2011年4月30日土曜日

月読神社

月読神社は約1500年前に鎮座している古社で松尾大社境外摂社で京都市指定史跡になっている。松尾大社から南に400mほどのところに赤鳥居があり児童公園に面している。静かに佇む本殿
月読神社は約1500年前に鎮座している古社で松尾大社境外摂社で京都市指定史跡になっている月読神社は延喜時代では名神大社の一つに数えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島の海上の神として奉斎されたという。人影もなく静かな境内の拝殿
松尾山南麓の江戸時代の山門日本書記によれば、487(顕宗(けんそう)3)年、阿閉臣事代(あべのおみことしろ)が朝鮮半島に派遣される途中、壱岐で月読尊が現れ神託があったので、都に帰り天皇に奏上し、山城国葛野郡歌荒樔田(うたあらすた)の地に創建した。
以前は桂川の川べりにあったが歌荒樔田の地が水害に遭い、水難を避けるため856(斉衡(さいこう)3)年、松尾山南麓の現在地に移ったと伝えられる。妊婦の守り神「月延石(安産石)」
航海交通安全「海上の神」としての御船社もとより当社は秦氏で、秦氏は松尾社の禰宜(ねぎ)を兼ねていた。
祭神である月読神は、航海の大族である壱岐氏が壱岐島(長崎県)で祀っていた航海の神で、壱岐島から京都へ分祀されるにあたっては、山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強いといわれている。壱岐氏は航海の大族で、渡来人たちの渡日ルートである韓半島や対馬・壱岐と九州の航海安全を祈るため、月読神の勧請に応えたとされる。学問の神さま聖徳太子社
祈願石は“五体満足”な赤ちゃんが生まれますようにお祈りしている歴史も古く、高い格式を持つ独立の神社だったが江戸時代には衰退し、松尾大社の勢力圏内にあることから、「松尾七社」の一社とされ明治10年に大社の境外摂社と定められた。
境内は、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に御船社、聖徳太子社などから構成されている。本殿北には「古事記」にも登場する神功(じんぐう)皇后が、腹を撫でて安産したと伝わる「月延石(通称安産石)」がある。柵に囲まれている現在でも、この安産石の前で手を合わせ、安産を祈願する妊婦の女性を見かけるという。解穢の水も流れていた。天然石入りの開運の三角みくじがある
解穢の水古来、授福の神・安産の神として人々の尊崇が厚い月読神社は静かに佇まいしている。
<月読神社>
住所:京都市西京区松室山添町 
    (問い合わせは、松尾大社社務所 電話:075-871-5016 )
境内:参拝自由:5:00~18:00 
交通:市バス 28番・京都バス73番で松尾大社前下車すぐ
    阪急電鉄嵐山線松尾下車すぐ

2011年4月29日金曜日

松尾大社と山吹

境内を流れる一ノ井川沿いの川畔に、黄金色に染める山吹の群生約3000株が植えられて、水面に黄金の花を咲かせて関西一の山吹の名所として知られている。
毎年4月10日~5月5日まで「山吹まつり」が開催されている。一重(ひとえ)の山吹
関西一を誇る黄金色に染める山吹松尾大社は平安遷都以前からの神社で、室町以降は境内の亀ノ井の名水が酒に変った逸話もあり“酒造の神”として知られる。川沿いに咲く黄金の花
本殿の北方より山吹ことしは春先まで天候が不順で、ウメやツバキ・サクラなど一度に花開いた!
松尾大社の山吹は例年なら4月第四日曜・神幸祭が終わる頃には散ってしまっているがやっと花開いた。珍しい白い山吹の花
八重の山吹の花山吹はバラ科の低木で、桜が散る晩春に開花を迎える。
あざやかに黄金色に輝いた花は、新緑の葉とともにひときわ人目を引きつける。水車や石橋が重なり見逃したくない風景
楼門を入ると優雅な光景八重咲きの小振りの花が水面に花影を映す優雅な光景は圧巻である。
境内の山吹の花とともに川沿いを水の流れに合わせゆっくりと散策を楽しんだ。花言葉は崇高(すうこう)と気高い、山吹の花の匂いはバラ科特有な高貴な香りで、その優雅な姿とともにつけられた。境内の一ノ井川に映える京の春景色
黄金色に染める山吹の群生約3000株が植えられている一ノ井川沿いの風景も美しく、山吹の黄金の花と水車や石橋が重なり見逃したくない京の春景色のひとつである。明日は月読神社を更新する。

