の運転も出来ます。
病院で覚えたワープロ・パソコンも京都市洛南身体障害者福祉会館で 習い、
脳障害独特、百回聞いて1を知るように、ゆっくりと頑張っています。
妻は勿論ですが関係者皆さんのお蔭と感謝しています。
いつも、9月になると思い起こしています!
2008年9月20日土曜日
インターネット通話は無料
世界各国津々浦々、パソコンやEメールは更に勢力を倍増しています。
そして、今インターネットでは無料通話がされています!
昨日、近隣の友だちが通話してくれて楽しい生な音声と、
パソコンからは画像も速写されて来ました。
世界中、昼夜も週末も関係無しにどこへでも自由!
カメラとマイクロホンがあればOKです。
ここ10年来、通信の多様化にあっと驚かされますネ。
そして、今インターネットでは無料通話がされています!
昨日、近隣の友だちが通話してくれて楽しい生な音声と、
パソコンからは画像も速写されて来ました。
世界中、昼夜も週末も関係無しにどこへでも自由!
カメラとマイクロホンがあればOKです。
ここ10年来、通信の多様化にあっと驚かされますネ。
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