例年、4日に行なわれる神事、斎王代・御禊の儀は葵祭にさきがけて上賀茂神社(上社)の御手洗川と下鴨神社(下社)の御手洗池で隔年交互にて1956(昭和31)年より復活した。
新緑の上賀茂神社に午前10:00過ぎ着き、雅楽の調べに合わせて十二単衣姿に身を包んだ斉王代(第五十九代)は約50人の童女(わらわめ)と女官らを従えて参道を進み、橋殿に着座した。
斉王代ほか50名の女官たちは、神職の祝詞のお祓いを受けた後、ゆっくりと御手洗川の前まで進んだ。斉王代と童女4人らは御手洗川の川辺に導かれ、岸に進み厳かに水に手を浸し入れて身を清めた。
それを逃すまいと報道やアマカメラマンたちが一斉にシャッターを切った。上賀茂社の斎王代・御禊の儀の写真撮影は撮りずらく、早朝6:00から待っていたというカメラマンもおった。
御禊の儀は平安朝の優雅な古典行列で平安貴族そのままの姿で王朝絵巻を思わせる色鮮やかな十二単衣姿で神事に臨んだ。
第五十九代斎王代、太田梨紗子さんは京菓子「老松」の長女、現在神戸大2年という。
平安時代から394年間も続いた葵祭の『斎王』は未婚の内親王が務めたが、現在は京都在住の未婚女性から選ばれるため「代」を付けて呼ばれているもので1200年と歴史がある。
平安絵巻を彷彿させる行事で齋王代以下約50人の女人行列で齋王代の髪はおすべらかし、装束は十二単衣の鮮やかな紋を織り出した豪華なものでまさしく絵巻物語そのものである。
一足先にヒロイン・十二単衣姿に身を包んだ斉王代や女人列に写真愛好家と参観者は葵祭の雰囲気になっていた。
斉王代の太田さん、着慣れない十二単衣姿に身を包み、お疲れ様でした。(5/4撮影)
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