月読神社は約1500年前に鎮座している古社で松尾大社境外摂社で京都市指定史跡になっている。松尾大社から南に400mほどのところに赤鳥居があり児童公園に面している。
月読神社は延喜時代では名神大社の一つに数えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島の海上の神として奉斎されたという。
日本書記によれば、487(顕宗(けんそう)3)年、阿閉臣事代(あべのおみことしろ)が朝鮮半島に派遣される途中、壱岐で月読尊が現れ神託があったので、都に帰り天皇に奏上し、山城国葛野郡歌荒樔田(うたあらすた)の地に創建した。
以前は桂川の川べりにあったが歌荒樔田の地が水害に遭い、水難を避けるため856(斉衡(さいこう)3)年、松尾山南麓の現在地に移ったと伝えられる。
もとより当社は秦氏で、秦氏は松尾社の禰宜(ねぎ)を兼ねていた。
祭神である月読神は、航海の大族である壱岐氏が壱岐島(長崎県)で祀っていた航海の神で、壱岐島から京都へ分祀されるにあたっては、山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強いといわれている。壱岐氏は航海の大族で、渡来人たちの渡日ルートである韓半島や対馬・壱岐と九州の航海安全を祈るため、月読神の勧請に応えたとされる。
歴史も古く、高い格式を持つ独立の神社だったが江戸時代には衰退し、松尾大社の勢力圏内にあることから、「松尾七社」の一社とされ明治10年に大社の境外摂社と定められた。
境内は、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に御船社、聖徳太子社などから構成されている。本殿北には「古事記」にも登場する神功(じんぐう)皇后が、腹を撫でて安産したと伝わる「月延石(通称安産石)」がある。柵に囲まれている現在でも、この安産石の前で手を合わせ、安産を祈願する妊婦の女性を見かけるという。解穢の水も流れていた。
古来、授福の神・安産の神として人々の尊崇が厚い月読神社は静かに佇まいしている。
<月読神社>
住所:京都市西京区松室山添町
(問い合わせは、松尾大社社務所 電話:075-871-5016 )
境内:参拝自由:5:00~18:00
交通:市バス 28番・京都バス73番で松尾大社前下車すぐ
阪急電鉄嵐山線松尾下車すぐ
月読神社は延喜時代では名神大社の一つに数えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島の海上の神として奉斎されたという。
日本書記によれば、487(顕宗(けんそう)3)年、阿閉臣事代(あべのおみことしろ)が朝鮮半島に派遣される途中、壱岐で月読尊が現れ神託があったので、都に帰り天皇に奏上し、山城国葛野郡歌荒樔田(うたあらすた)の地に創建した。
以前は桂川の川べりにあったが歌荒樔田の地が水害に遭い、水難を避けるため856(斉衡(さいこう)3)年、松尾山南麓の現在地に移ったと伝えられる。
もとより当社は秦氏で、秦氏は松尾社の禰宜(ねぎ)を兼ねていた。
祭神である月読神は、航海の大族である壱岐氏が壱岐島(長崎県)で祀っていた航海の神で、壱岐島から京都へ分祀されるにあたっては、山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強いといわれている。壱岐氏は航海の大族で、渡来人たちの渡日ルートである韓半島や対馬・壱岐と九州の航海安全を祈るため、月読神の勧請に応えたとされる。
歴史も古く、高い格式を持つ独立の神社だったが江戸時代には衰退し、松尾大社の勢力圏内にあることから、「松尾七社」の一社とされ明治10年に大社の境外摂社と定められた。
境内は、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に御船社、聖徳太子社などから構成されている。本殿北には「古事記」にも登場する神功(じんぐう)皇后が、腹を撫でて安産したと伝わる「月延石(通称安産石)」がある。柵に囲まれている現在でも、この安産石の前で手を合わせ、安産を祈願する妊婦の女性を見かけるという。解穢の水も流れていた。
古来、授福の神・安産の神として人々の尊崇が厚い月読神社は静かに佇まいしている。
<月読神社>
住所:京都市西京区松室山添町
(問い合わせは、松尾大社社務所 電話:075-871-5016 )
境内:参拝自由:5:00~18:00
交通:市バス 28番・京都バス73番で松尾大社前下車すぐ
阪急電鉄嵐山線松尾下車すぐ