昭憲皇太后(明治天皇のお后)の由来の袱沙(ふくさ)が現在もある。清水家の先祖(四代前)の女性が京都御所に乳母として仕えていた。都が東京に遷都した。
2013年2月28日木曜日
西国街道「ひな人形めぐり」その2
西国街道は、「唐(から)海道(かいどう)」とも呼ばれ、一文橋へと進む石畳や、軒まで漆喰塗りや穀蔵、出格子窓をつけた長屋門があり塀が連なり、旧家の屋敷構えを伝えている。
![源氏枠飾りや内裏雛と三人官女があった。 源氏枠飾りや内裏雛と三人官女があった。](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhaDlOs4bppHi6uzLdAhfCvoDwCto2OpM5IZoWoNGRkXC7KmDG3XjbvdYD5TAXh5b_z0BMi1heNmh4A2c296RXBFRSvJPu_3jvHclleKvWXqzuwr6MoSLwrbfJhDc8B0sjM78x8Yebpb3o/s200/P1350872.JPG)
言い伝えによれば秀吉が小畑川の流路を西に移し、道路を拡張整備すると同時に堤防を築いた。この時できた広い河川敷が、後世の農地化、宅地化され、それが上植野町や下川原の地名が残ったという。5分も歩くと工務店、吉川さん宅に着いた。
![万歳人形。 万歳人形。](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi4Rwwl5dtnlIEQjSpDV3rpp5KWlmbK5W2oXduP9Y8p2TPbdVl7vs4NfNjxXOZFUinWMCw8-eciw43iCrFy0r9hXAWQ_o8VmyzJ7PNYzRWnv-GBDwPFZSzFM0AI8noKIpXWyj1bKyIed74/s200/P1350874.JPG)
1901(明治34)年ごろの雛人形・源氏枠飾りや内裏雛と三人官女があった。吉川さんの奥さんの説明によると三人官女は時代の人形の美しさは瓜実顔し色気があって好きだと話をした。自分も好く見ると三人官女は時代の流れがあり人形ながらも浮き浮きするようであった。米粒ほどの大名行列の芥子(けし)人形や万歳人形もあった。
![御殿雛と人形。 御殿雛と人形。](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhxr3hoqKf6INiOj3CdkO5AnZCg7k0wvhnhLzWhxIaWheUGZ6RIHXFU9emIQUyWwzuB0adNruO5Nchu95dEKNSvzvFYQu6HTOzaT0mGIxS57MFKHeAOPiZTHhGglLI245pBz04QzYuAEQg/s200/P1350840.JPG)
江戸時代後期に作られたひな人形は緋毛氈(ひもうせん)の代わりにエキゾチックな柄の布が使われていた。江戸時代後期の雛人形は古今雛の段飾りと掛け軸、明治、大正の古今雛、昭和の御殿雛も飾られ、いずれも格式の高い上品さが伺えた。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhfFBA_QJQOJM1TEV41-WeqRNuAkDFf29EcAnrpL9Z3Tmnh1Z2LVOax7wRkivvvDVzGu5a-ru08LBMrQshY_-tqkvU8sezrVXwMMuTb1Joy0Afkg-BsliDuBVjCVAXIx7o7JPxim7M1aEw/s200/P1350762.JPG)
![皇太后が幼い頃、お召しになっていた緋色の袴(はかま)のふくさ。 皇太后が幼い頃、お召しになっていた緋色の袴(はかま)のふくさ。](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhCCS8YqnpKSPYXY5_EoTdciGpcRhuRqZd_QdthnlJgi_rHqk8bPQJxk28dx3n5kOtII-diXEyolcBOp-9H0RjRqvuolRdHOoktV5X2_onHwVAaPIY2eI9_7Nk1FTngbHcESRJBJQgl4jk/s200/P1350850.JPG)
昭憲皇太后(明治天皇のお后)の由来の袱沙(ふくさ)が現在もある。清水家の先祖(四代前)の女性が京都御所に乳母として仕えていた。都が東京に遷都した。
昭憲皇太后(明治天皇のお后)の由来の袱沙(ふくさ)が現在もある。清水家の先祖(四代前)の女性が京都御所に乳母として仕えていた。都が東京に遷都した。
2013年2月27日水曜日
西国街道「ひな人形めぐり」中小路家住宅
京都府向日市内の西国街道沿いの旧家で公開展示が行なわれている「ひな人形めぐり」に行ってきた。
<ひな人形展>
会 場:中小路家住宅
場 所:京都府向日市上植野町下川原48 電話:075-921-2657
期 間:2/26~3/3
営業時間:午前10時~午後5時
定 休 日:毎週 月・火 イベント開催時
2013年2月26日火曜日
西京区 千代原口トンネル開通
2013年2月25日月曜日
幸在(さんやれ)祭 上賀茂神社
24日、上賀茂で古くより行われている氏子で15歳の男子を対象に元服、「成人の儀式」を祝う、成人祭が上賀茂神社と摂社大田神社で営まれた。9:30ごろ北大路ターミナルから市バス北3番に乗り賀茂街道の途中、俄雪が降る厳しい寒さだった。
![氏子で男子を対象に行う「儀式」だった。 氏子で男子を対象に行う「儀式」だった。](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgHa4RMzI9YWF8m8dSiVRcLEYMHnVJkKN76ABrghoC2UBihhEGChKr6ZB8PsPJxKNba5Td_MPVnmuW9GT_zHIwBTvlamr5NM6gkWORisD8c3MDIT7M-gCiOsfv9BHcCgum6fKdYkDfHe4s/s200/P1350626.JPG)
幸在祭は古くから上賀茂に住んでいた農家を中心としたサンヤレ講で、23日、「宿(やど)」に集って夜を明かした各町の男子が翌日の午前11時ごろ、列を整え太鼓、鉦、笛の囃しで、山の神・大田神社・上賀茂神社に参拝して大人になったことを奉告する元服(成人の)儀式である。
![独特の調子で「おんめでとうござ~る~」と、掛け声を囃し立てながら上賀茂神社の境内に入った。 独特の調子で「おんめでとうござ~る~」と、掛け声を囃し立てながら上賀茂神社の境内に入った。](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgbCPUEHz62VQz0pZ6n6A4LCfL_BkVokR9A2gRbH7KXH7IoVH5X9mDsSVpia-GGbRSHRjkD_wjh0j2Kwwc8Wro1btOyzGcJIqAF56Qp3KuZdclGkdy7ed6RMKbp4BwfZZlaLV7vMa8ujXo/s200/P1350664.JPG)
行列はお供物を持った大人、先頭は13、4歳未満の少年が青木の御幣をもち、首から下げた鉦を鳴らし、「あがり」の少年たちは、大島紬の羽織、着物に黒足袋に下駄履き、首に白襟巻き姿、手袋をつけて太鼓を打ち鳴らした。
<さんやれ祭 上賀茂神社>
日時:2012年2月24日 11:00~12:00頃 ※雨天決行
場所:大田神社~上賀茂神社
料金:無料
交通:市バス「上賀茂神社前」下車すぐ、「上賀茂御薗橋」からは徒歩約5分
問い合わせ:上賀茂神社 075-781-0011
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