2011年4月28日木曜日

松尾大社 船渡御(ふなとぎょ)その2

つづく・・・阪急松尾駅から電車に乗り終点桂駅に到着、市バスで桂大橋東詰で下車した。徒歩で右岸堤防下に行く途中、各町内会の人たちがご馳走の宴会の準備中だった。桂離宮左岸、神輿は腰まで浸かりながら川渡り
雨の中、川渡御は始まった
左岸堤防下で七社勢揃いし川を渡る船渡御だが、それまでに右岸で好いポイント見つけなければならない。12時半ごろ、俄に曇りだし遠くでゴロゴロ雷も鳴り出した!右岸、神船は着いた、上空の鉛色は雷雲
六基ある中、四之宮社がトップ
そして雨がポツリ・ポツリ、本降りとなった。雷鳴が轟き風雨も強い寒い・・・3,40分桂大橋下で雨宿りした。だがこの雨を吹き飛ばすように白い法被姿の氏子たちに神輿に担がれ(雨で少々遅れたが・・・)桂離宮近くの桂川河川敷に到着した。神船の神輿の枠が見える
氏子の神輿担ぎ手たちはモーター付きの和船
毎年4月の第四日曜日に行われる松尾大社の「神幸(おいで)祭」は、六基の神輿が桂離宮の西方に着き桂川を渡る船渡御の行事があり大勢の人々で賑わった。
この川渡りは、千年の古い歴史を持つという。
松尾七社のうち、一番先に稚児さんと唐櫃を載せて渡る月読社だが、昔は神輿もあったというが洪水で流されたと言われている。雨も止んで神輿の朱の御衣が映えて綺麗だった
これから川渡御をする
春の嵐とでも云おうか、雨は止んでくれた。神輿の重量は1~3トンで和船に乗せて東対岸に一基つづ、神輿と人を運んだ。船渡御は1~3トンもある神輿を船に乗せたり降ろしたりのバランスがなかなか難しそうである。 足元は悪いが神輿を高々と持ち上げている
川辺から水深5、6m入る、上空に撮影のヘリ
神輿を乗せた神船は手漕ぎ船で、前後の船頭が櫓を漕ぎゆったりと優雅に、柔らかな陽射しのもと春風を受けキラキラ光る川面を進んでくる。 桂川の水もまだ冷たいが腰まで浸かっている
法被姿・褌一つだが担ぎ手は勇壮果敢だ!
輿丁(よちょう)の氏子たちはモーター付きの和船、桂川の川幅は約200m位、リーダーの掛け声で一斉に輿丁たちが、神輿を上に挙げ隙間を作ると船はスーと抜けていく。半身、川に浸かり神輿を上に挙げ隙間を作る、船は台座を固定し神輿を載せる。また対岸に戻り次の神輿を運んでいく。1千年も前から川渡御をしていたという
大社の氏子地域は広い
ダイナミックなこの祭りは勇壮で神輿川渡しはハイライトだ!白い法被を着た輿丁たちは、威勢よく足は踊るように跳ねながら、「ほいっと・ほいっと」と掛け声で担いでいた。その昔、先人たちは川の中を神輿を担いで渡ったと言われている。
船渡御は、一時中断されたが1983(昭和58)年に再開された。大勢の観衆は橋上で、神輿は女性の方もおった
泥にまみえながら威勢よく足は踊るように跳ねながら、「ほいっと・ほいっと」と掛け声で担いでいた
松尾大社の祭り御輿を勇壮に担ぎ、船に乗せて対岸に運ぶという伝統的な行事に約3時間も要した。昨年は快晴であったが今年は雷雨だったが決行している。
桂大橋上下に神輿を高々と持ち上げる白い法被姿の威勢の良い輿丁たちの「ホイット、ホイット」の大きな掛け声とともに、シャンシャンと鳴る神輿を上下に揺らす勇壮な姿がみられた。春雨を吹き飛ばすような氏子たちの威勢の良い掛け声が響く中、大きな神輿が川をゆったりと渡る様子を観衆は見守った。一基の唐櫃と六基の神輿、松尾七社は五穀豊穣や家内安全を祈った
足元の泥もなんのその神輿は所定位置についた橋下には、運ばれて来た六基の御輿が誇らしげに飾り付けられていた。1千年の伝統をもつ神幸祭、氏子たちに支えられながら船渡御は水面の色に神輿の朱の御衣(おきぬ)が映えて壮麗だった。(完)

