25日から29日、下鴨神社ではみたらし祭が行なわれた。土用の丑の日に境内にある御手洗池の湧き水に足を浸すと無病息災健康祈願をされ、みたらし祭は老若男女たちが湧き水に足を膝まで浸しながら献灯し祈った。
御手洗の池には、みたらし祭の時のみ入ることが許される。
足つけ神事とは、下鴨社の御手洗社(井上社)に祀ってある「瀬織津媛命(せおりつひめのみこと)」で、人々の罪、穢(けがれ)を祓い除けてくださるという。
膝まで撒くりあげ、灯明する子どもたち、土用の丑の日にこの神池に足を浸け、灯明をお供えし、御神水を頂くと諸病にかからず延命長寿の霊験あらたかと云い伝えられている。
また、神池から採れた黒い小石は「かん虫封じの神石」として昔から信仰されており、「みたらしお祓い守り」「御手洗除病のお札」は、この日に限り授与される。
ママ、キレイに撮ってちょうだいね。彼女、ロングスカートでは少し大変そう・・・。
古代の禊ぎの風習に由来して左京区下鴨神社のみたらし祭(足つけ神事)に参詣した。湧水なのでひんやりしてとても気持ちがよかった。(7/25撮影)
<みたらし祭>
場所:京都市左京区下鴨泉川町59
電話:075-781-0010
期間:2014年7月25日~29日
時間:4日間5:30~22:30
料金:灯明料(参加料)300円
交通:京阪「出町柳駅」から徒歩15分
市バス「下鴨神社前」すぐ
2014年7月31日木曜日
2014年7月30日水曜日
祇園祭 還幸祭
八坂神社の17日の神幸祭(おいで)三基の神輿は四条御旅所に一週間滞在したあと、神社に神輿を戻す神事・還幸祭(おかえり)が24日行われた。
神輿は特徴のある六角、四角、八角の形をし、主祭神「素戔鳴尊(スサノオノミコト)」を奉斎する神輿は六角形で屋根には鳳凰を頂いている。
素戔嗚尊(スサノヲノミコト)が乗る屋根が六角形の中御座が先頭で、神輿が寺町通りを下って高辻通西へ烏丸通から四条~大宮通から神泉苑に向けて出発した。
與丁と呼ばれる法被姿の担ぎ手は、「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と記した護符を身に付ける。
一方、東御座の神輿は四角形の屋根をしていて、櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)スサノオの奥さんで四条通を西へ向った。
最後に控えた西御座、八角形の屋根をしていて、八柱御子神(子ども)の神輿で18:00ごろ寺町京極に入り錦市場に向かった。
三基の神輿は高々と差し上げられて「ホイット・ホイット」の掛け声とともに勇壮に練り歩き、それぞれ所定のコースを廻り神泉苑を経て氏子区域内を巡行しる。
夜遅くに八坂神社に戻り「御神霊」を神輿から本殿に還す「御霊還し」が深夜営まれるという。(7/24撮影)
神輿は特徴のある六角、四角、八角の形をし、主祭神「素戔鳴尊(スサノオノミコト)」を奉斎する神輿は六角形で屋根には鳳凰を頂いている。
素戔嗚尊(スサノヲノミコト)が乗る屋根が六角形の中御座が先頭で、神輿が寺町通りを下って高辻通西へ烏丸通から四条~大宮通から神泉苑に向けて出発した。
與丁と呼ばれる法被姿の担ぎ手は、「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と記した護符を身に付ける。
一方、東御座の神輿は四角形の屋根をしていて、櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)スサノオの奥さんで四条通を西へ向った。
最後に控えた西御座、八角形の屋根をしていて、八柱御子神(子ども)の神輿で18:00ごろ寺町京極に入り錦市場に向かった。
三基の神輿は高々と差し上げられて「ホイット・ホイット」の掛け声とともに勇壮に練り歩き、それぞれ所定のコースを廻り神泉苑を経て氏子区域内を巡行しる。
夜遅くに八坂神社に戻り「御神霊」を神輿から本殿に還す「御霊還し」が深夜営まれるという。(7/24撮影)
2014年7月29日火曜日
祇園祭 奉納舞
祇園祭は日本三大祭の頂点といっても過言ではない、町集(ちょうしゅう)の心意気を見せる祭りで、元のスタイルに戻し先祭23基、後祭10基の山鉾の存在感の高まりが互いに発揮していくことで祭が盛り上がっていくという。
八坂神社の祇園のキレイ処、芸姑さんと舞妓さんによる多彩な芸能奉納が残っている。
花街からは祇園東と先斗町が西暦奇数年、祇園甲部と宮川町が西暦偶数年と交互に参加している。
奉納舞「コンチキ音頭」を芸舞妓さんで舞われた。
宮川町の8名はさも白い浴衣も涼しげな衣装で舞を踊った。
祇園祭用の『かんざし』があるという。
続いて舞殿に上った祇園甲部の芸舞妓さん。
網笠をかむり、赤とピンクの衣装も派手やかに、奉納舞は「すずめ踊り」だった。
竹やぶにスズメ、キリッとした帯がアクセントになっていた。
今年の宮川町と祇園甲部のキレイ処の舞だったが別掲にしてお送りした。
午後5時からは祇園祭・還幸祭が四条御旅所で行われたのでつづきとする。
八坂神社の祇園のキレイ処、芸姑さんと舞妓さんによる多彩な芸能奉納が残っている。
花街からは祇園東と先斗町が西暦奇数年、祇園甲部と宮川町が西暦偶数年と交互に参加している。
奉納舞「コンチキ音頭」を芸舞妓さんで舞われた。
宮川町の8名はさも白い浴衣も涼しげな衣装で舞を踊った。
祇園祭用の『かんざし』があるという。
続いて舞殿に上った祇園甲部の芸舞妓さん。
網笠をかむり、赤とピンクの衣装も派手やかに、奉納舞は「すずめ踊り」だった。
竹やぶにスズメ、キリッとした帯がアクセントになっていた。
今年の宮川町と祇園甲部のキレイ処の舞だったが別掲にしてお送りした。
午後5時からは祇園祭・還幸祭が四条御旅所で行われたのでつづきとする。
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