2015年5月31日日曜日

王将洛西芸大前のサツキ

洛西シミズ病院にはリハビリのため一週に一度は通院していたが、目も醒めるような満開のサツキがいっぱい生えているのに驚いた。
ここは餃子の王将の洛西芸大前店、15、6年前は日本料理を出す高級な料理屋さんがあった処である。
餃子の王将といえば世界に発するチェーン組織である。
いま綺麗なサツキの花が咲いている。
お腹を膨らすのも好いが目で一時楽しむのもよい・・・。

いまもその石垣や庭などの佇まいが残っている。(5/29撮影)

2015年5月30日土曜日

洛西芸大のサツキ

昨日(29日)、洛西ニュータウン付近にある市立芸術大学はサツキが満開で、さながらピンク色の絨毯を敷き詰めたような幻覚を覚えた。
市立芸術大学は、サツキが満開であった。

国道9号線、沓掛口で市バスを下車、いつもお世話になっている洛西シミズ病院は病気以来19年間診察・リハビリに来ていたが芸大のサツキの花は知らなかった!
芸大の案内人に挨拶して校内にお邪魔したが学生さんは10:00前で見えなかった。
石段をひとつまたひとつずつ上がると違った景色が飛び込んで来てシャッターを押した。
バスや電車を乗継して行かなくてもこんな近くに「サツキの樹林」があることが分った。
10:00ごろ、学生さんたちが勉強しに入っていた。だが芸大閉校すれば、悲しいかなこれが見納め?になるだろうと思った。
校内の幸野楳嶺先生の像。
サツキが取り巻く時計灯から桂坂が見えた。京都市立芸術大学は昭和55年に9号線沿いの西京区大枝沓掛町に統合移転し今年で35年経った。
日本の公立大学で昭和25年に設置され、初の公立の絵画専門学校を母体に設立され多くの芸術家を輩出している。
緩やかな坂を上って来ると正門があり、その丘がまさにピンクの絨毯でこの上ない幸福の境地だった。
しかし交通が不便と他大学や学外との交流に支障をきたしている。
大学のキャンバスは老朽化していた。
芸術家の学生たちはピンク色の中を通っていった。建物の老朽化、傾斜地にあるためバリアフリー化が進まないことなどからJR京都駅のすぐ東側の崇仁小学校跡地を中心とした地域への移転となった。
芸大の上から洛西シミズの施設が見える。
大学転出後の洛西地区の活性化への取り組みを望みたい!
大学転出後の洛西地区の活性化への取り組みを望みたい。続きは王将洛西芸大前店とする。(5/29撮影)

2015年5月29日金曜日

十輪寺 業平忌


西京区大原野の十輪寺は毎年528日、業平忌三弦法要が行われているので見に行った。 
山門。
善峯寺に行く途中に十輪寺のバス停ある。小塩山と号する天台宗のお寺で、平安時代六歌仙の一人で「伊勢物語」でも知られる在原業平(ありはらのなりひら)が晩年隠棲したと伝えられ‘なりひら寺’とも呼ばれている。
染殿皇后の安産祈願のために、比叡山の恵亮和尚が開山した。
今日は特別で1000円を払い、中に入った。本堂の裏山には、業平の墓と伝えられる宝篋印塔や業平が塩を焼いて、その煙にかっての恋人、二条后(藤原高い子)への思いを託したといわれる塩がまの跡がある。
5月28日、業平忌三弦法要が行われている。
塩がまを焼く絵が飾られていた。元経(880)52856歳で没した業平の忌日法要が正午から当寺で営まれた。
岐阜の大野響苑さんの一弦琴。
高齢の85歳になられた法主・浩洋大僧正。法要(正午~)は、三味線に似た三弦を用い、独特の声明法式で歌詠みである業平を慕って、多くの俳人・歌人が集い、舞踊や京舞の奉納や献花があった。
二条后(藤原高い子)への思いを託したといわれる「塩がまの跡」がある。
本堂の裏山には「業平の墓」がある。寺伝によると文徳天皇の后・染殿皇后の安産祈願のために、比叡山の恵亮和尚を開山に講じて創建したという。
以後、勅願所として栄えたが、応仁の兵火で堂宇は焼亡した。
江戸時代の寛文年間に公卿の藤原定好により再興、更に藤原常雅により堂宇が整備され、現在に至っている。
鳳輦形と言う珍しい屋根をした本堂の地蔵菩薩(腹帯地蔵)や、花山天皇が西国巡礼に背負っていたと伝えられる十一面観音(禅衣観音)を安置している。
春、桜が名所である。
また、1123日の塩がま清め祭にも、三弦法要がおこなわれるという。
桜と鳳輦形と言う珍しい屋根をした本堂。
残念ながら写真はダメでご容赦いただきたい。
<十輪寺 業平忌>
場所: 十輪寺
時間: 12001400
料金:業平忌に付き1000
   庭園は400
駐車場:無料(乗用車15/バス1台)
交通:阪急バス43「小塩十輪寺前」下車
お問合せ: 075-331-0154