2011年4月27日水曜日

松尾大社 神幸祭その1

京都の四条通りは東西に八坂神社と松尾神社が控えている。24日、西京区では松尾大社の神幸祭が営まれた。
御分霊を受けて拝殿廻しを三回する月読社を先頭に神輿は四之社
一基の唐櫃(からびつ)と六基の「神輿」を船に載せて桂川を渡す、壮大で勇壮華麗にして慎重な船渡御(ふなどぎょ)が行われた。月読神社の唐櫃
二人のお稚児さんがいる
大きな赤鳥居をくぐり、参道の石畳を進むと二の鳥居がある。鳥居の上部には榊の小枝を束ねたものが数多く垂れ下がって、これを「脇勧請(わきかんじょう)」と云い、農作物の出来具合を占ったことを今に伝えている。
石段を上って楼門をくぐると一ノ井川が流れ川面に約3000株のヤマブキが群生し鮮やかな山吹色を放っている。拝殿、本殿と一直線に並んでいる。11時半、社頭を出発した
周回が済んで楼門へ向かう
最古の当社は、秦一族の氏神として祀られたのが始まりで、四世紀から六世紀ごろ韓半島から大挙して渡来し、瀬戸内を東上して山城国葛野郡に入植した。
701(大宝元)年、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が松尾山頂の磐座(いわくら)を麓へ勧請し、一族の氏神として社殿を建立、秦氏が神職を受け継いできたのが起りとされている。農作物の出来具合を占った脇勧請は鳥居に下げてある
二の鳥居、電車で桂まで急ぐ
この神幸祭は、平安時代の貞観年中から“川渡しの御船”で、五穀豊穣や家内安全を願ったもので千年の歴史を刻むという。
松尾七社は、本殿の御分霊を受けて拝殿廻し(三回周回)後、月読社の唐櫃一基と四之社、衣手社、三宮社、宗像社、櫟谷社、大宮社、順次社頭を神輿が出発し桂離宮横の桂川対岸に勢揃いした。
神輿が船で“川渡御”する様子は勇壮華麗にして圧巻だ。つづく・・・
<松尾大社>
住所:京都市西京区嵐山宮町3 電話:075-871-5016
境内:拝観自由5:00~18:00 
    庭園拝観は9:00~16:00で大人500円(休日は17:00まで)
交通:市バス 28番 京都バス73番松尾大社前下車すぐ
    阪急電鉄嵐山線松尾下車すぐ

2011年4月26日火曜日

琵琶湖由美浜ドライブ

滋賀県大津市琵琶湖由美浜にドライブに行った。
ブログの取材はもっぱら市内であり、この一年、琵琶湖には訪れていない・・・それは私が昨年4月車を廃車したことで以後公共交通機関を利用している。
由美浜は市民フラザがあり湖面を楽しむことができる由美浜の桜と比叡の山々17日の午後の休日、友人とCホテルでランチタイム、そのあと琵琶湖周辺にドライブに行こうとお誘いを受けた。友人は少しの歩行は許されるが車は足であり手放せなくなったという。日ごろパソコンを通してpcクラブでは何かとお世話になっている。
湖上遊覧はミシガンに乗って超高層ホテルがあり、数人が釣りを楽しんでいた車は山科を抜け国道1号と京阪大津線、名神高速道路が往来する辺り、ことしは肌寒い季節が続いたので山桜が一際美しく感じる。
1号線から迂回して近江大橋西詰を通り由美浜に着いた。
由美浜は、大津市民フラザがあり湖面を楽しむことができる。近江大橋と釣りをするファミリー
しだれ桜、カップル居る休日のアフタヌーン、釣りを楽しむ人や家族連れやカップルなどがおったが、なぜか外国人の観光客はいない?そう云えば京都の観光地でも同じ現象、福島県東電の原発事故の災害のためである。
ところで、湖上を見渡すと琵琶湖大橋や近江富士(三上山)も望める。近くには数人、釣りを楽しんでいた。となりには超高層ホテル、大津プリンスホテルが湖上を見下ろしている。いつの事だったか、ラウンジで眺めた記憶がある! サクラとツツジ
湖面右下、カモと近江富士
遠くに比叡を望み「ミシガン」に乗って湖上遊覧も好い、満々と水を蓄えた琵琶湖、水は心を豊かにさせる。大津京駅のガード潜り、西大津バイパス経由で京都駅の市バス33号系統で戻った。