大徳寺の塔頭の一つである高桐院は、大徳寺山内の西に位置し、方丈前庭に降り注ぐ“散りもみじ”が有名で27日行った。高桐院の表門を潜り、境内の参道の風景が一変、敷詰められた楓と竹林の青葉の美しさに圧倒される。
庫裡へ向かう長い石畳の参道は、“散りもみじ”はカメラマンの被写体として人気のスポットだ。
高桐院は1601(慶長6)年、江戸時代初期の武将・茶人で利休七哲の一人として細川忠興(三斎)が建立、開基は叔父(父の弟)の玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)によって父藤孝(幽斎)の菩提所である。
玄関の奥に中庭があって、中庭の風景が‘額縁’で切り取られたように感じで美しい光景・・・本堂(客殿)、南庭は竹林を背景に楓と石灯籠と緑苔で構成された簡素な庭園、赤い毛氈に座り散りもみじを眺め、しばし、瞑想する。
本堂、脇から庭園へ降りることが出来、飛び石伝いに紅葉や庭園の奥、細川忠興(三斎)とその夫人ガラシャの墓とされる石灯籠を散策した。
庭の一角に灯籠があり、灯籠にまつわる逸話がある。この石灯籠の持ち主は「千利休」で、その灯籠を見た豊臣秀吉が欲しがった。
秀吉には渡したくない利休は、灯籠の一角を壊し「上様に献上するにはふさわしくない」と阻止し、利休の弟子で高桐院を建てた細川忠興に譲ったと伝わる。
忠興の奥方の細川ガラシャ(明智光秀の娘)の墓石として使われている。その横には、細川家歴代の墓石が並んでいる。
庭園のほぼ中央、「袈裟型おりそんきょ」とよばれる、秀吉の家臣加藤清正が朝鮮王城の羅生門礎石を持ち帰り三斎へ贈ったもので、地面低く納められ、おり蹲踞(つくばい)と呼ばれている。
三斎は燈籠と共に愛用し熊本、江戸間の参勤交代の時にも持ち歩いたという。また近くに墓石に捧げ「三斎井戸」も見られ今でも水が満々としていた。
本堂北にある書院は、利休屋敷から移築したもので、茶室「松向軒」は散りもみじに気が取られて残念ながら拝見することが出来なかった。
紅葉した楓の葉が散り、本堂から観た庭園の光景は静寂と風雅で強く印象に残った。高桐院に行く途中、大徳寺の塔頭の寺院は秋の紅葉の映える美しい名園庭園など特別公開していた。大徳寺に参るのは始めてでその広さにただ驚いた。
<大徳寺 高桐院 >
住所:京都市北区紫野大徳寺町73-1
電話:075-492-0068
拝観:9:00~16:30
料金:400円・障害者350円(小・中学生はお断り)
交通:市バス「大徳寺前」下車北へ約100m