昨日(27日)四条大橋の一筋西側の先斗町(ぽんとちょう)で「衿替え」があった。京都には祇園甲部・祇園東・上七軒・先斗町・宮川町の五花街があり、舞妓さんや芸姑さんなどがそれぞれお茶屋や置屋に所属している。
先斗町は鴨川と木屋町通の間にある花街で地名としての町名はなくその昔、新河原町通と呼ばれていたという。
お茶屋、旅籠などが置かれたのが始まりで『二条新地(にじょうしんち)』の出稼ぎ地として認められ、舞芸妓が居住するようになった。
明治5(1872)年に『鴨川をどり』が初演され、舞踊の流派は現在は尾上流、先斗町は花街としての花を開かせた。
初めて衿替えに行って見たが二人並んで歩くのにも狭く、三条通一筋下る~四条通まで、鴨川と木屋町通の間を南北に走る、石畳の狭い通りである。
衿替えのあった「丹美賀」さんの前には、今日の主役、光菜(みつな)さんの名が貼られていた。
衿替えとは、二十歳になって舞妓時代の赤い衿を、落ち着いた白い衿に変えることから『衿替え』といわれるものある。
舞妓さんになるため15,6歳ごろから見習修業の少女を「仕込み」別名「おちょぼ」と言う。期間は一年程度で「舞」の仕上がり次第で二年かかる場合もあるという。
本来、舞妓さんは舞を舞う仕事なので、師匠に舞を認められて、めでたく舞妓さんになることができる。
衿替えでは、特別に誂えた豪華な「黒紋付き」を着付けてもらい、日本髪から鬘(かつら)を被る。
置屋「丹美賀」さんにはご祝儀を持ったお姐さんたちの出入りがあり、ご贔屓の方々からは、鯛や鶴などのめでたい絵柄が描かれた目録が贈られるという。通りの細い先斗町の筋に面した処はお茶屋や置屋がびっしりと並んでいた。
女衆が丹美賀さんの「光菜さん」です、『衿替え』にきましたと屋形の女将に挨拶し、お茶屋を一軒ずつ廻った。北の端にある「先斗町歌舞練場」は第177回「鴨川をどり」も終わた所である。(5/27撮影)
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